34#よくある国境
場所が変わります。移動工程は(略)。
隣国リュドラントとの国境の町ーーヨンフェン。両国の境界は高い石塀と深く濃い森の闇に包まれている。この町を利用するのは主に両国間で交易を行う商人達で、彼らのために宿が出来、物資と共に人が集まるために町として栄えている場所だ。昼でも薄暗い森に他の場所が閉ざされているため、他に両国を行き来する場所はない。
私は店先で並ぶ赤い果物をひとつ手にする。今はオーサーの服を着て、髪も一つに括ってあるため、年は十二、三ぐらいの少年に見えるはずだ。
「美味しそう~。おねえさん、これはいくら?」
果物を指で軽くこすると、新鮮さを主張するようにそれは昼の陽光を返す。
「リュドラントで最近出来た新種のダイダイでね、そのまま食べてもいいけどバターを入れて焼くともっと美味いよ。二〇でどうだい」
「ん~、さっき向こうでも十五でみたよ」
向こうと私が指したのは道の角で、その先の商店など、ここから見えはしない。
「こっちは宵に戻った商人から買ったばかりで鮮度が違うんだよ」
「今朝って関所空いてた?」
「さぁてね。それより、買うのかい、買わないのかい」
少し思案してみせた後で、私は首に下げた紐を引っ張り上げ、服の中から小さな皮袋を取り出した。
「まだ通れるかなぁ」
品物を買うと思った女性の口が滑らかに動く。
「昼に宿出たのが戻ってきてたし、たぶん難しいんじゃないかねぇ」
「ふーん」
私が差し出された手に少し多めの金額を乗せると、女性は「まいど」とへらりと笑ってくれた。それに礼を返して、私は店の前を立ち去る。その足は、国境の門扉が備えられている方向へ向かっていたわけだが。
「アディ」
歩く私を後ろから無造作に大男が抱え上げ、道の端に連れてきてから下ろした。
「勝手にふらつくなっつっただろうが」
大声でないにしろ、きつめの大男の声音を、私は眉をしかめて受け取る。眼の前にいるのはもちろん、ここまで一緒に来たディしかいない。相変わらず、目立つ格好だというのに人混みに紛れるのが得意な男だ。ミゼットでもそうだったな、とそれほど遠くない過去に思いを馳せて、私は心の中で小さく笑った。現実は、子供のように口を尖らせ、見上げる相手に文句をつける。
「ちょっと見てくるぐらい、いーじゃん」
起きてからずっと、ディは過保護に拍車がかかっている。特に、ヨンフェンについてからは更にひどく、一人で出歩くなとまで言ってくる。もちろん、目的を考えれば、そんな忠告を聞けるはずもない。
「何かあったらどうする」
「何かあるから来てるんでしょ」
私が飄々と返すと、ディは眉間に皺を湛えたまま、深く息を吐きだした。これが一時とはいえ二度と起きないのではないかと心配した人物には到底みえない、と何度も愚痴をこぼされたから、私でも彼が何を言いたいのかはだいたい分かる。
「大体勝手に何でもかんでも決めといて、私にどうこう言えるわけ?」
ハーキマーの家からここまではそれなりに距離があった。馬を使いたくとも、近隣に馬借はなく。一番近いイネスまで徒歩で向かった。その間に色々と自分の知らない場所での話を聞いてた。……聞いてしまった。
始まりは賢者であるフィッシャーとの賭けから、そんな前から始まっていた。しかも、オーサー発案。私が心配だという名目で、フィッシャーとディとイェフダ様に私の保護を願い出ていた。負ける駆けを利用したのは札の件だけではなかったことが判明して、私はひどく憤ったのだ。
確かに私はオーサーを危険に晒さないために遠ざけようとしたわけで、オーサーも事前に察知して対策していたことまではいい。でも、なんでわざわざ会ったばかりのディやフィッシャーに、しかも貴族なんて奴らに私を保護させるのか。私の権力嫌いは知っているはずなのに!
