11#よくある道中
歩き出した私にディは何も言わずに付き従う。来るときに通った馬車も通れないミゼットの東の門ではなく、正反対の場所にある大きな西の門を徒歩でくぐり、先へ先へと歩く私の後ろをディは何も言わずに付いてくる。西の門はミゼットの主門だけあり、東よりも行き来する人が多く、朝方だというのに仕入の荷馬車がひっきりなしに行き来している。すれ違うこともできるあたり、この門の大きさを物語っているだろう。その門の端を私は歩いて出て行く。
「アディ、オーサーは後から来るんかい?」
顔馴染みの門番をしている五十歳ぐらいの剃髪の老人に、私は声を返すことなく歩き続ける。なんだ喧嘩でもしたのかと言われても、私は歩くのを止めない。その後をディが少しだけ距離を置いてついてくる。
ディは勝手に出ていこうとした私に文句の一つも言わず、かといって理由を聞くでもない。なにか言われた方がマシだと、私は苦しい気持ちを抱えたまま歩く。
ここ数日続いた晴天のおかげか、私たちの一歩ごとに足元を砂埃が舞う。東の門を通った時と今の私の荷物には少しの違いしかなく、私の腰のホルスターにはベレッタが収まり、手荷物の鞄は私の背中を覆う程度で、しかも薄い。入っているのはミゼットで調達した日持する少しの食料と一日分の着替え。それから、水。
無言で歩いて歩いて歩き続けて、日が真上にくる頃にはミゼットの姿は殆ど見えない街道で、すれ違う人たちの何人かが私たちを不思議そうに見ているのに私は気がついていた。居心地の悪さを感じてディを振り返ると、ディのまっすぐな視線とぶつかってしまって、すぐに私のがそらしてしまう。
私は別にディが怖いとは思わないし、身の危険も感じない。だけど、いくら私でもついてこられて気にならないわけがない。確かに、オーサーの両親が雇ってくれた護衛だけど、それなら尚更私ではなく、オーサーについているべきじゃないのだろうか。それとも、マリ母さんは私の行動まで見通して、「私に」この護衛をつけてくれたのだろうか。
私はちらりと気がつかれないようにもう一度ディを見る。ディは私をじっと見たまま、まだ視線を反らしたりしていない。気まずいので、やはりまた私は何も言わずに視線を前に戻して歩いた。
ディのことばかり考えているから気になるんだと自分に言い聞かせ、私はおいてきたオーサーがどうしているかを考える。それでも、見送ってくれたマリ母さんらのことまで思い出してしまって、気がつけば振り出しに戻ってしまう。考えないようにすればするほど、私はディのことを考えずにいられないらしい。そんな自分が急に可笑しくなって、私は小さく吹き出した。
私はディと並ぶために少しだけ歩みを緩める。だけど、ディは私と一定の距離を保つつもりなのか、一向に追いついてこない。
(そういうつもりなら)
足を止めて、私はディを振り返る。ディはそれを驚くでもなく、立ち止まってまっすぐに私を見る。何故とかどうしてとか、ディはやっぱり何も言わないで私が何か言うのを待っているようだ。
「いつまでついてくる気?」
私が笑いを堪えて、眉間にしわを寄せて問いかけると、ディは何故か穏やかに微笑んだ。
「気にするな」
「気になるに決まってるでしょ。それにねー、」
何かを続けようとする私の言葉を待つディを前にしていると、ひどく居心地が悪い。
「あー……」
私はさっき思った疑問、オーサーの両親に護衛を頼まれたのに、何故私についてくるのかと聞こうと思った。けれど、もしもその理由が本当にマリ母さんに頼まれてと聞いてしまえば泣いてしまいそうだし、もしもストレートに私が女神の眷属かもしれないからと言われたら、私はまたディのあの表情を見なければならないのかと考えると憂鬱になる。
「もういいや、勝手にしなよ」
結局はディがついてくるのを許し、私はまたさっさと歩き出した。ディはしばらくついてくる気配がなかったが、今度はすぐに私の隣に並んで歩き出した。
