21#よくある理由
ラリマーの手で開かれたドアの向こうへ、私は一歩を踏み出す。その部屋は外からの光が広く入る大きな窓があり、中央には重厚で十人は座れそうな大きなテーブルが用意してあり、そこに左からオーサー、ディ、オーブドゥ卿、フィッシャーの順に座っていた。
室内の壁には燭台を設けてあるが、まだ外の明かりで十分に室内は満たされているため、それはただの飾りとなっている。そう、ただの飾りだ。蝶をあしらった金色の燭台は過美ではなく、品があり、通常なら見るものの心を和ませる。だが、私からすれば、それはただの金のかかる飾りだ。私はそうして室内を一通り見回してから、口を曲げる。
「ここ、みたことある気がする」
ここは刻龍のアジトなのだから、私が知るはずもない。だが、同じような部屋を見た気がするのは確かな気がして、いつだっただろうかと考えながらラリマーにエスコートされ、私はディとオーサーの間に座った。
今私が着ているのは袖がゆったりとしたデザインの白いワンピースで、きちんと縫製されている以外は遺跡で自分が即席に作ったものと大差ない気がする。端の処理がゆるく波打つように施され、胸元もレースをつかったリボンで結ばれているが、その胸元が何よりも心もとない。ワンピースの下にズロースも履いているが、あまり活動的な服装ではないから、私としては歓迎できない格好だ。お茶までいれてくれるラリマーに笑顔を向けて礼をしていると複数の視線を感じ、私はもう一度同じテーブルに付く男たちを見回す。
「何」
低い声で尋ねると慌てて視線をそらすオーサーたちだったが、フィッシャーだけが両手を組んだまま私をまっすぐに見据え、口角を優雅に上げて微笑んだ。
「よくお似合いですよ、アデュラリア」
一瞬の間の後、私は表情を変えないままに足でテーブルを蹴り上げた。重厚さに見合うだけの重みもあるテーブルが揺らいだことで、オーブドゥ卿やディの顔が青ざめる。
「アディ」
私の行動に慣れているオーサーは、呆れた声で私を呼ぶ。
「あいつが悪い」
私は悪く無いと言い切ると、オーサーは眉間に軽く皺を寄せる。
「行儀悪い」
「オーサーはあの変態の味方するのっ?」
「そんなわけないよ。でも、珍しく可愛い格好してるんだから、大人しくしたら」
真正面からオーサーに褒められるのは慣れているはずだったのだが、久しぶりに再会した妙に強気な彼から私は顔を逸らした。オーサーは村にいた頃と変わらない、普段と同じシャツとパンツという格好をしているし、特別なことはなにもない。ただ、少しの間離れていただけのはずなのに、私はオーサーを真正面に見るのが妙に照れくさかった。オーサーがいつになく、格好良く見えてしまったのだ。
「こ、これは着たくて着た訳じゃないよ」
「よく似合ってるよ」
「あ、当たり前じゃないっ。私に似合わない服なんかないんだからっ」
「うん」
普段はオーサーが言う口癖を私が口にすると、オーサーは目を細めて、さらに機嫌の良い笑顔を私に向けてくる。オーサーのその笑顔を見ている方が恥ずかしくて、私は努めて視線を外し、今度は真っ直ぐにフィッシャーを睨みつけた。
「それで、説明ってどういうこと? 最初からって、どこからが最初なの」
鋭利な刃物でそのまま斬りつけられるみたいとオーサーに称される視線を私がフィッシャーに向けていると、オーブドゥ卿は心なしか青ざめた顔で親友を見つめる。だが、オーブドゥ卿の表情自体は大して変わらないので、私にはその違いの細かい部分まではわからない。
「本当に何も話していないんですか、フィス」
「なんで私がそんな面倒なことをする必要がある? 私が彼女を手に入れてしまえば全てがまるく収まる話だ」
平然と言い切るフィッシャーには、清々しいほどに欠片も後ろめたさが見えない。賢者というより、もう変態と言っていいんじゃないだろうか。
「収まるわけ無いでしょう。それに、だからといってこんな幼い少女を、女神かもしれないという可能性だけで、イネスの現領主が娶ると言うのは問題があります。少しはこちらの苦労も考えてください」
