23#よくある逃亡
窓の外が南瓜のランタンに灯された炎色に染められていく中で、一つ、また一つと白銀の魔法の灯火が点るのをみて、私は部屋の時計を探した。ぐるりと室内を見回し、目的のものを見つけると、如何にも貴族らしい、野辺に咲く黒百合色のよく磨き上げられた柱時計が地の底から響くような音を立てるところだ。
ボーン、と鳴る音の数を数えずに、大きな音を立てて私は席を立っていた。弾みで椅子が倒れ、スカートがひらりと舞うが、気にする余裕もないほど顔色が青ざめるのを自分でも感じる。
「これ、街灯じゃない……っ?」
先ほどランバートの郊外だという説明を受けたばかりであるが、それにしても不自然すぎる光の影の揺れ動き方は、人の持つ灯りに見える。つまり、今現在この屋敷は囲まれていて、聞いたとおりならば大神殿が私を捕まえにきたということで。窓際まで確認に走りだそうとした私を、後ろから大きな影が柔らかく抱きとめる。
「落ち着け、アディ。単に神官兵に囲まれてるだけだ」
頭の上で冷静にディが言うので、私は周囲を見回し、他の者達にも目で問いかける。それはどう考えても、全然落ち着ける状況ではないはずだ。
「案外早く嗅ぎつけましたね」
オーブドゥ卿が古地図を丁寧にまとめながら言い。
「遅いぐらいだ。私ならあと三日は早い」
偉そうなのはフィッシャーで、私に向かって宥めるようにオーサーが大丈夫だと言う。つまり、こうなると私以外の者は全員わかっていたということだ。
私が走りださないのを察したディが拘束を解いてくれる。
「アディ、君が女神の眷属ということは既に僕らが村を出る前に、大神殿まで伝えられていたんだ」
オーサーの言葉に眉をひそめる私の頭を、ディが軽く叩く。
「村で最後に魔法を使ったのはいつだ、アディ?」
「え?」
「新しい神官が来た前日の事、覚えてる?」
オーサーに言われて、私は何があったか記憶を辿った。そう遠い出来事ではないはずなのだが、旅に出てからいろいろありすぎて、ずいぶんと昔のことのように感じる。
「ファラとかなり大きな魔法実験してたよね」
記憶と共に嫌な汗が、私の首筋を通り抜ける。
魔法実験というか、練習というのは元々行っていたことだし、一応人に見られなければという条件つきでマリベルに了承はもらっている。いざという時に自分の身を守れるように、と。それでも、人には決して見られないようにと言い含められたはいたのだけど。
「僕を除け者にしてさ、かーなーりー大きな実験してたよね? 焦げた髪を母さんにばれないように、僕に切りそろえさせたりしたよね」
話しながら近づいてきたオーサーが手を伸ばして、私の髪の一房を手にし、それに口付けながら、私をまっすぐに見つめてくる。
「忘れたわけじゃないよね?」
「……わ、忘れてるわけないわよ。私、まだボケちゃいないもの」
焦りながらの回答を返すと、少しだけ切なそうなオーサーの手から、サラリと私の髪は手放された。
「魔法の実験って何してたんですか?」
オーブドゥ卿がまとめ終えた地図をフィッシャーが手にしながら、聞いてくる。
何、と聞かれてもなんと答えたものやら。実際、大した魔法じゃないはずなのだが、いろいろと偶然が重なって、暴発してしまっただけだなんて言って、信じてもらえるだろうか。
「フィス、その話は後にしてください」
私とフィッシャーにオーブドゥ卿が割り込んでくれたのには、この時ばかりは本気で感謝した。オーサーも知らない魔法実験について、ここでこれ以上話したくもないし。
「アデュラリア嬢、その魔力反応を神殿で多くのものが感知したのです。だから、すぐに刺客が放たれました」
だから、村を出て直ぐに私は刻龍に襲われたのだとオーブドゥ卿は言うが、まさか自分の魔法実験が全ての原因とは思っていなかっただけに、私は反応に困ってしまった。
「おかげで刻龍の人間も何人か飼われてしまってね。私としては人手不足で、非情に困る。折角のチャンスだってのに、手持ちの札がアレでは非常に使いにくい」
レリックは融通が利かなくていけないとフィッシャーは愚痴のように零しているが、メルト=レリックだって十分強いし、ディがいなければ私もオーサーもここまで生き延びることは難しかった。
「フィッシャーは刻龍の頭領、だよね? なんで、そんなことに」
「それだけ、女神とか女神の眷属ってのは魅力的なんだよ」
ディが言うように確かに女神とか女神の眷属っていうのは、価値のあるものらしい。だが、これだけ世界が女神を拒絶しているのに、本当にその価値があるのかと私は思ってしまう。
女神なんて過去の遺物に、人は支配されたくないだろうし、私も支配したくなんかない。私が望むのは、ただ平凡な幸せなのだから。
「このままアディを狙う連中の真ん中に放りこんでも結果は見えてるし、連中の目を晦ませるためにも一度どうしてもアディは身を隠す必要があるんだと、こいつらは言ってる。アディが眠っている間なら魔力探知をさせないようにすることもできるそうだ」
