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Routes 3 -アデュラリア-  作者: ひまうさ
一章 ルーツの旅
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1#よくある幕開け

 目の前で光と風が爆ぜる音を聞いて、私は目を開いた。まず視界に入るのは白い一繋ぎの服を着て、白い帽子を被った二十歳前後とみられる金髪の青年で、彼は右手で左手を押さえ、苦悶の表情を浮かべている。外傷は見当たらないが、今の音からして、小さな雷にでも打たれたのだろうか。


系統診断(ルーティスト)、失敗?」

 彼の向こう側は山で切り出した岩を積み上げただけの壁で、崩れないのが不思議なくらいだ。その上、その間を四角く切り取ろうだなんて、作った人は正気の沙汰じゃない。その切り取った場所から吹き込んでくる風に吹かれて、かすかに流れ落ちた砂から、この建物の相当な古さが伺える。嘘か本当か女神が立てたのだと言われている。


「すいません、アデュラリアさん」

「いいよ、わかってたし」

 私が落胆もなく労いの言葉をかけると、彼――名前を知らないので青年神官としておこう――は見た目七、八歳程度には年下に見えるはずの私に怒ることも無く、苦笑を返してきた。


 彼の目にはおそらく私はこんな風に映っているだろう。十三歳ぐらいの小生意気な子供、と。格好こそいつも一緒にいる幼なじみの男の子と変わらないような短パンに黄色のシャツとなめした皮のベストだが、今日は普段と違って髪を二つに結っているので、ちゃんと女の子と認識されているかもしれない。そうでもしなければ男の子に間違われることも少なくない私の実際の年齢は十六で、ここでは既に成人したとみなされている。


「アディ、その言い方は無いよ」

 隣に来た幼なじみの男の子――オーソクレーズが私を嗜める。アディというのは私の愛称で、口を少しだけ曲げて振り返った先では、洗いたての白シャツに土色の茶色いズボンを黒と灰色のサスペンダーで吊った、短い金髪で黒い目の少年がいる。黒目といってもよくよく覗いてみれば、光の加減で碧の虹彩が入っている少し特徴的な少年だ。歳相応に十五に見られるのが、私としてはとても羨ましい。本名はオーソクレーズだが、呼びにくいので私はオーサーと呼んでいる。


「前に来た神官様だって言ってたじゃないか。三歳以上の系統診断(ルーティスト)は大神殿の神官様でもなければ成功しないって」

「そりゃあそうなんだけどさ~」

 わかっているけれどと口を尖らせる私を宥めるように頭を撫でようとする少年の腕をやんわりと跳ね除ける。一つだけとはいえ年下のくせに、時々こうして私を子ども扱いする行動が私は好きじゃない。私の子分のくせに生意気な、と以前に言ったら、笑いながらごめんと謝ってはくれた。だが、一向に改善してくれる気は無いようだ。


「その歳まで系統診断(ルーティスト)を受けていないなんて、珍しいですね」

 会話に割り込んできた神官の言葉に、オーサーとの雑談をぴたりとやめる。


「かつて、この世界は女神に創られ、支配されていました」

 神官の口から綴られるそれはよく知るもので、創世記一章一節に書かれている有名な文言だ。




「かつて、この世界は女神に創られ、支配されていた。

 女神による永い統治の間、世界は穏やかな楽園のようであり、そこではすべてのものが話をし、聞くことができた。渇くことも、飢えることも知らないその時代はまさに楽園であり、全ての物が女神を愛し、仕えることを至上の喜びとしていた。


 誰も、世界の一切が永遠に続くと信じていた幸福な時間は、ただひとつの無情な召喚により破られた。天上人である女神らを召喚したのは、それができるのは空間を統べる王、唯一の天帝である。


 女神らは自分たちの作った愛しき世界を護るため、ただひとりの幼い女神を地上に遺し、さっていった」




 世界は女神が去った日から輪廻を繰り返し、いつか女神が還る日を待ち望んでいると伝えられている。


 故に繰り返される輪廻の中、己が何者であるかを見失わないために、前世――つまり己の系統(ルーツ)を知らなければならない。それがこの世界を支える女神信仰の役目となっているため、系統(ルーツ)によって戸籍を神殿に登録することは、至極当たり前のことなのだ。


 確かに神官の言うように、私のように成人まで系統(ルーツ)を知らないものは稀少である。成人前であれば、ある程度の町以上には戦争で親を失ったり、捨てられたりして孤児になっている者もいるし、そういった者は知らない故に系統診断(ルーティスト)を受けることが無い。だが、ある程度――物心がつくようになれば、自分の足で町の小さな神殿にでも行けば受けることはできる。系統診断(ルーティスト)は基本的に無償で受けられるのだから。


「アデュラリアさんは、なぜ今までに系統診断(ルーティスト)を受けていないのですか?」

 孤児だったから、とかそれぐらいは予想がつくだろう。


 私はこの村から少し離れたイネスという街で生まれ、八歳の時にマリベルに連れられて、この村で暮らすようになった。それまでに神殿に行ったことがなかったわけでもなく、系統診断(ルーティスト)を受けたことが無かったわけでもない。だが、どの神官も系統診断(ルーティスト)に失敗し、人によっては修行の旅に出てしまったものもいるらしい。