「可能性じゃない、事実だ」
はっきりと言い切るフィッシャーに対して、オーブドゥ卿はため息を大きくつくと、私に向き直った。その目は穏やかな表情とは対照的にひどく温度を感じない。ここにいるものたちの中で何故か一番冷たさを感じるが、私はそこから逃げずに強く見据えた。オーブドゥ卿が他の貴族たちとは違うのかもしれないと思っていても、長年の経験からどうにも完全には心許すに至らないから、つい敵意が篭ってしまう。
「まず、フィスの屋敷での話から始めましょう。アディが馬に酔って、眠ってしまっている間の話です。あなたをベッドに寝かせてからオーサー君はフィスとひとつの賭けをしました」
それは私にとっても別に意外な話ではなかった。現にフィッシャーは私が魔法を使えることもイネスの出身だということも知っていると明かしているのだ。だがしかし、オーブドゥ卿が言っているのは、その今までフィッシャーから聞いていたのとは、別の話だろう。でなければ、今ここで言うのはふざけているとしか思えない。
「彼、オーサー君の要求はただひとつ。いつでもアディの近くへ転移できる札を描くこと」
その時、不思議と私には、オーブドゥ卿の話す様にオーサーの姿が重なってみえた気がした。
「僕に、いつでもアディの近くへ転移することが出来る札を描いてください」
相手の身分や態度、威圧に臆することなく真っ直ぐに相手の目を見て話すよう、私たちを躾たのは村長だ。心に疚しいことがないのなら、真っ直ぐに目を見て話せ、そうすればその心は真っ直ぐに相手に届くのだと。だから、この時もきっとオーサーはそうしたに違いない。
「アディは今までどこへ行くにも僕を連れて行った。けれど、今回命を狙われるようになってひどく怯えています。きっと、これから先何度も僕を遠ざけようとするでしょう。だけど、僕はアディを守りたい。どんなに嫌われたっていいから、傍で守りたいんです。だからーーアディを、彼女を守るための札を僕にください」
オーブドゥ卿が私の反応を待つように口を閉じると、室内はしんと静まり返った。その中で、私の左手がそっと暖かさと強さに包まれる。もちろん、それは隣に座るオーサーの手だ。私がゆっくりとオーサーを見つめると、包み込むほどの大きさは無いけれど、それ以上に柔らかな熱と強い瞳で見つめられ、戸惑う。
「で、でも、オーサーは賭けに勝ったことなんて……っ」
私の知っている限り、オーサーが賭けに勝った姿なんて一度も見たことなどない。それがどんなに小さなことでも、オーサーはそれが運命なんじゃないかと錯覚するほど、賭け事に弱いのだ。
「僕も必死だったんだよ。君をひとり行かせたりなんかしたら、きっと僕は僕を許せない。だけど、それ以上に」
普通ならオーサーが賭けに勝てるはずがない。だけど、あの時オーサーが絶望的に運がないのを知っていたのは、眠っていた私だけだ。だから、勝つのではなく、負ける方法で勝てるような駆け方をすれば、フィッシャーたちを出し抜くことが出来るかもしれない。
でも、そんな風に立ちまわるのはいつも私で、今までのオーサーなら己の本心を殺してまで立ち回れないと思っていた。つまり、この弟分はハッタリやポーカーフェイスが不得手なはずだったのだ。それが、いつのまにかこんな風に成長していたことに、私は驚きを隠せない。
「アディ、君と離れたくないんだ。君は僕のーー」
オーサーが最後まで口にする前に、私は勢いをつけて、オーサーの手を振り払った。その先の言葉を言わせちゃいけないと、直感が囁いたのだ。オーサーに私を繋ぎ止めるような言葉を言われたら、私はこれからの自分に迷ってしまいそうな気がしたから。
私はオーサーから無理やりに視線を外し、フィッシャーを真っ直ぐに睨みつけた。自分自身の動揺を見透かされないように強く、強く見つめた。
「じゃあ、私が村に返したはずのオーサーが戻ってきたのはその札があったからなのね?」