私が目を眇めると、ディはそれまでの経緯のせいもあるのだろうが、文句をいうのをやめてくれるようになった。ディもこの波乱に満ちた旅の間で、少しは私の性格を把握してくれたようだ。
別に感謝をしていないわけじゃない。オーサーやフィッシャー、ディの機転がなければ、おそらくはとっくに私は刻龍に殺されるか、大神殿まで連れ去られているだろう。本来の目的地は大神殿ではあるが、到着したらおそらくは自由に出歩くことができなくなることぐらい、私にも予想できていた。女神であれ、眷属であれ、いや、可能性が少しでもあるならば、女神神殿は私を女神の眷属へとしたてあげるだろう。
そのほうがいいと思っていた時期もあった。マリベルたちに迷惑をかけるぐらいなら、いっそーーと、何度も考えた。でも、彼女やオーサー、ウォルフや村のみんなの笑顔を思い出すたび、どうしても決断できなくて。
やっと決断して、大神殿に許可をもらいにいくところだったのに、こんな隣国との戦を止めに行くことまでは想定できるはずもなかった。
「宿に連絡が届いてる」
次にディが小さく耳打ちした言葉を聞いたと時、私は彼ではなく関所の方向へと顔を向けていた。
「なんて?」
硬い声で私は口を強く引き結び、真っ直ぐにディを顧みて見上げる。ここで起きる何かを待ってはいたし、他に起きるだろう予測も既にフィッシャーから聞かされている。だけど、頭で理解するのと心での覚悟は別物だ。私の様子を確認したディは、嘆息してから続けた。
「お前の村が刻龍に襲撃されているそうだ」
「戦況は」
間髪入れずに返すと、そこでディは少々複雑な表情をした。村が襲撃されるという話は予想済みだ。だが、安々とやられるような村人ではないーー否、唯の民間人とは到底云い難い腕前を持つ面々であることは知っていた。オーサーの時は彼の怪我に気圧されて、混乱していたために誤解したけれど、よく考えたら彼らならばディだって倒せるぐらいの強さなのだ。
私なんて、下っ端の札士にさえ、手加減してもらって、ナイショでファラに手伝ってもらって、ようやく勝たせてもらえる程度だ。それなのに、いくら刻竜が強いといっても、村を焼かれるほどの惨敗は有り得ない。冷静になればなるほど、彼らが負ける姿は想像できなかった。
「刻龍はあらゆる戦闘のプロがいる。いくら賢者が刻龍の頭領であっても、」
だけど、頭でいくらわかっていても不安は尽きることがなくて、私はそれを押し隠すように拳を握りしめていた。だって、いつだって、皆私を置いていってしまうのだから。
「……宿に戻ってからにしようや」
言葉を止めて、少し思案した後のディの提案を、私は彼の巨体を押しのけて取下げさせた。私が歩き出す方向は国境の関所となっている場所そのものだ。
「先に下見だけさせて」
「アディ」
「見るだけだから」
ここの着いてから見ることが出来たのは、せいぜい宿屋の窓から位だ。近くへ言って、周囲を確かめたい。そう何度頼んでも、ディは聞き届けてくれていない。到着したのは昨日の日が落ちてからだから仕方ないとはいえ、できるだけ土地を把握しておくのは喧嘩の基本だ。否、今回は喧嘩ではないけど。
強く頼み込み、了承を聞かずに私は足を進めた。すると、諦めたのかディが少し離れてついてくる。軽く振り返ってそれを確認した私は、知らず安堵の笑みを浮かべていた。人の頭を越す長身だというのに、ディの姿は雑踏に自然と紛れ、先を歩く私に直ぐ追いつく。気遣わしげに見下ろしてくるディに軽く笑いかけると、眉を下げた、なんとも云い難い表情を返された。その口がかすかに開き、何かの言葉を発するために息を吸い込む。そんな中だった。
「リュドラントの警備にうちの警備隊が斬られたぞ!!」
雑踏の人々が驚きに足を止める中、私はそれを叫んだ人物の方向に向かって走り出していた。頭にあるのは、フィッシャーと話した時の彼の予想した状況の話だ。
ーー仕掛けてくるなら、リュドラントから。国境で互いの兵も詰めているヨンフェンならば、きっかけは些細でも大事にすることができます。もともとリュドラントとうちは、然程仲良くないですからね。
そのきっかけを作る元凶はおそらくは刻龍だろうとも、フィッシャーは言っていた。だから、原因を引きずり出せば、場を収めることは、少なくとも戦に持ち込まれる前に止めることはできるかもしれない。そう、言っていた。
叫んだのはおそらく元凶に加担している。そいつさえ捕まえればなんとかなるかもしれないと、身体が先に動いていたのだ。
「アディっ!」
直後、ディの強い警戒の声が私を呼んだが、それは間に合わなかった。
もともとはこの辺でオーサーのあれこれを入れてたんですが、二章でその辺はまとめてしまったので続けます。
つーか、一人称だとこの辺のシーンが威力半減てのを実感。
せめてディ視点なら良かったのかもですが、これ以上キャラ視点を増やすと、まとめきれない。
……ディの思考とかあんまり書くと大変なことになるんですよねー。
長生きしてる人間は抱えてるものが多くて面倒ー(おい。
(2013/03/25)