36#よくいる隊長
世界は女神に創られ、統治された。その間、世界はとても穏やかで平和で、争い事を知るものはなく、女神に仕えることを至上の喜びとしていた。無機物も有機物も、ヒトも動物も、全てが言葉を交わすことが出来た神代の時代は永く、永く、永遠に続くと誰もが信じていた。
だが、天帝に女神達が呼び戻され、女神がいなくなった日。女神にもっとも近く作られ愛されたヒトが、この世界で生まれた、ただ一人の幼い女神を両手に抱いたまま言った。
「この女神が成長するまで、私が世界を統治しよう」
当然のごとく反発は起こり、そして、誰が女神を手にするかを争う間に、いつしか何もかもが言葉を交わす術も忘れてしまった。
私が最後の女神であると宣言したとき、この世界がどれだけ女神を見放していても、暴動が起きてもおかしくはなかった。だって、私は物心ついた時から、一度ならず殺されかけた身だ。女神に見捨てられ、既に女神を必要としないこの世界で、こんな宣言をしたら。
「……女神……だって?」
人々のざわめきを身に受けつつ、私は敢えてそちらを見ないようにして、二人の隊長を見据えた。
「こんなガキが?」
そう口にした男は、訝しげに眉を潜めた。鉄色の髪を後ろに撫で付けた、細目の眼光鋭い男だ。陽光を鈍く反射する同色の灰藍色の甲冑にはヨンフェンの紋章があり、こちらは反対側にリュドラントの紋章を印してある。おそらくは、ヨンフェンにおけるリュドラントの警備隊長だろう。
「信じなくても構わない。だけど、私の目の届く範囲でこれ以上の戦闘はさせないわ」
「どうやって」
リュドラントの警備隊長と対峙していた男は、明らかに信用していない眼差しで、私をせせら笑う。彼は獅子の鬣を思い起こす金髪を立てていて、一房だけ何故か腰まで長く伸ばしている。その薄汚れた灰藍色の甲冑にはヨンフェンの紋章が右の肩当の上で、鈍い存在感を示しており、反対側の肩当にはルクレシアの紋章が記されていた。おそらくは、この男がヨンフェンにおけるルクレシアの警備隊長なのだろう。
私は心を落ち着かせ、ふっと短く息を吐き出す。
「そうね。何をしても信じない者は信じないし、何もしなくても信じる者は信じる。だけど、」
今ここで必要なのは、私が本物の女神の末裔かどうかじゃない。今ここで必要なのは、はったりだ。私は意識して口端を吊り上げ、まっすぐにリュドラントの警備隊長を睨みつけた。私の眼前で彼の眉がほんの少し上がる。
「リュドラント王は潔癖で有名だよ。勝手に戦争を起こしたりして、しかもルクレシアの謀略に巻き込まれて、あげく負けたりなんてしたら、当然貴方は処罰されるね」
私の言い様に、リュドラントの警備隊長の目が剣呑な光を点す。彼の構えた剣の前、私は静かに拳を構える。
「俺が負けると」
相手の手が剣の柄にかかるのをみて、私は不敵な笑いを口元に滲ませた。
「たとえば、の話。まあこんな小娘に容易に負けてくれるような男が警備隊長な訳もないでしょうけど」
二国で構成されたヨンフェンの警備隊は建前上、境界を侵さないという条約に従ったものではあるが、互いに力を誇示するように両国の精鋭が揃えられている。その中でもトップに立つ二人の警備隊長は、武においても知においても優れたものでなければなれない。
「やけど、女に剣を向けるような者が警備隊長であるわけがないやろう。そこまでにしとけよ、アデュラリア」
間に割って入ったのはルクレシアの警備隊長だ。
「ほんで、ヨウ。あんさんも安い挑発にのるな」
「のってねェ。それはてめぇの知り合いか?」
ヨウと呼ばれたリュドラントの警備隊長は、不機嫌さを隠そうともせずに目を眇める。
「馴染みでな、ちびっとばかり気が強い」
リュドランとの警備隊長はどこが少しだと履き捨てるように言うものの、既に二人に戦闘の意志は見られない。リュドラントの警備隊長に多少の嫌気は残ってはいるが、ルクレシアの警備隊長との対応の様子は、普段からこういう男なのだと物語っている。
