31#よくある関係
(あらすじ22-1)
裏庭で私が説明を求めると、薬屋のハーキマーさんは食事しながら説明するといって、再び私を家の前まで連れて行った。背中を押されてしまったので、私にはどうすることも出来なかった。
午前中とはいえ陽射しは既に夏の陽気を帯びている。家の表でも、風があまり吹き込まない木陰で、フィッシャーとイェフダ様の二人は四人が楽に座れる大きめの白い丸テーブルを囲んで、紅茶を飲んでいた。
「おかえりなさい、アデュラリア」
フィッシャーの歓迎するような言葉に、私はなんと返したものか悩んで、眉根を寄せていた。逃亡は確かに上手く行ったのだろうが、今回の作戦はあまりにもお粗末すぎる。そもそもオーサーの変装がバレる危険性のほうが高かったはずだ。それを何故言わなかったのかと言えば、たぶんフィッシャーは私のが大切だからだと、臆面もなく言い切るのは容易に想像できる。
では、何故私はあの時に確認しなかったのかといえば、認めたくはないがそれなりにフィッシャーを信用してしまっ炊いたからだろう。アレだけ騙されたというのに、自分のそのお人好しさ加減が嫌になる。
私の隣をディが追い越し、テーブルの上に煮えたぎる緑の液体が入った鍋を置いたのを見て、私も足を進めた。更に私を追い越したハーキマーさんが、テーブルの上に野菜の詰まったサンドイッチを置く。それから、二人は迷うことなく空いた椅子に腰を下ろした。
右からディ、フィッシャー、イェフダ様、ハーキマーさんが座った後で、私はやっと口を開いた。
「私の席がない」
そう呟くと、フィッシャーはにっこりと微笑んで、私に向かって両手を広げてみせる。
「おいで」
何故そうなる。問答するのも疲れるだけなので、私はハーキマーさんに向き直った。
「ハーキマーさん、椅子借りていいですか?」
「アデュラリア嬢さえよろしければ、この椅子をお使いください」
余談であるが、フィッシャーとイェフダ様の椅子は、ディやハーキマーが座るものよりも少しだけ高価そうにみえた。ディ達が座っているのは小屋の中から持ってきたものにみえるが、二人のはテーブルとセットで使うもので、背凭れまで付いている。
席を立とうとするイェフダ様を片手で制し、私はその腕を真っ直ぐに伸ばしてフィッシャーを指す。
「違います。ハーキマーさんに借りた椅子を使うのはこの変態ですから気にしないでください」
私がきっぱりと言い切ると、フィッシャーは少し考え込んだ後で手を打ち合わせた。
「私の温もりのある椅子がいいと」
「冗談も大概にしやがれよ、賢者サマ?」
どうしてそういう発想に行くんだと私は笑顔で拒絶し、この間にラリマーが小屋の中から持ってきてくれた丸椅子に座った。その後で、あ、と気付く。
「ラリマーの席もないわ」
「私は執事ですので」
間髪入れずに一緒の席にはつけません、と言うラリマーを無視し、私は座っていた椅子を彼女に渡した。
「じゃあ、これ使ってよ。てか、持ってきたのはラリマーだもんね。ハーキマーさん、椅子もう一個借りますー」
私はハーキマーさんからの了承を聞かずに、小屋へと軽い足取りを向けた。後ろから、ハーキマーさんの笑い声と了承の声を聞き、私はひらひらと片手を振って応える。
小屋の入り口までは数歩で、そこに立っても吐き気が襲ってこなかったことに、私は小さく安堵の息を漏らした。
それから、小屋の中へと足を踏み入れる。この小屋は先日も思ったが妙なつくりをしていた。入口を入ってすぐは通路で、その中に区分されて部屋がひとつ、部屋の向こう側に入院用のベッドのある部屋がひとつあるだけだ。廊下から入る最初の部屋は主に客用だろう。壁一面の施錠された薬棚とその処理道具以外の物は閑散としているが、ハーキマーさんの性格を示すようにどこか温かみを持ち、それでいてきちんと全てが整頓されている。
部屋の中央に立ち、私は空き放たれたベッドのある部屋から柔らかに吹き込んでくる風の方向を見つめていた。
以前にここへ来た時は、オーサーが一緒にいた。それは私が無理矢理にオーサーから離れようとして、彼が負ってしまった怪我の治療をするためだった。そういえば、何故あの時賢者の屋敷が破壊されたのだろうか。刻龍の頭領である賢者の屋敷が破壊されるなんて、いくら私の信頼を得るためとはいえ、やり過ぎだ。それに、フィッシャーならば他にいくらでもやりようはあったはずなのに、何故ーー。