「置いてきてよかったのか?」
ディの問いかけには答えず、私はまっすぐに前を向いて歩く。ディが言いたいことはわかっているし、私も何故聞かれないのかと思っていたのは確かだ。それでも、オーサーをおいてきたことに関して、ディに何かを言う事はできない。
次の町イネスはミゼットよりも大きな都市だ。水路の発達した美しい街並で、芸術や学術が奨励されているせいもあり、大神殿のある王都に次いで二番目の規模を誇る。ここの統治を任ぜられている貴族は賢者の称号を持っているが、滅多に表舞台へは現れず、自分が整備した自治に都市機能を委ねているらしい。ミゼットからイネスまでは徒歩では二日程度かかる。
昼食もとらずに歩き続けるわけにはいかないので、私たちは一度だけ道ばたで軽食をとった。その後もずっと無言で歩き続ける私に、ディは黙って付き従う。
「そろそろ野営の準備をしたほうがいいな」
日が落ちる前、空が茜色に燃える頃にディが提案してきたので、私たちは街道を少し離れた森の中で小さな場所でキャンプを張った。キャンプといっても、単に少し開けた場所で火をおこし、その周囲で眠るぐらいだ。余分な荷物は私もディも持っていない。
干し肉を炙り、堅いパンに挟んで食べる。特別旨いわけでもないので、私は水で流し込むように腹に詰め込んだ。ディは少しどこかに出かけた後で、採ってきた木の実や狐を慣れたように調理している。長く旅をしてきたことは知っていたが、てっきり料理などは苦手なのかと考えていただけに、私は少し驚いた。ちなみに、オーサーは血が苦手なので、肉や魚を使った調理ができない。
自分で食べ終わってから、私はディが調理する様子をぼんやりと眺めていた。私よりも大きな手、太い指で小刀を器用に使いこなす。私以上に荷物なんて持ってないように見えたのに、しっかりと最低限の調味料を持っていたのも以外だ。ディは何かで手に入れたという岩塩から削り取って、肉や草にふりかける。たき火で嬉しそうにそれを炙っていたディは、私の視線にようやく気づいたようだ。
「アディも食べるか?」
ディは私の答えを待っていたようだけど、じっと黙っているとあきらめてくれたようだ。確かに暖かな食事は食べたいけれど、あまりディを頼るのもどうかと迷っていた私は、やはり何も言わずにディの食事を見守った。
「イネスには貴重な女神に関する資料が残っているらしいぜ」
食べながらでも暇なのか、聞いてもいないことを教えてくれるディは最初とあまり変わらなく私に接する。オーサーもいないので、仕方なく私は相槌をうってやる。
「十三年前の大火災で燃えなかったんだ」
私がマリ母さんに引き取られた頃、イネスで大規模な火災が起きたというのは知っている。都市の四分の一、当時の五十戸が焼け落ち、約百名の死傷者が出るほどだっというから、その悲惨さが伺えるというものだ。当時のイネスの領主はそれが原因で引退し、それから現在のイネスの領主になったらしい。
「ああ、あれはすごい火災だったな。だが、幸運なことに数ヶ月前から例の賢者が自分の家に押収してて無事だったんだとよ」
「ああ、アノ賢者サマ、ね」
賢者の称号は自分が名乗るものではない。いつの間にか賢者と呼ばれるようになるらしい。世界の全てを知り尽くした者を人は賢者と呼ぶのだと聞く。東の賢者とされるイネスの領主はかなりの変わり者という噂だ。
現イネス領主――通称賢者は領主になる前からイネスに居を構えていた貴族だったらしく、火災の後すんなりとその任に着いたのは既に当時の領主にあった疑惑のせいだとか新聞でも取りざたされていたのを読んだ気がする。
「会うのか?」
「なんで」
ディに問いかけられた私は即答で返した。元々大神殿に行って、大神官に会うための旅だし、私が賢者と会う必要はまったくないはずだ。それなのに、ディが何故つまらなそうな顔をするのか、私にはわからない。