「え……仲、良いの……?」
さっきの騒ぎが何だったのだと言いたくなる二人の様子には、命を張ろうとしていた私としても首を傾げたくもなるというものだ。
「よくねェ」「ようない」
二人で仲良く否定されても、全く説得力がない。もしや、これでは私の決死の女神宣言の意味などないのではないだろうか。
私が彼らを戸惑いの目で見上げると、ルクレシアの警備隊長はなんだと憎たらしいほど陽気に笑う。さっきまでの戦闘などなかったかのような、陽光そのままの笑顔だ。加えて、リュドラントの警備隊長はなんだと不機嫌に睨みつけてくるものの、先程までのような殺気はまったくない。
「さっきの叫んでたの聞いたから、二人は戦ってたんじゃないの?」
私の問いに、リュドラントの警備隊長は舌打ちを返した。
「せっかく、この男を葬る良い機会だってのに、余計なことをしやがってっ」
余計なことというのは、私の決死の女神宣言のことだろうか。
「いやだなぁ、ヨウくん~。俺ら仲間やろ?」
へらへらと笑うルクレシアの警備隊長は、片手でリュドラントの警備隊長に向かって手を振る。大して、リュドラントの警備隊長はますます眉間の皺を深くしていた。
「あの程度のことに騙されるほど抜けとるようなのが、警備隊長なんかやってられると思うか?」
「先に仕掛けたらおまえらに攻める隙を与えるようなもんだ。そんなことをするような馬鹿はこの俺の部下にいらん」
とりあえず、先程からのやり取りを見る限り、小競り合いが本格的な戦となる可能性が低くなるくらいの関係に見える。
「ヨウは虎視眈々とこっちの隙を狙っとるからな~、そない安易なことするわけないって」
私に触れようとしたルクレシアの警備隊長の手の前を、不意に突風がつらぬいた。とたんに、それまで笑顔を張り付けていた男の目元が、剣呑に光ったようにみえた。
「っと、あいかわらずあいつとおるのか?」
「え?」
「オーサーやろ、この風。ったく、昔っからあんさん一筋で、正直うっとおしいんだよな」
ここで意外な名前を持ちだされ、私は慌ててあたりを見回した。周囲の人垣の中に見慣れた幼馴染みの姿は見つからないが、この大人数の中からオーサーの気配だけを探り出すほどの力を私はもっていない。
いや、そんなことよりも、なぜこの男がオーサーを知っているのだろうか。そういえば、さっきから私を知っているような口ぶりだけど、こんな知り合いなんて、いただろうか。
「オーサーを知ってるの?」
顔を見ても彼が誰なのか思い出せない私は、ルクレシアの警備隊長に視線を戻して首を傾げた。だが、すぐに耳を強く引っ張られ、る。引っ張ったのは耳元で騒ぐちんまい妖精だ。
「こんなやつに関わっちゃだめです、アディ。忘れたんですかっ?」
「ちょ、痛いって、ファラ」
さっきの突風はおそらくこの妖精だろうと気がつき、私はわかっていながらも少しだけ落胆してしまった。だがそれを隠して、どうやら彼を知っているらしい妖精に、私は小さく問いかける。
「誰?」
俺様の目の前でそりゃねぇだろ、と警備隊長が片手を自分の額に当てて、大げさに呻く。
「確かに逢っとる回数は少ないけど、帰るたびに遊んでやったやないかぁよーっ」
遊び相手で、オーサーのことも知っているということは、マリベルに拾われてからの知り合いということになる。となると、村には子供もいないし、おそらくは一番近いミゼットの遊び仲間のうちの一人ということになるだろうが、年頃になりミゼットを離れた者達の中に懇意にしているものがいたかどうかさえ覚えていない。
私がそうやって考え込んでいると、いきなり身体を後ろに引っ張られた。その気配はよく知るものだったため、私は抵抗もせず、むしろ触れる手の暖かさに安堵して勝手に頬が緩んでしまう。
「待ってるっつっただろうがっ!」
頭上からディに大声で怒鳴られて、私は堪らずに耳を塞いだ。
「ご、ごめん……」
「俺がっ、どれだけっ、心配したとっ」
