20#よくいる頭領
薄っすらと開けた視線の先に木組みの見慣れない天井が見えて、私は眉根を寄せて身体を起こした。寝ぼけた頭を軽く振って、眠気を飛ばす。窓からは差し込む影でもう昼過ぎだろうと推測し、寝すぎたなと考える。
さっきまでのように過去の女神の夢をみるのは初めてじゃないから、特に混乱は残っていない。昔ほど、ないはずの痛みに苦しむこともないし、ただ身体中に気怠さが残るばかりだ。
ぼんやりとした頭で夢をみる前のことが通り過ぎてゆく。この体に残る気怠さはフィッシャーが私の力を引き出す転移魔法陣を立て続けに二度も行ったせいだろう。私は思い出すだけでこみ上げてくる吐き気を右手を口に当てて押さえ、一度目を閉じて心を落ち着けてから手を外す。
ミゼットでの夜、ディに騎士の誓いをされたことも覚えているけれど、それ以上に鮮明に心に焼き付いている光景がある。フィッシャーに導かれて見た村の様子。途中までは確かに私が誘導していて、たぶん村に着いた後からはフィッシャーが作り出した幻影だ。衝撃的すぎて動揺したが、村人のほとんどがそうそう簡単にやられる腕の持ち主でないことを、私も身を持って知っている。なにしろ、村の大人たちには私とオーサーの二人がかりであっても、まったく一度も勝てた例がないのだから。
でも、私は水石越しとはいえ、フィッシャーを――いや、黒龍の頭領を村まで導いてしまった。このまま言うとおりにしなければ、いくら村の者達が強いと言っても、あの悪夢のような光景が現実になるのは必死。
私には、フィッシャーに大人しく従う以外の道が残っていなかった。あの時はとにかく疲れてもいたし、正常な判断を自分がしていたとは思えない。それでも、これ以外の選択肢は、たぶん最初から私に与えられていなかったのだ。
イネス領主にして、賢者の称号を持ち、そして、刻龍の頭領であるというフィッシャーは、きっと最初に私が女神だと気づいた時から、私を連れ去ることを画策していたに違いない。
(でも、何故)
刻龍は私の命を狙っているのだと、メルト=レリックもディも言っていた。それなのに、フィッシャーは一度も私を殺そうとする素振りもなく、ここに連れてきてからも丁重にもてなしてくれる。もちろん、用意されたドレスは丁寧に切り裂いてお返ししているから、私はまだミゼットで着替えた服のままでいる。
それはいい、と自分の中で思考を切り替える。そんなことよりも今考えるべきは、何度も見てきたあの夢だ。
あの夢のなかで「私」は「フィス」と「イフ」という二人と会話をしていた。今までは取り立てて気にもしてこなかった名前だから、夢から覚めれば覚えていなかった。でも、今夜に限って覚えていたのは、あまりにその言葉に聞き覚えがあったからだ。
「私のことはイフと呼んでください。それから、彼のこともどうかフィスと」
そうオーブドゥ卿に言われたのは賢者の館で、あれから何度か気を失ったりもしているが、二、三日程度しか経っていない。だから、「フィス」がフィッシャーの、「イフ」がオーブドゥ卿の愛称であると言うことぐらい、私だって記憶している。
これは果たして偶然なのだろうか。
窓の外に広がる青空の向こうに何かが見えるわけでもないのに、私はじっと見つめる。あの夢と変わらない空の色には何の感慨も浮かばない。それなのに、気がつくと脳裏によぎる影がある。だが、影だけだ。あれだけ夢に見るのに、私はいつも「フィス」や「イフ」をおぼろげにしか覚えていない。周囲の誰の顔も覚えていない。あれだけ夢のなかで大切にしている「リンカ」のことさえも、ただ小さかったことぐらいしかわからない。
輪廻を繰り返せば、如何に女神といえど記憶は薄れる。覚えているのは仲間と過ごした心良い日々であるはずなのに、それさえもすでに朧気となっているのは、繰り替えられる輪廻の中で過ごした日々があまりに過酷であったためだ。
既に、天への道の開き方もわからず、精霊と心通わす方法さえも見いだせない。あるのはただ、身に宿る女神の力だけだ。
「くそっ」
強く打ち付けたはずの私の拳は、ベッドの上では軽い音しかたてられない。あまりに無力なその音に涙が出てきそうになる。
