30#よくある目覚め
久しぶりすぎて、忘れられているんじゃないかとヒヤヒヤしています。
他が一段落したので、こちらを再開したいんですけど……色々と大丈夫だろうか、私……。
暖かな闇に抱かれて、私は心地よい眠りの中にあった。それが、私の古い名前で私を揺り起こす声に導かれて、ゆっくりと目を開ける。徐々に体に戻る感覚は陽射しの温かさを感じ取り、開いた瞳の向こうには抜けるような青空が映る。こんな空を見たのは村を出て以来かもしれない。
ひゅうと風が吹き、私は身体をぶるりと震わせた。
「……寒っ」
体感温度を感じられるということは、無事に体に戻れたということなのだろうか。試しに自分の目の前に手を持ってくると、見慣れた手相が目に映る。
一瞬の間の後で、即座に私の上から大きな布が覆いかぶさってきた。かと思うと、外側から強く抱きしめられて、かなり苦しい。しかし、闇の中では何がおきているのか分からない。
「誰なの?ディ?オーサー?」
それでも敵意がないこと、知っている気配であること、それから私を布越しに包む体が自分以上に震えていることから、私は柔らかく問いかけた。
「ねえ、何がどうなったの? 私、聞きたいこといっぱいあるんだけど」
何度問いかけても私を抱く腕は緩まず、がっちりと捕らえられたままだ。寒いのはどうにかなったが、今度は腹がすいてきた。どうしたらいいだろうと私が途方に暮れかけた時、唐突に私は布ごと開放された。急な光を受け取った瞳を反射的に閉じ、私が次に開くと目の前には薬屋のあの女性がいて、足元ではディが蹲り、背中を擦っている。
私が座っている台は、表面を平らに切り取った巨石だ。どのぐらい大きいかというと、私が横になっても余りあるぐらいの横幅があり、座っている私の足が地面につかなくて、立っている薬屋の女性の腰ぐらいまである高さだというぐらいだ。蹲っているディの身体は、私が少しだけ身を乗り出さないと全体が見えない。その大きな石の上に葦で編んだ敷物を敷いて、私の身体は寝かされていたようだ。私の頭があった位置のすぐ上には、黒い燃えカスと微かな煙が立ち昇っている。
「具合はどうかな、お嬢さん?」
「あ、はい。スッキリしてます、けど」
私がぼんやりとしつつも反射的に返すと、最初に薬屋の彼女と出会ったときとまったく変わらない応答をしてしまった。薬屋の女性もそれに気づいたらしく、私たちは二人同時に吹き出してしまう。
「ということだよ、皆さん。人を当てにするなら信用して欲しいもんだよな、まったく」
半身を返して薬屋の女性が振り返ると、草を踏む足音と共にフィッシャーとオーブドゥ卿が苦笑しつつ近づいてくる。その頃にはディも回復し、私の前に立ち、大きな手で私の頭を撫でてきた。
「信用してるから、ハーキマーに賭けたんだろうが。本当になんともねぇな、アディ?」
私は両手を二、三度開閉し、首を左右に動かし、腕を回して、どこにも痛みや違和感がないことを確認してから頷く。
「むしろ調子いいくらいだよ。今ならここからイネスまで走り抜けられそう」
「馬鹿言うな」
ここがもしも薬屋の家であるなら、イネスまでは馬を使っても半日かかる距離だ。流石に言いすぎだと自分でもわかっているだけに、私は苦笑いする。だけど、私がそうでも言わなければ安心してくれなそうな顔をしていると、彼らは自分で気づいたらいいと思う。
極自然に石から降りようとした私だったが、その前に軽々とディに抱え上げられてしまった。
「わ」
「中に入って話そうぜ。ここじゃアディが冷えちまう」
「へー、優しいんだー?」
薬屋のからかう声にディは返答をすることはなく、顔を顰めたままに歩いていって小屋の戸を開ける。とたんに中から薄荷系の香りが溢れ、私は吐き気を感じて、口を抑えた。このまま進めば、吐いてしまいそうなのは明白だが、止める以前に早くも限界を感じてしまい、私はディの腕の中で身動きがとれない。
「こらこら、話なら外でも問題無い。これから日も暖かくなるばかりだからな」
それを止めてくれたのは、追いついてきた薬屋の彼女だった。どう云う状況か見る余裕はないけれど、ディの身体の震えで、なんとなく止まったことはわかる。わかるけれど、そこから彼が動くこともないので、吐き気は変わらないままだ。
「ああ、折角だから、今日は外で食事にしよう。お嬢さん、好き嫌いはないな?」
ディの体の向きが代わり、外の空気が目の前に広がった私は、自然なそれを思いっきり貪る。吐き気は徐々に収まり、なんとか顔をあげる余裕もできた。
だから、下ろしてもらおうとディを見上げた私は、少しして首を傾げることになった。だって、ディがひどく動揺した顔で私を見つめていたから。
「……ディ?」
私が名を呼ぶと、巨体をかすかに震わせ、ディは私を地面へとそっとおろした。
「……悪ィ、頭冷やしてくるわ」
「ついでに魚も取ってきなさい」
「へいへい」
私の視線を避けるようにするディを止める言葉を探している間に、さっさとディはいなくなってしまった。彼の歩いていった方向をじっと見つめる私の肩に、軽く薬屋の手がかけられる。
「おい、そこのー……、賢者と連れ! テーブルセットの準備は任せたよっ」
相手からの返答も聞かず、そのまま彼女は私の肩を押し、移動を始める。どこへ連れて行くのかと思いきや、小屋の反対側だ。そこは小さな畑になっていて、整然と並んだ畝に等間隔に苗が並んでいることや、余分な雑草がほとんどないことから、手入れを小まめにされているのがわかる。
「ちょっと待ってな」
そう言い置くと薬屋は畑に入り、程なくいくつかの葉を取って戻ってきた。彼女はそれらを両手で束ね、捏ねる。葉は乾燥気味だったらしく、パリパリとした音を立てて崩れ、彼女が手を開いたときには乾燥海苔を細かくしたもののようになっていた。
「口を開けなさい」
言われるままに私が口を開くと、あごを掴んで上向かされ、パラパラとしたそれを食べさせられる。味はない。
「な、何?」
戸惑いながら私が問いかけると、薬屋は穏やかな目で小さく笑った。
「お嬢さんの精神は悪い賢者の魔法で無理やりに引き剥がされたから、特別な薬草とある特殊な技術がなければ二度と目を覚まさない所だったんだよ。で、その特別な薬草には強い副作用があるから、今のはそのための薬だ」
庶民にはアフターケア万全で良心的な薬屋で名前が通っているんだ、と微笑まれたものの、私には困惑することばかりだ。
悪い賢者ってのはおそらくフィッシャーで、彼の使った精神を引き剥がす魔法というのは、古の魔法使いの呪文を解読したものだろう。目覚めさせる魔法までは解読が済んでいなかったから、薬屋の怪しい薬に頼った、というところだろうか。
そもそもフィッシャーたちは、彼女を嫌っているのではなかっただろうか。それなのに、彼女の手を借りるとか、意味がわからない。
混乱しつつ、私は薬屋の彼女に問いかけた。
「特別な、薬草?」
「――処方を少しでも間違えれば廃人になる高価な薬さ」
それに対し、薬屋の彼女はとても怪しい瞳で私に囁き、笑ったのだった。