「アディ」
「ぅひゃっ」
背後からいきなり声を掛けられて、私の口から変な声が出た。振り返ると、ディが可笑しそうに口端を歪めている。
「椅子なら俺の使え」
「え、いやいや、それには及ばないデスよ」
何故か敬語になってしまったのは、自分でも無意識の事だった。
「いいから、戻ってメシを食え」
ディの言葉で私は食卓の上のメニューを思い出し、そういえばと疑問を口にする。
「ね、ディはハーキマーさんと一緒に旅してたんだよね?」
「あぁ」
わずかにディの表情が曇った気がしたが、私はそのまま続けた。
「食事とか、ハーキマーさんが作ってたの?」
肯定が素直に返されるかと思いきや、ディの表情は私の目の前で見る見る青ざめていった。
「い、いや、町にいるときは宿の食堂とか、料理屋とかだな。他は、一応俺が怪我とか病気してない限りはやってたぜ。……あいつが作るとわけわからん薬草が……っ」
「ディ?」
「あいつの料理はよく腹下したり、妙な発熱やら、しびれやら……っ」
それってハーキマーさんの被検体だったじゃ、と思っても口には出さず、私はディに背を向けて診察用の丸椅子を手にした。それを持って、まだ青ざめているディの隣を通り過ぎて、廊下へと出る。
「あはは、でもさー、そうできるぐらいにはお互いに気を許してたってことでしょ。それっていいよね」
「あ? おまえ、自分がなってないから言えるんだろうけどな、あいつはーー」
後からついてくるディがそれに反論する。その慌てた様子も、私には微笑ましく映る。
「ハーキマーさんって、その頃からきっとディのことが好きなんだねぇ」
ついてきていた気配が止まった気がして、私は足を止めて振り返った。案の定、足を止めたディが、真剣な目で私を見つめている。
「唐突に何だ。それにどこをどうみて」
「どこって言われても分からないけど、なんとなくディには遠慮ない感じがするよ」
私とオーサーみたいな、そんな遠慮のない関係な気がする、と私は思った通りのことをそのまま言葉にして口にした。今ここにいたら、オーサーはなんというだろうか。そう考えたら、自然と口からは小さな笑いも零れてきた。
「全てが終わったら、ディはちゃんとここに帰ってきてあげてね」
それは私の本心からの声だったはずだ。だって、私は残される哀しさを知っている。別れの寂しさも知っている。だから、もしも本人がそれを望むのなら、そうすべきだと思うのだ。
だけど、言葉にして口にしてみたら、自分の中にある置いていかれる感情が強く引き出されてしまって。私はその顔を見られないように、ディに背を向けていた。
弟と思っているオーサーを置いていくのだって、離れるのだって、私にはとてもつらい選択だった。ただそれ以上に危険の只中に置きたくなかったから、彼から離れようとしていただけで、何もなければ、ずっと一緒に居たかったという想いは今でも変わらない。
ハーキマーさんとディを見ていると、二人の気安い関係が透けて見えてしまって。だからこそ、二人には一緒にいて欲しいと思ったのだ。ーー私とオーサーの代わりに。
「馬鹿いうな」
私の視界を唐突に太い腕が遮った。
冷たい甲冑に頬が当たるけれど、包み込む優しい温もりが、泣いている私の心に触れてくる。
「俺はおまえに騎士の誓いを立てた。おまえが生きる限り、俺は」
「ディ・ビアス」
私はディの言葉を遮り、あの時一度聞いただけの彼の名前を強く呼ぶ。驚いた様子でゆっくりと彼の腕が私から離れるのを感じても、私は彼を見上げずに続ける。
「私はあなたの探す、女神の眷属、ではないよ」
何度も繰り返した言葉を、私はディに向かって、もう一度繰り返した。
「私は女神の眷属じゃない。だから、この旅が終わったらお別れだよ」
「だが、俺が誓いを立てたのはアディ、おまえだ」
確かにディの言うことそのものは事実で、騎士の誓いは特別なものだと私も聞いている。でも、絶対じゃないはずだ。何かしらの抜け道はあるだろう。そうでなければ、間違いを正すことさえ認められないなんて、そんなのは女神の誓約にしては横暴すぎる。
「終生仕えると」
「私は名もない村のただの女で、騎士を養うほどの金もない。今も村長の家のただの居候で、出来る事といえば手伝いぐらいしかなくて」
その上、私は今更ながらに気が付いてしまった。