女神がどれほどの存在であっても、いまやこの身は人にも敵わない。この世界で生まれた術式でさえ、容易に女神を凌ぐだろう。高等術式を扱える刻龍の頭領になんて、敵うはずもない。
扉を手で軽く打ち付けたノックが聞こえ、私は慌てて目元を拭った。現状がどうあれ、フィッシャーに弱さを見せるわけにはいかない。
「おや、起きておられましたか」
私の返答を待たずにドアが開き、フィッシャーが瞠目して、私を見つめる。フィッシャーの手にはトレイに乗せられた皿があり、その上にパンと湯気の立つスープが乗っている。
「朝食はおとりになりますか?」
「食欲なんかない」
「そうですか」
私の不機嫌な返答にもフィッシャーは肯くだけで、私に断りもなくスタスタと部屋に入ると、テーブルにトレイを置いた。
「食べないよ」
「あ、これは私のですので、お気になさらず」
蒼衣を軽く翻し、フィッシャーは私のいるベッドを素通りして、すぐそばの小さめの丸テーブルにつく。優雅な動作から私は視線を逸らしたが、漂ってくる焼きたてパンの香ばしさやらスープの香りは否応無く食欲を誘う。
「刻龍には色々な者がいまして、今の黄竜は元はパン屋の倅です。彼の作る以上に美味しいパンを私は知りません」
私が聞いてもいないのに、フィッシャーは、黄竜はうちの専属コックなのですよ、と楽しそうに話す。
フィッシャーの物言いは夢のなかの「フィス」に似ていなくもない。だが、断言するには材料も足りないし、単に勘がいいだけのような気もする。どちらにしろ身構えたところで、今はどうにもならない。
私はひとつ息を吐き、ベッドから降りた。ぎしりとなる木組みの床には絨毯のひとつもなく、冷たい木の感触が素足に直に伝わってくる。
「私の分、ある?」
実はもう空腹も限界だったので、私は警戒せずにフィッシャーの向かいに座った。すると直ぐに影が部屋に下りて、新たなトレイを私の前に置く。それは知らない影じゃないし、この刻龍の本拠地にいる以上は会って当然の男だ。
「ありがとう、メルト・レリック」
直にいなくなってしまったが影に礼を言ってから、私はトレイ上の温かなスープをスプーンで掬って口にする。乾いた身体に染み渡る温かさは優しくて、疲れた心を癒してくれる気がした。
「毒が入っているとは考えないのですね」
「あなたは入れないよ、フィッシャー」
最初に会ったときの直感が確かならば、フィッシャーは私を殺さない。それにもしも「フィス」の転生であるとしたら、私を殺すために毒など使わないだろう。ディも以前に、刻龍の掟で女神は剣によってのみ殺されなければならないのだと言っていたし。
温かなパンの上には焼きたての目玉焼きも乗っていて、端から私は齧り付く。そのパンはたしかにフィッシャーの言うように美味しい。美味しい、が世界一ではない。私はこのパンを超える味を知っているのだ。マリ母さんの焼くパンを超えるパンなんて、存在しない。目一杯の愛情と優しさが詰まっているマリ母さんのパンに敵うパンなど、どこにもないのだから。
静かな食事を終えてから、人心地ついたところで甘い香りの茶が運ばれてきた。もってきたのはメルト・レリックだが、彼を下がらせて、フィッシャー自身が私のカップに淹れてくれる。
「熱いですからね」
フィッシャーが淹れた茶を、私は何度も何度も息を吹きかけ、少しずつ口にする。
「私の系統は、わからないらしいです。貴女も知っての通り、今の貴族のほとんどが系統を偽っています。本当に女神に連なる者は貴族階級と王族を合わせたとしても五人に満たないのです」
急に出された話題に戸惑い、私はフィッシャーを見つめたが、彼はただ穏やかに笑うばかりだ。
「現在の王族や貴族は、かつて女神の反逆者だったという話を知っていますか」
私の中で、フィッシャーの顔が、夢の中の「フィス」と重なる。「フィス」はほとんど笑ったことなど無かったからそれが同じとわかるわけはないのに、フィッシャーの遠くを見る目が私には似ている気がした。