「必要ないでしょ。私は単に自分が女神の眷属じゃないって証明するためだけに、大神官さまとやらに会いに行くのよ」
「なんで証明したいんだ?」
私が自分を女神の眷属じゃないと証明する理由は、マリ母さんの本当の意味での子供になりたいからに決まってる。でも、それは見ず知らずの他人に言うことじゃない。
だけど、大神殿に行って女神の眷属じゃないとすんなり証明してもらえるなんて、私自身が思ってない。これまでだって、私の系統は誰にもわからなかった。大神官がどれほどのものか、会ってもいない私にはわからないけれど、それでも自分の系統がわかるとは思えない。
大神官にもわからなかったら、私は今度こそ女神の眷属にされてしまうのではないだろうか。そう考えると気持ちは自然と落ち込んでしまう。視線を地面に落とし、膝を抱えて蹲ってしまう私は、上から大きな布が降ってきたことに気が付いた。見上げるといつの間にかディが隣に座るところで。
「この辺りは冷えるからな」
私に渡された大きな布はクシャクシャになっているけれど、上質の薄手の毛布で、確か夕べオーブドゥ卿の屋敷の部屋で使った気がする。
「盗ってきたの?」
「いや、もらった。ちゃんと断ってきたぜ」
いつだとつっこみたいけれど、もうあまりディに関わりたくもない気分になっていた私は、そう、とだけディに返した。少し肌寒くなってきたのも事実なので、私はディの好意に素直に甘えることにする。
大きな布に身体をくるみ、私は座ったままで目を閉じる。目を閉じるとディが薪にくべる木が爆ぜる音と、燃えた小枝が乾いた音を立てて崩れる音だけが私の耳に聞こえる。夜の闇にその音はよく響いて、私の心は芯から冷えそうで。
「……オーサー……」
私は幼馴染を呼びかけて、そういえばいないんだと思い当たる。オーサーは自分がおいてきたのだし、置いていかなきゃいけないとわかっていた。少しでも長くいられるならと私は自分を偽って、騙して、ミゼットまで連れてきて。
こんなことになるなら、私は最初から一人で出てこれば良かった。私が連れ出したりなんてしなければ、オーサーを危険な目に遭わせることもなかったし、こんなに寂しい思いだってあっという間に終わっていたはずだ。だって、最初から、あの村に住んだ記憶のすべてをなかったことにすれば良かったのだから。
「……ごめん……」
それでも、私はあの村にいた記憶を、みんなといた思い出を消したくなかったから、オーサーを連れ出したんだ。オーサーさえいてくれれば、きっとまた元の生活に戻れると信じて――。
頭を柔らかく撫でられる感触に、私はびくりと震える。それをできるのは今一人しかいなくて、ディは何も言わず、何も聞かず、私についてきてくれて。でも、ディが女神の従者だというのなら、なおさら私はディを振り切らないといけない。ディを頼らないで、私はひとりで行かなければいけない。
「……ごめん……」
それでも今だけは、そばに誰かがいてくれることが私は嬉しかったから。黙って、されるままに私は眠りについた。
ほうとどこかで梟が鳴く声が聞こえて。
「こうしてりゃ、ただの子供なんだがな」
眠りに落ちる寸前、私はディのつぶやきを聞いた気がした。
寂しい気持ちの中で落ちた夢は暗く冷たく、悲しくて、どうしようも悲しくて。泣き叫んでもどこにも光なんか見えなくて、探し回る気力もない私は泣きながら目を覚ました。
不安定な律動が寝起きの私の身体中に響いてくる。それから耳に馬の蹄の音で、私は自分が最悪の状況なんじゃないかと予感して、目を覚ましたことを後悔した。
「ちょ、なに……?」
私の眼下を流れる黒い地面は水のように早く流れていて、そして、手を伸ばそうにも私の体は何かに縛られて身動きがとれない。とはいっても、私は素肌を縄で縛られているわけではなく、何か柔らかな布でぐるぐる巻きにされているようだ。
「お、やっと起きたな」