今大神殿に行っても殺されるだけだというのは聞いたが、私を狙う連中から逃げて、その後どうするつもりなのか。そもそも、私は系統診断を受けるために大神殿を目指しているのに行かないでどうするのか。
私の口に出さない不満を察したのか、フィッシャーが苦笑する。
「そんな顔をしないでください。今直ぐには無理というだけで、必ず系統診断は受けられますから。それよりも今は大神殿の追跡を撒くことの方が重要なんです。死んでしまっては何もならないでしょう」
しぶしぶと私が頷くと、何故かディが私の頭を柔らかく撫でた。なんだ、その子供扱いは。そりゃあ、私はディやフィッシャーから見れば子供に違いないだろうが。
「追っ手をまかなきゃいけないのはわかったけど、魔力探知の無効化なんてできるの?」
誰でも多かれ少なかれ身のうちに魔力を持つというのは、誰でも当たり前に知っていることだ。それを探知するというのは賢者ほどの魔法使いであれば容易なことだし、魔力が大きいものほど探知から逃れることはできないと言われている。
「もちろん、アディが大人しく眠っていてさえくだされば、この私の偉大な魔法でどうとでも」
なんだか怪しいフィッシャーに疑いの眼差しを向けると、彼はひとつ咳払いをして、ラリマーを呼んだ。
「失礼いたします」
ラリマーは私の前に手のひら大の水石を置く。その内部では波紋がゆらゆらと揺れているが、表面は硬いままだ。水石は水鏡とも言われる魔力の固まりだと言われている。望むままの世界の姿を見せるともいわれているが、その用途の全貌は未だ解明されていない。
「石に触れてください、アデュラリア」
フィッシャーに言われたものの、それはここに来る前に彼に騙されたときと非常に状況が似ていて、私は躊躇ってしまう。あの時とは違い、オーサーもディもいるが、それでもこれから何が起こるのかわからないというのは不安だ。
「ただ眠るんじゃダメなの?」
「……アデュラリア嬢、あなたは自分がどれほどの光り放つ力を身にお持ちかご存じないのですか。神職をもつ者か私のような偉大な魔法使いが見れば、村を出てからのあなたは起きている時は真昼の太陽と同じぐらい眩しく、眠っている時でさえフルムーン程に明るい。ただ眠るだけで抑えられるわけがないでしょう」
そんなことを言われたことは一度もなかった。だって、私は普通の魔法を使うことは出来ないのだ。小さな明かり一つ燈すことだって出来ない。
戸惑う私がオーサーと、次いで側にいるディを見上げると、彼は寂しそうに微笑んでから、私の頭を上からぐしゃぐしゃと撫でた。
「何?」
「心配するな」
髪を直しつつ、私は首を傾げる。ディのそれは、遺跡のときとはまた違う感じの反応だ。私から逃げているわけでも、私を避けているわけでもないのに、対応には不思議な優しさが滲む。それ以上何かをディに問いかけてはいけないような気分になり、私はテーブルに向き直った。
「それから、これは私独自のではなく、かの偉大な魔法使いディルファウスト王が女神の眷属であったリンカ妃を護るために創りだした魔法ですから、安心してください」
フィッシャーが私を安心させるためにそう言うが、すでにそのディルファウスト王の転移魔法で酷い目に合っている私にどうそれを信じろというのだろうか。
それでも、彼らが苦労して考えてくれた作戦以上に、私が生き延びる方法はないのかもしれないな、と思わず口元が緩んでいた。それにフィッシャーはともかく、騎士の誓いまでしたディが私を害することは絶対にないだろう。
「アディ」
不安そうに私を見るオーサーを安心させるために、私は意識して笑顔を見せた。
「信じるしかないでしょ。オーサーまで巻き込んで、これで私を狙っているって奴らをまけないようなら、フィッシャーをミンチにするしかないよね」
私の視界の端でひくりとフィッシャーの顔が少しだけ引き攣ったのは、みなかったことにしよう。
周囲の視線に押されるままに、私はそっと水石に触れた。それは熱くもなく冷たくもない。触れた場所から水面と同じように波紋が広がるのが見える。
「虹色の羽」
フィッシャーの言葉と共に、私の足元を中心に風が巻き起こる。
「天の機織」
周囲の風が虹色の輝いてゆく。
「金の鳥籠を構成し、アデュラリアを身のうちに収めよ」
力ある言葉が終わると共に、ゆらりと視界が揺れた気がした。ゆらりゆらり、と水石に映った波紋と同じく景色が揺れる。思わず伸ばそうとした自分の手が急に重くなり、同時にゆらゆらと水面のように景色が揺れる。自分が揺れているのか、周囲が揺れているのか。目の前の景色が、どんどん遠くなる。
水面の向こうに見えるのは、力をなくした私を大切そうに抱きとめるディ。それから、近寄ってきたオーサーが不安そうに私の手を握っている。それから、蒼衣を翻したフィッシャーと一緒にオーブドゥ卿が歩み寄っている。二人は私の前に跪き、脈を取ったりしているようだ。
彼らの中心にいる私の身体は、ぐったりとして意識もない。そりゃそうだ、私は水石の中にいるようだから。
(どういうこと?)
