27#よくいる訪問者
オーサー視点に戻りますー。
女王を模る駒を手に斜めに三つほど進めた僕は、透明と白を交互に八マスずつ描いた盤上から顔を上げる。何というわけでもなく、ただ呼ばれた気がしたのだ。目の前で真剣に盤上を眺めているシャットヤンシー様は気づいておられないようだが、傍でみていたナルは僕の様子に直ぐに気付く。
「どうしたの、オーちゃん?」
ナルの問いかけで気づいたシャットヤンシー様も顔を上げ、僕に目線で疑問を投げかけてくる。
気のせいだろうか、と心の中で僕は問いかける。この二人以外に部屋に人はいないし、二人とも何か聞こえたという様子はない。
「女神にでも呼ばれたかい?」
優しげなシャットヤンシー様の問いの意味を考え、僕は溜息を付きたい気持ちで首を振って、微笑んだ。
「いいえ」
女神に呼ばれた、というのはただの慣用句だ。悪い意味では死出の迎えでもきたか、という意味もあるが、ここでの意味はもちろん違うだろう。シャットヤンシー様はアディに呼ばれたような気がしたかと訊ねておられるのだ。
「シャットヤンシー様はこちらに長くいらしていて、よろしいのですか?」
「ああ、いい」
さらっと僕に返された言葉をナルが笑う。
「シャトーはね、帰還の宴という名目の縁談の席から逃げてきたのよ」
「縁談?」
僕がそれを聞き返すが、その前にシャットヤンシー様は、ナルを不機嫌に眉根を寄せて、口を曲げて、睨みつけた。
「人のことを言えるのか?」
「だって、アタシには関係ないもーん」
僕がナルを見上げると、その視線に気づいて彼女は秀麗な眉目を顰める。
「大体人のことをイケニエにして逃げた人の言うことじゃないわよね、オーちゃん。シャトーの代わりにどれだけアタシが引っ張り出されたと思ってるのよ」
「普段どれだけ僕がナルに振り回されてると思ってるんだ。これぐらい引き受けてもらわなきゃ割に合わないよ。なぁ、オーサー?」
「振り回されてなんかくれないクセに言うわねっ」
問いかけているようで、すぐに言い合いに戻ってしまう二人を前に、僕は小さく諦めの息を吐き出した。アディと似たようなやりとりもするので、こういうのは口を挟まないに限る。
アディは今どうしているだろうかと、窓からしか見えない空に僕は想いを馳せた。別れてから、もう三日経った。ディがいるから、きっと無事であると信じてはいるけれど。
「チェック」
シャットヤンシー様の宣言に僕は慌てて盤上を見る。確かに勝負は終盤であったけれど、そんな手はあっただろうか。
「え、ず、ずるいですよっ」
「勝負の最中によそ見はだめよ、オーちゃん」
ナルに笑われながらも僕が真剣に盤上を見つめていると、来訪を告げる静かなベルの音が室内に響き渡った。
ここは大神殿の最奥に辺り、来ることが出来るものは限られる。そもそも部屋の扉自体が特殊で、女神の力がなければ、酷く重たいのだという。その話をナルから聞いたときは何度か彼女を見返したものだ。だが、例によって、追求不可能な笑顔に阻まれ、僕はそれを口に出せないままでいる。
ナルから、アディのような気配を感じたことはない。ずっと幼い頃から隣にいたのだから、それははっきりと断言できる。
さらに神官が女神の力を行使できると言っても、その力を常に宿しているわけではないことも知っている。彼らは都度祈りの力で女神に力を借りるらしい。だが、
まさか、ナルみたいな長身とはいえ細身の女性が怪力とか、普通はありえないだろう。そもそも女性が神官という事自体が異例だとしか思えない。王族だからなのだろうかとも考えているが、それも訊ねてはいけない雰囲気なのだ。
「誰が来たんだ、ナル?」
「んと……アタシのお客様みたい、ね」
「なぜここに?」
「大方、アタシがオーちゃん……じゃなかった、女神の眷属様の身柄を預かってるのを聞きつけたんでしょ。あ、中には入れないから安心して?」
僕にウィンクして、ナルはあの重い扉を軽々と押して出て行く。
「話をつけてくるから、二人とも部屋から出ないように」
出ないようにと言いながらも、ナルはドアの隙間にレンガを一つ挟んでから、出て行った。その隙間程度では出ることは出来ないのだけれど。
「……シャットヤンシー様、これって」
「オーサーは札士だったね。拡張の札はあるかい?」
「ないです」
「じゃあ、僕がやるか」
シャットヤンシー様が長い詠唱を終える頃、遠くで聞き取れないほど小さかったナルの声が、急に大きく聞こえるようになった。
「何しにきたのよ、叔父サマ」
ナルが不機嫌そうに言うと、初老の男性が不機嫌そうに言葉を返す。
「またそのような言葉を使いおって」
その声を聞いた瞬間、シャットヤンシー様は表情を硬くした。僕にはナルが話している相手を見ることはできないけれど、ナルの姿を見ることは出来る。
「どんな言葉を使おうと、アタシの勝手でしょ」
扉に描かれた女神にも遜色ないナルの端麗な眉目が顰められるのは、それだけでも人に威圧感を与えられる。だが、それに気圧されることもなく、相手は息を吐き捨てていた。
「勝手ではない。お前は次の王となるのだ。そのような言葉を使っていては、臣下に示しがつかぬ」
「……懲りないクソ爺ね。アタシは王の器じゃないって何度言えば、そのカラの頭が理解できるのかしらー?」
額に青筋を浮かべながらも、ナルはにっこりと作り笑顔を形作る。
「で、要件は何よ、クソ爺。女神サマにだったら取り次がないわよ」
これで話は打ち切りだとナルは言外に宣言する。相手も長話をするつもりはないのだろう。少しの間を置いて、苦々しく口にした。
「数日中にリュドラントが攻めてくる。用意しておけ」
相手は言うだけ言うと、さっさと踵を返して行ってしまったようだ。遠ざかる足音の主を怪訝な目で見送っていたナルは、何かに気がついたように大きく声を張り上げた。
「アークライト様はどうなさったのよ、叔父サマ! 彼女がいる限り、リュドラントは攻めてこないはずでしょう?」
ナルが口にしたその名前は、僕のような一般庶民でさえも聞いたことがあるものだ。この国の元王女で、女神に最も近いと言われるほどの人格者で、数年前に隣国リュドラントとの調停を自ら買って出て、嫁いていった女性だ。
ナルの質問への返答は、たった一言だけ。
「アークライト妃はおらぬ」
「はぁ!?」
「おまえはその戦で必ず王位を奪い取るのだ、ナルサースク」
言うだけ言って、ナルの話していた相手の足音が遠ざかっていくのを、僕とシャットヤンシー様はただ静かに聞いていた。
初稿
(2009/02/20)
(2009/02/26)
改訂。
あと一話ぐらいで、オーサーの話は終わりにして、アディに戻ります。
(2012/04/04)