私を抱えて馬を駆っているのはディだと、その声ですぐにわかる。すぐにもう一頭の馬が並んだことに気づいた私は、苦しい体勢のままで首をあげた。隣の馬の手綱を握るのはオーブドゥ卿で、彼の後ろにオーサーが同乗している。その向こうの一頭は私たちをオーブドゥ卿の屋敷に招いた執事だ。執事は重そうな荷物を馬に一緒に乗せている。
「げ、アディ。まだ寝てていいのに」
私が起きたことに気がついたオーサーは残念そうに言うが、残念なのは私だって同じだ。おいてきたはずのオーサーがどうしてここにいるのか、再会を喜びたいけれど、置いてきた理由が理由だけに素直には喜べない。
「こんなに揺れてて、眠ってなんかいられるかーっ」
「あんまりしゃべってると舌噛むぞ」
ディに忠告され、私は大人しく口をつぐむ。寒くないようにという配慮なのかどうか知らないが、昨晩ディが貸してくれたシーツで私はぐるぐる巻きにされ、ディの乗る馬の前方で、荷物のように乗せられている。私が起きたことにディは気がついているが、今はまったく止めてくれる気配もない。
「もう少しマシな運び方はなかったのっ?」
私の文句に対し、少しの間をおいて、ディは笑いながら返してきた。
「あー……まあ、いーじゃん」
「よくないっ。それに、なんでこいつらまでいるのよっ」
「馬持ってきてくれたんだから、感謝しろよー?」
私は、できるかっ、とディ言い返そうとしたが、大きな揺れで舌を噛んだ。しばらく痛みに悶え、少し話せるようになってからディに問いかける。
「ど、こに、向かって、る、の?」
「東の賢者の家だそうだ」
行くつもりななかった場所に勝手に行き先を決められ、普通の状況なら私だって黙っていられないところだが。
「……アディ、まだ寝てたほうがよかったのに」
「私だって、そうしたかったわよっ」
涙目になっている私を心配そうなオーサーを伺い、彼を乗せているオーブドゥ卿が尋ねてくる。
「あの、オーサー君? アデュラリア嬢は一体……?」
馬が地を駆る蹄の音で、オーサーが何を言ったのか、私には聞こえなかった。だが、オーサーとの長い付きあいから、私にも予想は付く。
「アディが馬酔いとは、意外だな」
ディの呟きは聞こえたので私が睨み付けると、目線を逸らして楽しそうに笑っていた。ここで話していても酔いが覚めるわけでもないし、私は大人しく過ぎゆく眺めに視線を落とす。
辺りは既に闇からの脱却を開始しており、薄っすらと明るくなってきている。多少胃からこみ上げてくるものを我慢しつつ、私は目線を馬の進む方へと向けた。道は長く続いており、かすかに歪む視界に先は見えない。こんな状況では、私は現在位置もわからない。
巻き込みたくないはずのオーサーが一緒にいることも、こうして強制的に賢者の元へと運ばれることも不本意で。でも、オーサーがそばにいるだけで、気持ちが明るくなる気がする。自分勝手においてきた癖に、一緒にいてくれることが嬉しいだなんて、私は本当に勝手すぎる。
「……最悪……っ」
気分の悪さと自己嫌悪の両方で私が呟いたら、やっぱり上からディの笑い声が降ってきて。降りたら真っ先に報復してやると、私は強く誓った。
「もう少し寝てなよ、アディ」
「無理」
優しいオーサーの言葉に、私は抵抗する。確かに眠ってしまった方が楽だけど、今すぐにでも眠ってしまいたいけれど、これからどうなるかもわからないのに私は眠ってなんていられない。私はこれ以上オーサーを頼ってはいけないのに。
「起きたら、話があるから逃げないでよね」
私が眠ると確信しているオーサーの言葉は聞こえないふりをする。だって、私がオーサーに話すことは何もない。巻き込むから嫌だと正直に告げても、オーサーは私についてくるだろう。だからといって、嘘でもオーサーに嫌いだなんて、私に突き放すことはできない。だから、私が話せることは何もないのだから。
閉じた瞼を通り過ぎる風がやけに冷たくて、私は強く奥歯を噛み締めた。