怒鳴りながら、ばさりとディのマントで隠すように包み込まれてしまい、私は少しだけ慌てた。
「ディっ」
上からディの謝罪の声と、大人しくしてくれという懇願が降ってくる。理由もなく私の視界を塞ぐわけもないのだろうが、ここまでしなくとも安堵からか私は一歩も動けない。気のせいかもしれないが、先ほどの矢傷の痛みが蘇ってきた気もする。
「あんたらがヨンフェンの警備隊長か? ……ておまえ、ヨウ?」
「兄貴……?」
ディの問いかけに、リュドラントの警備隊長から不審気な声が返された。
「お前が隊長なら丁度いい。ちっとおまえんとこの王様まで取り次いでくれ」
「なんでだよ」
「必要ならこいつを持っていけ」
ディはゴソゴソと自分の身につけた何かを探り、それを相手に放り投げたようだ。しかし、何を渡したのかまでは、マントに包まれたままの私ではわからなかった。
「柄尻を見せりゃ話が通る」
その言い方から、たぶん短剣か何かなのだろうが。
「なんで、あんたがこんなところにいるんだ」
マントに隠されて彼らがどんな顔をしているのか、私には何もわからない。でも、ディの手は強く私を抱いて、決して離すまいとしている。そして、リュドラントの隊長の声は、焦燥を含んでいるように聞こえた。
「ちっ、せっかく再会したってのにまた護衛つきか」
マントの中にいても、私にはルクレシアの隊長の小さなボヤキが聞こえた。その声だけを聞いていれば、かすかに覚えがあるような気がしないでもない。
「なあ、おまえキレーだなっ」
記憶のどこかで似たようだが少し幼い声が、夕日を背に笑う。夕日に照らされて銅線を思い出させる赤髪で、あの頃の自分には眩しすぎる笑顔だった。
「はぁ? あったりまえでしょ」
私はまだあの名もなき村に住むようになったばかりで、彼は私よりも随分背が低いけど自信に満ちた目が、未来を見ているその瞳が、大嫌いだった。だから、強気な言葉とオーサーとつないだ手の中に、私はいつも弱さを隠してた。
「俺の嫁になれ! 俺、絶対に大切にすっからっ!」
そうだ、それで、初めて私に告白してきた奇特な男の子だった。
「ジェリン!?」
私はディの腕の中からもがきつつ、マントから顔だけでも出して、ルクレシアの警備隊長を見つめる。そういえば、あのときの記憶では赤髪だけど、あれは夕日のせいというだけで、元々は金の髪をしていたと思い出す。思い出と重ねてみれば、その笑顔に面影もかすかに残る。
「やぁっと思い出したのかよ」
嬉しそうに笑うジェリンことタンジェリン=クォーツはやっぱり能天気な笑顔で、だけどよく見ればあの頃とまったく変わっていなかった。
「わざわざ俺様の嫁になりにきてくれはったなんて嬉しいぜー」
「んなわけないでしょ」
「はっはっはっ……即答なんてつれへんねぇ」
ジェリンと話していると腕が離されたので、私はディを見上げた。が、私が彼の顔を確認するより早く、上から頭を押さえつけられて、私はそれをすることは叶わなかった。
「アディの知り合いなら話が早い。警備隊で治癒術の使える奴らを呼んでくれ」
あいよ、と軽く応えたジェリンが片手を上げる。その手に微かに赤い星のような光が瞬く。
「まぁた無茶したのかよ、アデュラリア。女なんやし痕が残るような怪我すんじゃねぇよ」
「……ジェリンには関係ないでしょ」
痕が残った所で、今更自分には関係ない、と私は勝手に思っていた。だけど、ジェリンは私が思いもよらないフォローをしてきた。
「ないことないって。なんたって未来の俺様の嫁だし」
「ば、な、勝手に決めないでよっ」
ジェリンは昔から、女ならば誰にでもこんなことを言っていると知っているのに。私は懐かしさと気恥ずかしさで、熱くなる頬を両手で隠すように抑えるしかなくて。そんな私を少し切ない目でディが見てたなんて、気づきもしなかった。
エセ関西弁で、読みにくいですね。
ちょっと誰かとキャラが被りそうだったので、こんなことになりました。
(2013/04/17)