「ええ、そうです」
あっさりとしたフィッシャーの肯定に、私は強く奥歯を噛む。普通の魔法士ならそんな長距離転移の札を作るのは不可能だと言い切れる。だが、相手は世界一の魔法使いと名高い使い手だ。
「余計な真似をしないで。私はこれ以上オーサーと一緒にいたくないんだからっ」
私と一緒にいれば、オーサーはきっと死ぬことになる。その予感はすでに私の中で確信へと変わりつつあった。
元々、私は成人したら、ただ漠然と村を出なければいけないという想いはあったけれど、理由はこれ以上何も失いたくないからだというただの甘ったれた想いのせいだと思っていた。現に今までだって、その不安がなかったわけじゃない。でも、村の大人たちは驚くほどに強いし、あのまま村の中に留まるなら、心配も不安もする必要さえなかった。それが、実際にこうしてオーサーと二人で村を離れることで、ふたりだけでは敵わないことのほうが多いということがわかったから、私は怖くてたまらない。いつか自分の運命に巻き込まれて、オーサーを無くしてしまうことが、怖くてたまらないのだ。
それに、それだけじゃない。自分が本当に失いたくないものを守るためには、村を出るだけじゃ駄目なのだと私はやっと気づいた。でなければ、このオーサーのように私を連れ戻そうとするものがいる。その時点で結局は、村をでたところでなにも変わらない。守りたいものを守れなければ、私はマリ母さんに出会う前のイネスにいた頃となにも変わらないのだ。
「強がらないでよ、アディ」
「強がってなんかない。オーサー、あんた邪魔なのよ」
「……アディ、僕をあまり見縊らないで欲しいな」
ぐいと肩を捕まれ、無理やりに正面から向き合わせられると、オーサーの子犬のような瞳がいつになく強く私を捉える。オーサーは意外にしつこいから、私はいつも最後は逃げ切れなかった。だから、私は真っ直ぐにオーサーを見返す。
「アディが僕に隠し事なんて無駄だよ。何年の付き合いだと思ってるのさ」
それは確かに真実で、躊躇した後で私は両目を閉じた。そうして、オーサーは私の不安を見ぬいてしまうから、だから私は誰よりもオーサーをこの先に連れて行きたくないのだ。私がやろうとしていることに気づいたら、必ずオーサーは止めるだろうから。
「アディ」
私を呼ぶオーサーのテノールが深く深く心に響いて、私を引き留めようとする。置いていくなと囁いている。
私だって、進んで離れたいわけじゃない。大好きな人達と、いつまでも一緒にいたいに決まっている。ずっとずっといつまでも、変わらない平和な日常の中にいたいに決まっている。
でも、このままの私じゃ、それは叶わぬ願いなのだ。
「何時の時代も女神ってな自分勝手で、我侭な大馬鹿者ばかりだよな」
不意にカラリと空気を破るあっさりとした声が響いた。ディの深い声が、泣きそうな私の心に触れてくる。
「心配しなくても、アディが命じてくれさえすりゃ、俺が二人とも守ってやるよ」
極軽い、けれど確かな騎士の誓約が、ディの想いが、私のささやかな胸に温かさを灯す。
確かにディの実力ならば、私とオーサーを二人とも護ることなど容易だろう。それだけが理由ならば、私だって躊躇するかもしれない。けれど、自分がオーサーを連れて行きたくない本当の理由は、フィッシャーが指摘したようにもうひとつある。
私は世界に対して、この女神を巡る争いを止める責任があるのだ。
「帰ってよ、オーサー」
「できない」
「他のことならなんでも聞くわ。だから、村へ戻って」
「戻るときは二人一緒だよ」
私もオーサーも互いに譲るつもりのない問答を次に区切ったのは、呆れたようなフィッシャーの呟きだった。
「だから言ったのですよ、アデュラリア。私の妻になりなさいと」
「それとこれとは別でしょう?」
「私はこれでも神官位をいただいてきた一族の者で、イネスの領主です。貴女の目的のためにはどうしてもその肩書きが必要になります」