まるで意識だけ切り取られたみたいな状態にある私の身体から水石に、フィッシャーが眼を向ける。一瞬目があった気がしたけれど、それはすぐに逸らされてしまった。
「ひとまず成功、といったところかな」
「本当にアディは大丈夫なんだろうな、フィッシャー」
「もちろん、と言いたいが、私もこれを使うのは初めてなので断言はできない」
「おい」
低く唸るディの声は聞こえる。でも、その向こうのオーサーに私は別の違和感を持っていた。
ラリマーが手にした長髪のカツラは、私と同じく黒。それを被ってフードをかぶったオーサーの姿は彼が厭う女装のはずだ。加えて、私が一緒に女姿でいると、本気で姉妹に間違われるほどに似通っているらしい。確かに元々オーサーは男の割に細いし、背も私と殆ど変わらない。それはマリベルがわざとそういう風に似せているのだと、以前にオーサーが洩らしたことがあった気がするが、私は深く追求はしていなかった。
もしかして、マリベルはこういう状況をずっと前から予想していたのだろうか。私を見つけ出したことといい、その可能性は高いかもしれない。マリベルは私のことになると我が身さえ厭わないから。
「フィッシャー様、イェフダ様……ディも、アディをお願いします」
嫌な予感がするのに、水石の中の私は何もできなくて。ディも何も言わなくて。フィッシャーが答える。
「ああ」
短いけれど、その返事で満足したようで、オーサーは今にも泣き出しそうな顔で笑った。
「アディじゃありませんが、もしも彼女に何かあったら、僕は一生あなた達を許さない。どんな手を使ってでも、あなた達を殺します」
「肝に命じておくよ」
フィッシャーが銀の短剣で、私の身体から髪の一房を切り取る。といっても、目立たない程度だし、私も装いを気にすることなどないし、別に大したことじゃない。フィッシャーは切り取った私の髪をオーサーの上に乗せて、小さく力ある言葉を絡めた。一瞬の後、オーサーからは私と同じ気配を感じるようになった。これなら、ヨシュあたりなら騙せるかもしれない、というぐらいに似通っている。
「何日騙せるでしょうか?」
「ジジイ共も馬鹿じゃない。三日騙せりゃ良い方だろうな」
オーサーとフィッシャーの会話、それにオーサーの格好の意味するところに、私はようやく気づいた。追っ手をまくために、オーサーが私の身代わりになるなんて、聞いてない。
でも、どんなに叫んでも水石の中の私の声は届かない。こんな風にオーサーを身代わりにしてまで、生きたくなんかないのに。なんで、こんなことになっているんだろう。
何かを話していたオーサー達は屋敷の扉を強く叩く訪問の声で、話をやめて、顔をあげる。
「ディは行って下さい。そして、必ずアディを守ってください」
深く頷くディが私の身体を抱えたままに立ち上がると、慌てたフィッシャーが水石に手を伸ばし、ひっつかんだ。
「これを、アデュラリアから絶対に離さないように」
「わかった」
水石はどうやら私の身体の上におかれたらしく、私は下からディを見上げる形になった。ディは無言のままに移動し、どこかの部屋に私のソファに私の身体を寝かせたようだった。
私の前に跪くディは、迷子と同じに不安で泣きそうな目で私を見ている。いくら最初から私を女神の眷属と疑っていたのだとしても、その目に隠る愛しさはなんなのだろう。主に向けるものではないし、子供に向けるものでもない。対等な大人のように私を見ているようにも見える。
「行こうか」
フィッシャーが声をかけると、ディはそっと私の身体を抱き起こした。その瞳はずっと不安に揺れていて、どれだけ大切にされているのかが今更伝わってきて、水石の中の私はとても気恥ずかしい。
フィッシャーが移動の術式を組み上げる中、ディの小さく謝罪する言葉が聞こえた気がしたけれど、私はすぐに意識を無くしてしまったから、本当のところがどうなのかわからない。わかるのは、私がやっぱりフィッシャーに騙されたということだけだ。
あらすじではこの辺りからオーサー編というか王宮編を書いていたのですけど、ちょっと順番を入れ替えたいと思います。
とりあえずはしばらくアディの話が続きます。ディもちょっとずつ遠慮がなくなります(え