フィッシャーが何を話そうとしているのか、私には何もわからない。だが、一般的には今の王侯貴族は女神に仕えていた人間の末裔であり、転生であると言われている。
「女神の眷属 そは至高にして、至宝の恵み 手にし者らに全てを与えん」
有名な一説を諳んじるフィッシャーは、作り笑顔で私を見る。
「これが伝えられている本当の理由を、アディ、貴女は知っていますか」
私は肯定も否定もしなかったが、フィッシャーもそれは気にせずに話を続ける。
「この、全て、とは世界のこと。女神の眷属というのは女神に最も近く、準ずる者です」
女神の考える眷属と人の考える眷属は意味合いが違うのだろう。夢の中で女神たちが眷属とした「リンカ」は、女神がその手で創りだした者だ。だからこそ、女神たちの加護を一心に受け、行使するだけの力がある。
それに比べれば、この世界に残された女神の方が力などない。
「女神の眷属を殺すことで、女神の眷属を生み出さないことで今までの王侯貴族――いや、この女神を祀る国ではその権力を保ってきました」
女神の力を行使できる女神の眷属の力を奪い、それによって国を、女神信仰をまとめ上げてきたのだと、フィッシャーは語る。それが真実かどうかは知らないけれど、他国に比べてこの国には孤児が多く、多くの孤児が幼いうちに命を狙われ、生きることができない事実を裏付けるものだ。
「私が、この世界は既に女神を必要としない、と言った意味が理解できましたか。あなたは大神殿に行ってはいけないのです。行けば貴女は殺され、私の見せた幻は現実となるでしょう」
女神の力は既に奇跡でも何でもなく、権力者にとっての道具に過ぎない、と。
堅い表情を崩さない私の頬に、フィッシャーの手が触れる。貴族らしくも、学者らしくもない荒れた手だ。
「刻龍だって私を、女神の眷属の命を狙っていたじゃない」
それだって事実のハズだ。メルト・レリックに手加減は微塵も見えなかったし、殺気だって本物だった。ディがいなければ、間違いなく私はミゼットに着く前に殺されていた。
フィッシャーは小さく息を吐き出すように笑う。
「本物の女神や女神の眷属であれば、容易に殺すことなど出来ませんよ。事実、貴女は今まで生き延びてきたではありませんか」
それこそが私が女神、あるいは女神の眷属である証なのだと、フィッシャーは言う。運も証拠の一つとなるのだと。
「アデュラリアの意味を貴女は知っていますか?」
柔らかな問いかけの中の幽かな違和感。フィッシャーが何を聞きたがっているのか、私にはわからない。
「何者にも染まらず、ただひたすらに純粋であり続ける存在。それがアデュラリアの意味なのです」
純粋で有り続けることなど、馬鹿でもなければできやしない。私が生き続けるためには多くの者を、自分自身さえも欺かなければならなかった。そんな自分が純粋であるなどとは到底言えない。
「でも私は違う」
はっきりと口にした私から手を離し、心底面白そうに喉の奥でフィッシャーは笑った。
「確かにアディが完全に純粋であるとは言いません。でも、アディ、貴女は間違いなく女神です」
「……意味が分からない」
テーブルにおいた自分のカップを手にし、フィッシャーは口をつける。彼が小さく嚥下する音が静かな室内に響いた。
「女神は自分たちに似せて人間を作った。だから、人間が純粋でないとすれば女神もまた然り。純粋であるはずがない」
矛盾を内包しているからこそ人間なのです、と。話を切って、再びフィッシャーがティーポットを手にする。
「紅茶のおかわりはいかがですか?」
「いらない」
「そうですか」
フィッシャーのカップに残っていた分は既に冷めていたのだろう。彼はそれを捨てて、新たに注ぎ、温かな湯気を立ち上らせる紅茶の香りを楽しむ素振りを見せる。そんなフィッシャーを私はただ、じっと見つめた。
「殺す為でも利用する為でもないのなら、何故私を連れ去ったの?」
クッとフィッシャーはまた喉を鳴らした。カップを置き、それから徐ろに立ち上がると、私に騎士の誓いをした時のディと同じように、私の前へ跪く。
「言ったでしょう、アデュラリア、貴女が気に入ったのだと」
