39#よくある後悔
翌日の早朝はいつかの日を思いださせるような白い靄がヨンフェン全体を覆っていて、私はあんまり良くない気分で起きだした。
泊まったのはヨンフェンに来て直ぐにとった宿屋で、二人部屋のもう一つのベッドには既にディの姿がない。食事処が開いているわけでもないし、何か用事があって出ているのか、どちらかの隊長に呼ばれてでているのか、私は知らない。
何故か室内に用意されている水の溜まった水桶に指を入れ、私は小さく息を吐いた。冷たい、ということはこれを置いてからディが出て行ったのなら、さほど時間は経っていないだろう。
ベッドサイドの小さめのテーブルに置かれた、伏せられた透明なコップを手に取り、水桶から水を汲んで、喉に流し込む。体中を巡る水を感じながら、目覚め始めた身体を動かし、私は顔を洗った。
水面に映る女の顔がちょっと泣きそうに見えたので、パシャリと音を立てて、水面の姿を消した。
女神の宣言をしたのはつい昨日のことだ。騒ぎは大きくなっていないが、王都には早々に伝わるだろう。王都の大神殿に囚われているオーサーがが偽物と判明した場合、彼がどう扱われるのかが心配だ。だから、一刻も早く、こちらでの騒動をーーつまり、リュドラント王との話し合いを済ませて、オーサーを迎えに行かなければならない。
泣いている時間も、弱気になっている時間も、私にはないのだ。
手早く身支度を済ませた私は、小さな荷物を手に宿屋を後にする。支払いをしようとしたが、カウンターにいた宿の主人がそれが済んでいることと、宿の外で待っている者のことを教えてくれた。
待っていたのは、ジェリンだ。
「おはよ、ジェリン」
「おはようさん。じゃあ、行くか」
先に立って歩き出すジェリンが向かっているのは、昨日連れて行かれた仕立屋だろう。持って帰っても一人では着飾ることが出来ないため、そこで全部を任せてあるのだ。
「よう寝れたか?」
「まあまあ」
「そうか」
実は、昨日連れ去られてから後のジェリンと私の会話は少ない。てっきり、勝手に色々と話してくれるのかとおもいきや、何度も何かを言いかけては口を噤んでしまっているのだ。私は沈黙をそれほど不快には感じなかったから放っておいた。
ミゼットほどの広さもない、こじんまりとしたヨンフェンの町では、宿から仕立屋までの距離はほとんどない。結局、何も話さないまま目的地に着いてしまった。
「アディ」
戸を叩く前に、ジェリンが私を顧みて、困った様子で口を閉じる。何かを言いたいのだろうけど、音にしなければそれが何かも私にはわからない。
「何?」
私が真っ直ぐに見つめ返すと、ジェリンは困惑し、何故か頬を染める。て、なんでだ。
「ジェリン?」
「……あかん、あかんわ」
「は?」
「俺は、ヨンフェンの警備隊長なんや」
何故か私の両肩を抑えて、自己紹介を始めようとしてくるジェリンに、私は今非常に困っている。
「顔も性格も、センスだってええ。剣の腕も立つし、指揮官としても認められとる」
彼が言うように、ただ強いだけで警備隊長になれるとは思わない。ここは隣国との要の関所なのだ。真っ先に戦端が開かれる可能性の高い場所でも有る。そこにいるのだから、それだけの実力があって当然だろう。
まして、ジェリンは元鍛冶屋の息子。つまり、民間人から実力でここまでのし上がって来たのだ。強さだけでないというのは、当然だろう。
「なのに、なんで今更会いに来るんや……っ」
「別に、ジェリンに会うために来たわけじゃないよ。たまたまジェリンがヨンフェンの警備隊長だっただけで」
「俺にはもう……」
それっきり黙ってしまったジェリンは、俯いたまま私を抑えていた腕を離し、頭を抱えてうずくまってしまった。
何を悩んでいるのかわからないが、そこでしゃがんでいられると、仕立屋に入ることが出来ないのだが。
「もう、なに?」
これはもう話さないことにはどうしようもないな、と私は呆れながらも先を促した。ジェリンは大きな身体を微かに震わせ、私を見上げる。
「ほんま、おまえは変わらんなぁ、アディ」
「変わる必要ある?」
私が首を傾げると、ジェリンは一瞬の間の後で、再び俯いて、意味のない呻きを上げた。
「なぁ、もし俺がずっと一緒におったら、アディは俺を選んだか?」
「選ぶ?」
「俺の嫁になったか?」
私は数回瞬きしてから、首を傾げた。
「無いと思うよ。だって、私が結婚とかできるわけないでしょ。系統を証明されてないんだから。それに、女神の系統が短命なのは本当だよ?」
ジェリンの目が心底不思議そうな顔をするが、これは事実だ。誰がどのように亡くなったとか、そういうのは全く残っていないが、有名な所でリンカ王妃は二十歳になる半月前に、病死。一番古い女神の記憶も二十歳を前に、殺されている。そういえば、時々夢に出てくるルナって女神の系統の子も、かなり若くして亡くなっているはずだ。他にも記憶の端々に、若くして亡くなる者が多い。
死にたがりというわけじゃないし、愛国心とかがあるわけじゃない。皆が皆、孤児だから、親の顔も知らないしね。ただ、この世界を守るためだったら、きっと私も同じ事をするだろう。
「私は生まれた時から一人だったし、死ぬ時も一人でいいと思ってる。マリベルやオーサーは泣いてくれるかもしれないけど、それ以上に大切な人はもう」
「あの騎士のおっさんは?」
「え?」
「あの騎士のおっさんはどうなんや」
唐突にディのことを持ちだされた私は、彼を思い浮かべて、思わず渋面していた。
ディはたぶん、前の主に騎士の誓いをさせてもらえず、殺されている。それもあって、たぶん強引に私に誓いをしたのだ。それが再び主を失うーーそれも、念願の女神の系統である主を女神の従者が失ったら、どうなるのか。そんなこと、どんなに記憶を探ったとしてもわかるわけない。そもそも、従者がいたことを知ったのはディに出会ってからだ。
「泣きは、しないと思う、けど」
「…………」
「ごめん、わかんない。そもそも、私もよくわかんないんだ。ディは、なんか無条件に信頼しちゃう何かがある。それが従者だからなのか、何度か助けてもらったからなのか、わかんない。ーー私が死んだら、ディ、どうすんだろ」
私はつい、遠い目をして考えこんでしまった。騎士の誓いは主の位置を知らせるものなのだと聞いた。しかも、ディとしては長年待ち望んだ「女神の系統を持つ者」だ。今の女神信仰の薄い時代に、直ぐに次が生まれるとも限らない。
考えこむ私の頭に、ジェリンの手が置かれ、グシャグシャと撫でられる。
「わっ、何、ジェリン!?」
無言で私の頭を撫で回していたジェリンは、そのまま店の戸を叩き、開かれた薄暗い店内へと私を放り込んだ。
「俺は外で待ってるから、綺麗にしてもらえや」
そのまま店の戸を閉められてしまったから、私はジェリンがどういう顔をしていたのかも、外で何をしていたのかもしらない。ただ、声は何故か寂しそうだった。
あらすじではなかったのですが、これがたぶんジェリンとの最後の絡み。
告白まがいでも、ヒロインは華麗にスルー。
まあ、オーサーのあからさまな告白でもスルーするからね、この子。
賢者は蹴り倒して、ディも張り倒して逃亡。
……うちのヒロインは何故にいつも相手に告白されると逃亡するのだろうー?
(2013/04/27)