25#よくある事情
アディを眠らせてから、僕が神官兵に引き渡されるまでの間に、僕とフィッシャー様との間である遣り取りがあった。アディの髪をわずかに切り取り、それを媒体にして僕にアディの気配をほんの少し被せるという魔法をこともなげに行う賢者は、本当にすごい人なのだと感心するばかりの僕にフィッシャー様は一通に手紙を託してくださった。
「これをシャットヤンシーという神官に渡してくれ」
大神殿に行く次いでに、とフィッシャー様から渡された手紙は封をされていたわけではないのだけれど、僕はそのまま袖口に隠すように仕舞う。
「お知り合いですか?」
僕の問いかけに、フィッシャー様は少しの思案の後で不服そうに返してきた。
「万年三位」
「え?」
フィッシャー様の足りない言葉を、苦笑交じりにイェフダ様が補足する。
「私たちの学友で、同期なのですよ。彼もあと一年違っていれば、常に首位でいられたのでしょうけれど、フィスと私がいる代では可哀相でしたね」
この国にある王立学院で学んだ仲間なのだとおっしゃっているが、そこで首位がフィッシャー様、次席がイェフダ様というだけでも本当に驚く。僕は噂程度しか知らないけれど、器の魔力量の他にかなり難しい筆記試験をクリアしないと、どれほどに金を積んでも入学することができないと言われている大陸一の学校が王立学院だと聞いている。
「ま、私は千年に一人と言われる天才だからな」
当然だろうというフィッシャー様はともかく、あまりイェフダ様はそう見えないだけに意外だ。あまりに僕の視線が語っていたのか、困ったような顔でイェフダ様は言った。
「一応、シャトーも十年に一人といられるほどの力をもっていますし、その他にも融通がいろいろと聞きますから。もしもバレても諦めてはいけませんよ、オーサー君」
もちろん、僕はアディが殺されるかもしれないから、身代わりに行くわけだから、そういう覚悟だってしていた。でも、口に出していないそれはどうやら二人にはお見通しだったらしい。
「アデュラリア嬢のためにも、必ずまだ生きて会いましょう」
扉の前で差し出された手を前に僕が戸惑っていると、イェフダ様はしっかりと両手で握りしめてくださった。
その時の言葉を思い出して手のひらを握り込む僕の前で、見覚えのある神官服の男が穏やかに笑う。
「僕はシャットヤンシー=クラスターと言います」
その名前に僕は思わず後ずさりしてしまって、いつのまにか直ぐ後ろに立っていたナルにぶつかってしまった。
(クラスターって、え、ええー……)
うちの村は名前がないほどに小さな村で、神殿からたまに神官が来るぐらいしかない辺鄙な場所にあって、そんな場所にきた人が実は王族でなんて。何の冗談だと言いたくなるのを、僕は口を押さえて、辛うじて堪える。
「それで、女神の眷属殿は手紙を預かっているよね」
差し出された手のひらはペン胼胝が出来ている以外は荒れた様子もない。あえて言うなら、指が少し長いから大きく見えるのかなと、どうでもいいことを考えてしまう。
「おーい」
「あらあら、吃驚して声も出せないって感じね」
クスクスと笑うナルの声が上から降ってきて、僕は慌てて手紙を引っ張り出し、頭を下げて差し出した。
「こここ、これです!」
「ん?」
「あらー?」
声に出してから、僕は慌てて自分の口を抑えた。アディに扮している時はできるだけ高い声にしていたのだが、驚きのあまりに地声になってしまったらしい。ナルのときは隠しおおせたのに。
黙っているわけにもいかないな、と僕は諦めてヅラを外して、まっすぐにナルとシャットヤンシー様を見上げた。
「あの、僕はアディの幼なじみで、オーソクレーズ=バルベーリと申します。オーサーとお呼びください。アディの身代わりとして来ました」
その後のナルのがっかりした顔を僕はなかなか忘れられないだろう。
手紙を受け取ったシャットヤンシー様は苦笑しながら、読み上げてくださった。内容は簡潔で、僕をアディの身代わりにして時を稼ぐようにと、ただそれだけだ。いつまでと書いていないが、読み終えたシャットヤンシー様は彼らしいと小さく苦笑を零した。
「つまんなぁい」
一方でナルは不貞腐れた様子で、秀麗な顔を歪めている。具体的に言うと、両眉が不機嫌にわずかに上がり、瑞々しい小さな口元をアヒルのように突き出している。