真っ直ぐに私を見上げてくるフィッシャーの碧瞳に曇りはなく、だからこそ皆が騙された。そして、次の予想も出来ない言葉に私は絶句する。
「私の妻になりなさい、アデュラリア」
フィッシャーは膝をついて、私に傅いているクセに、その言葉は強い命令だった。
今言われた言葉を脳内で繰り返し、私は首を横に少し傾ける。今のは空耳だろうか。そうか、そうにちがいない。
「ごめん、もう一回言ってもらえる?」
ごく自然に私の手を取るフィッシャーは、もう一度それを口にした。
「私の妻になりなさいといったのですよ、アディ」
妻――男性に対する女性の配偶者のこと。つまり、これはプロポーズ。
認識した途端、私は何も考えずに右足でおもいっきりフィッシャーの肩を蹴りつけていた。もちろん、巻き添えをくらうようなヘマなど私はしない。その前にフィッシャーから自分の手ぐらい取り返している。
床に尻餅を付いた状態のフィッシャーは、それでも何故か満面の笑顔で、それが無性に腹立たしい。何がどうして、求婚の流れになるのか、私にはまったく理解出来ない。そもそもフィッシャーなんて、眼中にもないのに。
いや、それ以前に私は結婚なんて――。
「アディっ」
部屋に入ってきた誰かが私を呼ぶ。その誰かの声はオーサーだけど、それがどうしてとまで今の私には考える余裕が無い。
「誰がなるか!」
「そう言わずに、考えてみてください。私と結婚すれば刻龍の心配はなくなるし、村だって守って差し上げますよ。それに、貴女がしたいことの手助けだって」
尚も言葉を続けるフィッシャーの襟首を捕まえ、私はその頬を張り倒す。倒れているから身長差などなく、馬乗りになってしまえば、魔法使いの身動きなんて容易に封じ込める。
「だまれ、変態!!」
どう見たってフィッシャーは二十代後半で、私はまだ十五歳で、成人したばかりだ。そうでなくても貴族なんかとそういう関係になるつもりはないというのに。
握った拳が何度当たっても、フィッシャーは笑顔のままで、それが尚も気色悪い。
「ちょ、お、落ち着いてよ、アディ」
オーサーの声をした誰かが、私の腕を両手でつかんで必死に止める。
「これが落ち着いていられるか! この変態今すぐ殺してやるっっ」
「アディってばっ」
その止め方は力がなくとも効果は高く、私は振り下ろせ無い腕を捉える人物を振り返った。見慣れた顔が、見慣れた心配の表情で私を見ている。
オーサーが、私を見ている。
「オーサー!?」
オーサーはディの知人だという医者の家に置き去りにしてきたはずだ。だから、ここにいるのは明らかにおかしい。
フィッシャーから離れ、少し離れてから私はオーサーに抱きつく。小さい頃から一緒にいる抱き心地は同じで、体中撫で回しても違和感はない。匂いも、声も、手触りも、全部オーサーそのものだ。
そうして、確かめている私をベリっと音がする勢いで引きはがし、必死な様子で笑顔を作るのもオーサーの見慣れた行動だ。
「一週間ぶりだね、アディ」
これは間違いなくオーサーだ。でも何故と聞く前に、私はオーサーの言葉を脳内で、オーサーの声で繰り返した。
「……フィッシャー?」
「ああそういえば言ってませんでしたね。オーサー君と別れてから、大体一週間ですか。ここに到着した翌日から三日ほど、アディはぐっすりとお休みになられてましたよ。貴女の騎士の到着が遅かったおかげで、私はじっくりと愛くるしい寝姿を堪能させていただきました」
白々しいフィッシャーの告白に、私は握った拳を震わせた。その手をオーサーの手が包み込む。少しも変わらない大きさと温もりに、私は心に秘めた決意を強くする。
「落ち着いてよ、アディ」
「オーサー、いいから私にあの変態を殴らせて。話はそれからよっ」
オーサーの制止を振りきって歩き出す私の背中に、オーサーの諦めたため息が追いかけてくる。
「アデュラリア」
落ち着いたオーサーの声に、私は歩みを止めた。普段は自分を抑えようとしてくれるオーサーがそういう声を出すということは、彼が本気で怒る寸前だということだ。オーサーは普段おとなしいだけに、怒るととても怖い。そういう点では、マリ母さんにそっくりだ。