「私、何もディに返せるものをもってない。仕えてもらうほどの人間じゃないんだよ」
人には分というものがある。それでみれば、私は自分にそこまでの価値なんて見出せない。私が持っているのは最後の女神の転生の記憶だけで、拳闘士としてもっている技とて、剣士のディやフィッシャーの魔法に比べれば話にならない腕前だ。もしかすると、ラリマーの札よりも劣るかもしれない。
「今まで、私とオーサーを守ってくれたことに感謝もしてるし、たぶんまだディの力が必要だと思う。だけど、この旅が終わった後は、きっと命を狙われることもなくなるし、危険もなくなるはずだから、」
だから、ディの力はいらないのだと。口にしようとしたが、私の言葉は声にならなかった。
「余計なこと考えてんじゃねぇ」
私の口を塞ぐ大きな手の主を、目だけで見る。俯いたディの表情はよく見えないけれど、搾り出すような声が苦しさを伝えてくる。
「俺が勝手に、アディに仕えてんだ。他の、終わった後のことなんて、考えんじゃねェ」
「ハーキマーのことだってそうだ。あいつはただの旅仲間で、俺はあいつを女だと思ったことは一度もねェよ」
私をまっすぐに見つめてくるディの目も、耳元にかかる彼の息も息苦しくなるほどに熱く感じる。
「俺が守りたいと思ったのはおまえだけだ、アデュラリア」
背筋を何かが這い上がる、ぞくりとした感覚と共に、私の脳を痺れさせるほどの衝撃が襲ってきて、寒くもないのに身体が震える。いや、身体じゃない、心臓を掴んで引き寄せられるような、そんな強い想いの力が、怖くて。
「や……っ」
自分の中の理由の分からない感情に怯え、私は力任せに手を振り払った。拍子で腕か拳がガツンとディの顔に当たった気がするけれど、確認する余裕もないままに、私は場を駆け去る。椅子を持ったまま小屋を出て、私はすぐに裏手へと走りこんでいた。
「っ!」
力任せに椅子を投げ捨て、私は震えの収まらない自分の身体を強く抱きしめる。高ぶる感情に押し出された雫が眦を滑り落ちるのを、強く目を閉じて堪える。収まらない私の感情に引き寄せられるように強い南風が吹き、畑に息づく葉をざわめかせ続ける。
「嫌だ、オーサー……っ」
近くにいないとわかっていても、私は大切な弟の名を呼ばずにはいられなかった。けれど、その呼び声は乱れ狂う風の音にかき消され、私自身の耳にさえ届かない。
旅に出てから、オーサーは徐々に弟という枠組みからはみ出してきてはいたけれど、それでも私にとっては弟のままだ。どれだけ甘い言葉を囁かれても、私自身にはそこまでの感情を揺らす事にはならなかった。
それなのに、ディの言葉ひとつで、私はこんなにも弱く逃げ出したい想いに駆られてしまう。両者の違いは、今や私にとっては付き合いの時間だけでしか無いことは、自分でもわかっていた。
オーサーは大切な弟で、ディも私にとってはただの仲間だ。どちらにも甘い関係なんて私は望んでいない。ただそのまま変わらずにあってほしいと願っているだけなのに、どうしてこんな風に簡単にそれを壊そうとするのだろう。
「何かありましたか、アデュラリア嬢?」
少し離れた位置からかけられた穏やかな声に驚いたが、私は振り返る前に乱暴に目元を拭った。今の私は、誰かに見せるような笑顔なんで持ち合わせていない。
「な、なんでもありません、イェフダ様」
私がそんな風にごまかす笑顔を向けると、イェフダ様は柔らかに笑んだまま、白い絹のハンカチを私の顔に押し当てた。
「水」
聞いたことのない不思議な響きをイェフダ様が紡いだ後で、絹のハンカチが湿り気を帯びる。そういえば、この人も札を使うのだと、その時にやっと私は思い出した。普段はかれ札を使うまでもなく、ラリマーが全て終えてしまうからだ。
ハンカチをよく見ると、そこには模様に見立てて図形のような文字のようなものが描いてある。オーサーやラリマーとはまた違うタイプの札士なのだろう。
私がイェフダ様を見上げると、彼は少し照れたように頬を染めていた。
「少し冷やしたほうが良いでしょう。でなければ皆が貴女を心配します」
何故イェフダ様がここにきたのかとか、どうして何も聞かないのか、といった疑問はいくつも浮かんだけれど。
「……ありがとう、ございます」
私はただ彼の小さな優しさに甘え、ハンカチに顔を押し当てるだけに留めた。