ティーカップをゆっくりとソーサーに戻したフィッシャーは、まっすぐに私を見つめて微笑む。彼の常に着ている蒼衣の色が映った金の瞳が、私の奥深くを見透かすように思えて、私は手のひらにじっとりと汗を掻いた気がした。
「目的って、なんのことよ」
それでも今ここで看破されるわけにはいかない私は動揺を押し隠し、強くフィッシャーを睨みつける。オーサーもディにも、それについて悟られるわけにはいかないのだ。
「さぁ、なんのことでしょう」
それに、この賢者がどこまで知っていて、どこまで使えるのか、私にはまだ何も答えは出ていない。もうひとつの懸念があるとすれば、時々夢に見る内容がもしも過去の事実で、フィッシャーがあの彼の転生体で記憶を持っているのなら、私はまた裏切られないとも限らない。だから、この男に気を許すつもりはない。
「フィス、いいかげんにお嬢さんをからかうのはおやめなさい。まったく貴方という人は、人が悪すぎる」
しかし、オーブドゥ卿に窘められたフィッシャーは、少し困った顔をした後で穏やかに笑った。
「私はいたって本気だよ、イフ」
何に対しての本気かは明かさずに笑うフィッシャーに溜息をついたオーブドゥ卿は、仕方が無いというように微笑を張り付かせた顔で私を見た。
「アデュラリア嬢、貴女は大神殿についてどの程度の知識をお持ちですか?」
話を転換させようとしてくれるオーブドゥ卿の好意に甘え、私は素直に便乗することにする。フィッシャーとの綱渡りな会話を続けても、オーサーたちに感づかれる心配が高いのもあるし、こんなことでいつまでも問答している時間だって惜しい。
「一般的なことだけよ。女神信仰の総本山で、世界中の女神神殿の神官を統べる、当代一の大神官がいるってこと」
そのとおり、と深くイェフダは頷いた。
「命を狙われる理由はさすがにフィスーーフィッシャーが説明しましたよね。大神殿はたしかにあなたの味方です。ですが、あの場所は女神信仰の暗部が最も色濃い場所でもあります。今のまま、そのままの貴女が向かえばすぐさま殺されることでしょう」
王族や貴族は女神の存続を望まないから、と確かに私は先ほどフィッシャーから説明を受けたばかりだ。
「まだあなたは世に出ていない。だが、世に出てしまえば、民衆が、世論があなたの擁立を求めるでしょう。ルクレシアに限らず、この世界は女神による統治とその恩恵を望んでいますから。だが、女神を頂点とする世界では女神以下は上も下もなく、すべてが平等です。貴族も平民もなく、ヒトもヒト以外のモノも、何もかもが並列な世界」
それは歴史書に記された過去の、女神のいた世界の話だ。あまりにも綺麗で、あまりにも不自然な世界。全てが同じくされるというのは一見とても素晴らしい物のように思える。
「権力者はそれを望みません」
「私だって嫌よ」
私が眉間に皺を寄せて、嫌悪を顕にして言うと、オーブドゥ卿は小さく笑った。
「ええ、あなたはそうですね。そして、歴代の女神の眷属もきっと望んでなかったと思います」
すべてが同じで留まる世界というのは素晴らしい物のように見えて、欠点がある。確かに、誰もが平等であれば、争いや競争が起きないのではないか、などという考えもある。だが、それは進歩や発展がないということの裏返しでもあると思うのだ。
私はまだ世界を少ししか知らないが、ミゼットで見てきた店の中にも互いに競争することでより良い商品を売り出している店にも出会ったし、年に一度のコンテストのために、多くの人が良いものを生み出していることぐらい知っている。だから、私は自分が何者であるのか知っていても、過去の女神のいた頃のような世界にはしたくない。
世界は巡り、発展していくからこそ、存続の意義があるのだから。
「ですが、権力者という人種は少しでも不安な芽であれば、摘み取ってしまわなければ気がすまないものなのです」
困ったものですね、とのんびり言われても、オーブドゥ卿は全く困っているように見えない。困惑する私の隣にラリマーが立ったので見上げると、彼女は無表情に主を見つめている。