「そんなことよりも僕に言うことがあるでしょ」
「村のことやなんかはいいんだ。僕らは最初から納得ずくだったんだから」
「どうして僕を置いていこうとするの。一人にしないと約束した僕をどうしておいていこうとするのさっ」
一言言うたびに近づいてくるオーサーの足音に私は動けない。オーサーを置いていこうと何度もしたから、オーサーが怒るのは当然だ。
(でも、そうでもしなきゃ)
私はなお強く、手が白くなるほどに拳を握る。
「だってオーサー、あんた、私と一緒にいたら死ぬよ」
「死なない」
「もう私が女神の眷属ではなく、女神の意思を継いだ人間だって知ってるんでしょう。これ以上一緒にいたら、絶対に死ぬっ」
「死なないよ」
すぐ後ろにオーサーが立ち止まったのがわかり、私は意を決して振り返った。だが、殆ど無い距離で見たオーサーの意思の強い瞳を前に、私は思わず数歩下がる。
「私はあんたを死なせたくないよ、オーサー! だって、あんたは私のたった一人の弟なんだからっっ」
たった一人の姉弟で、大切な幼なじみで、だからこそ遠ざけようとしているのに。今にも目元から溢れそうな涙を必死に堪えて、必死に体の震えを堪える私を、穏やかにオーサーは笑った。
「僕は死なないよ、アディ。君と女神に誓って、僕は絶対にアディをおいていかない」
はっきりと言ってくれるオーサーの心は嬉しいけれど、私にはどうしたって信じきれない。だって、オーサーは私にも勝てないぐらい弱いのだから。
「そんなの無理」
「無理じゃない」
それをわかっているはずなのに、オーサーは退かない。
「だって、オーサーはただの人間だよ。死なない人間なんかいない。私はもう私のせいで誰かが死んだりするのは嫌……っ」
物心ついてからマリ母さんに引き取られるまで、自分の周囲で死んでいった者を私は一人も忘れない。殺された者もだが、自分の手で殺した者も一人たりとも忘れることなんかできない。
「私の周りで、マリ母さんに引き取られるまで死なない人間なんかいなかった。それは、何年たっても同じだって、村を出てから気が付いた。私の近くにいたら、オーサーは死んじゃうよっ」
オーサーは一番大事な幸せのカタチだったから、失いたくない。そういう私を困った顔でオーサーは見つめていた。
「……アディ、僕が言ってるのはね」
それまで二人を見守っていた者らがオーサーを遮って、口を開く。
「女神の敵は多いですからね。確かに、オーサー君一人で守るのは無理でしょう」
「ったく、人が何のために騎士の誓いを立ててやったと思ってんだ、アディ?」
フィッシャーの苦笑とディの呆れ声で、私が二人を怪訝に見やると、肩にラリマーが薄手のショールをかけられる。そういえば、オーサーと一緒に誰かが部屋に入ってきた気がするのに、見ている余裕もなかった。私の視線の先には別れた時と変わらないディとオーブドゥ卿もいる。オーブドゥ卿から離れ、私のすぐ近くにはラリマーが、いつもの鉄面皮の口元を少しだけ柔らかく緩めている。
「フィス、あまり私を見縊っては困りますよ。ラリマーはとても優秀な、私の、執事です」
オーブドゥ卿に強調された言葉でかすかに目を見開いたフィッシャーは、次いで軽い笑い声を上げた。二人の間ではそれだけですべての理解ができたらしい。
「優秀な執事がいてうらやましいよ、イフ。で、ディとオーサー君に説明は済んでると私は考えていいのかい?」
立ち上がり、服の埃を落としながら問いかけるフィッシャーに、オーブドゥ卿は穏やかに続ける。
「多少の調整は必要でしょう。それにアディには最初から説明する必要があります。よろしければ、場所を変えて、情報交換といきませんか?」
女性の部屋にあまり大勢で長居するわけにはいきませんから、と紳士らしく私に微笑むオーブドゥ卿を見つめ返す。
「説明って?」
訝しむ私を置き去りに、男たちは部屋を出ていった。フィッシャーはオーブドゥ卿、オーサーはディに強引に腕を引かれて、だが。
「えと、ラリマー?」
縋るように問い掛ける私に、オーブドゥ卿の優秀な執事は何も答えてはくれなかった。