「ま、妥当な線だな」
苦笑しているシャットヤンシー様を軽く睨みつけてから、ナルは息を吐く。その不満そうな視線が僕に移ってくる。
「オーちゃんもかわいいけどぉ、アタシとしてはやっぱりお姫様、で、遊びたかったなぁ」
女神なんて変身させ甲斐のある素材なんてなかなかないのよと、ブチブチ文句をいう様子のナルに僕は小さく肩をすくめた。仮にアディが来たとしても、素直に遊ばれてはくれないだろう。僕だって、もっと女の子らしい格好をさせたいが、アディはいつだって余程の理由がなければ、着てくれないのだ。
「アディは女性らしい服装が好きじゃありませんから、難しいと思いますよ」
「オーちゃんでもいいのよー、よく似せてるんでしょ?」
確かに、僕はずっとアディに似るようにしてきたから、似ているかもしれないけれど。
「お断りします」
僕が笑顔で言い切ると、ナルは何故だか小さく笑った。
「せっかくアディちゃんが来るっていうから、いーっぱいお洋服用意しておいたのに。なんで、代わりが来るって、シャトーもアタシに教えないのよ」
「敵を欺くには味方から、て以前に言ったのはナルだよ」
「だからって、アタシの楽しみを先延ばしにする理由にはならないわよっ」
ナルは怒っているのに、どこかほのぼのとした遣り取りに見えるのは、シャットヤンシー様が穏やかに微笑んでいるからだろうか。それにしても、王族のナルとシャットヤンシー様は兄妹なのか姉弟なのか。そして、僕はどうしたらいいのだろうか。
「それにシャトーだけじゃなく、イフやフィスまで先に会ってるなんてズル過ぎよっ! 女神に関しては抜け駆け禁止って約束したじゃないっ」
「ははは、僕らの誰がそんなものを守ると?」
昔からそうだろうとシャットヤンシー様に言われたナルは、ますます口を尖らせた。それを軽く笑った後でようやくシャットヤンシー様が僕に向き直ってくれる。
「さて、オーサー君も色々と聞きたいことがあるようだけど、今夜はもう遅いし、僕も戻ったばかりで疲れてるし、眠いし」
これ見よがしに大きな欠伸をし、シャットヤンシー様は扉へ向かいながらナルを手招きする。
「この部屋は自由に使ってくれて構わない。もともと女神のために誂えられているから魔法を受け付けない造りにしてあるし、城よりはよっぽど安全だよ」
入るときは片手で押した扉を、ナルは両手をかけて開いてゆく。
「ホンモノが来るまでは極力外出を控えること。必要な物があったらナルに頼みなさい」
シャットヤンシー様は僕に口を挟む隙も見せず、ナルと二人で部屋を出て行ってしまった。
残された僕は二人の出て行った扉の前に立つ。最初はナルがしたのと同じように片手で押すが、開く気配もない。次いで、両手で渾身の力で押してみてもまったく動かない。僕はいくらアディに似せているとはいえ、普段は父さんやヨシュや、村の男達に鍛えられているのだから、それなりに力に自信もあったのだが。
首を上げてナルが軽々と開けた様子を僕は思い浮かべる。入る時は片手で、出てゆくときも両手とはいえそこまで力を使っている様子はなかった。女性のナルに開けられるのに、僕にはびくともしないなんて。
僕は自分の両手を見つめる。まだ刻龍に襲われた怪我は完治しておらず、足手纏いになるのも目に見えていた。それもあったからこその身代わりだ。今のアディの側には心強い仲間もいるし、彼等には自分とは違いアディを守るだけの力だってある。僕とは違って、本当に強い人達で、信頼できることだって、旅をしていてわかっている。
だから、こんなことで僕が落ち込んでいる場合じゃないことだって、わかっているんだ。
「……寝よう」
部屋の隅に設置された簡素なベッドに僕は身を横たえた。清潔なシーツと清潔な毛布に包まっても、あまり暖かくない。僕の閉じた目蓋の裏にアディの笑顔が浮かぶ。彼女なら、こんなときどうするだろうか。
自分の愛する少女を思い浮かべながら、僕は意識をまどろみに委ねた。
>>追記
初稿
(2009/02/06)
(2009/02/17)
改訂。
なんかこう、オーサーだけでちゃんと書こうとしたことを既に後悔してます……。
いや、ナルをいっぱいだせるからいいんですけどね。
(2012/03/08)