「忘れてたのよ」

 だけど、それをこの神官に言う必要も無かったし、実際あまり思い出したくも無いことばかりだ。


 大陸の中でもこの国は大神殿を有しているだけに殊更に女神信仰者が多い。そして、そういう場所特有なのかどうかは知らないが、ひとつの伝説が残っているのだ。




女神の眷属

 そは至高にして、至宝の恵み

  手にし者らに全てを与えん



 それを言ったのが誰だとか、そういったことはどんな文献にも残されていない。だが、誰がいったか知れない言葉が伝説となって残っているおかげで、私は何度か殺されかけた。その理由は今はまだ語りたくない。


 目を閉じれば思い出す赤黒い闇を無理やりに記憶の奥へと封じなおし、口元に緩い笑みを浮かべる。


「帰ろうか、オーサー。わからないんじゃ、時間の無駄だしね」

 私はオーサーの自分よりも一回り大きくて、少し骨ばった左手を右手で掴み、この神殿の出口へと足を向けた。その足が数歩もいかないうちに、神官の少し焦ったような声がかかる。


「あの、アデュラリア、様っ」

 先程までの余裕気な穏やかさを棄てて、神官は言った。


「一度、大神官様にお会いください」

 その様子に、オーサーと二人で眉を潜め、顔を見合わせる。


「そりゃ、あなたにわからなきゃ、いい加減に大神殿へ検査に行かなきゃ行けないのはわかってるよ」

 ここみたいな小さな神殿には、常駐している神官はいない。この神官のように不定期に修行している神官を待つ他は、近くの神官の常駐している神殿に行かなければ系統診断(ルーティスト)を受けることはできない。だから、次を待つか、神官のいる神殿へ向かわなければいけないのだけれど、これまでの経験から一番力のある大神殿へ行かなければならないことは、私だってわかっていた。


「でも、なんでわざわざ言うの?」

 考えなくたって、他の誰もがわかっていることだったから、あえて言う必要も無いことだ。そのあとの神官の言葉で私とオーサーは、彼に対しての警戒を強めることになる。


「これは僕の憶測かもしれませんが、」

 神官はそこでひとつ息をついて、まっすぐな瞳と同じく、まっすぐな言葉を使った。








「アデュラリア様は、今代の女神の眷属かもしれないのです」







* * *


 女神の眷属が「至宝」と云われる所以は、女神の力を行使する権限があると伝えられるからだ。だからこそ、権力に固執するものたち――主に王侯貴族はその力を、存在を欲した。


 まだこの村に来る前、私はイネスの神殿で系統診断(ルーティスト)を受け、そして失敗した。それ以前から系統(ルーツ)がわからないということで誘拐にあったり、刺客に狙われたりしたことも度々あった。それでもなんとか生き延びていたのだが、その日を境にそれらは激化した。一緒にいた者たちはほとんどが巻き込まれて、死んでいった。望んで身代わりになってくれた者もいれば、本当に運が悪かったとしかいえない者だっていた。だけど、どれも自分が原因だったのは間違いなくて。


「あなた、馬鹿?」

 握った手に力が篭ったためか、オーサーが不安そうに私を見る。


「この世界はとっくに女神に見捨てられているんだから、今更女神の眷属がいるわけないよ」

 女神が作ったなんて、そんな伝承があるから、みんな殺された。私が神殿で、系統診断(ルーティスト)なんかを受けたから、死ななくていい子供だって死んだんだ。もしあの時に私に女神の力を使うことができたら、誰一人死なせやしなかった。


 女神がいなくなって、既に千年以上の時間が経ってるっていうのに、今更誰も本当に女神が還るなんて信じてなんかいない。私だって、とっくに女神が捨てた世界で、女神の眷属に揮える力なんてないって、ずっとそう思ってる。誰も口に出さないけど、きっと誰もが思ってるんだ。


 女神の力を信じて、欲しているのは権力に固執する愚か者だけだ。神官の力は女神とは違う、この世界で生まれた魔法で。魔法使い達が使う神官とは別の魔法だって、この世界に則したもので、女神の力なんて誰も必要としてない。


「それに、いたとしてもこんな場所にいるわけないじゃない。私ぐらいに育ってたら、とっくにどこぞの王族か貴族にでも売られてるよ」

 私の背中を軽く、オーサーが叩く。落ち着かせるように自分に私の身体を引き寄せてくれる。


「神官様、アディは女神の眷属じゃないです」

 私の代わりに、私の言葉を代弁してくれる優しい幼なじみに、私は素直に身体を預けた。


「アディは僕の大切な家族なんです。女神の眷属なんて、そんな言葉でアディを惑わせないでください」

 不安になるたびにこうして私を落ち着かせてくれるオーサーは、私にとっても大切な家族だ。だからこそ、私も言わなきゃいけない。


 オーサーから身体を離し、神官を真っ直ぐに見つめる。


「私は、女神の眷属じゃない。あなたみたいな三流神官が系統診断(ルーティスト)に失敗したぐらいで、決め付けないで」

 踵を返し、今度こそ私がオーサーを連れて、小さな風化の激しい石の神殿を出ようとしても、もう神官は何も声をかけてこなかった。




* * *


 外から差し込む昼の白い光に目を細めながら、私は片腕を上げて、それを遮る。強く目の前を通り抜ける風が騒がしそうに私の髪を揺らして、駆け抜けてゆく。ざぁという木々のさざめきに、箒で暗い気持ちを掃いてもらった気がした。


 何度も、何度も問われてきた。女神の眷属ではないのかと、何度問われても肯定するつもりはない。ないのだが、そろそろ色々な意味で潮時なのかもしれない。それに、否定することもだが、問われることそのものにも飽きた。


 繋いでいた手を解き、二つに結っていた髪を解くと、耳元をすり抜けて、髪が後ろへさらりと流される。黒く真っ直ぐで硬質な髪は、だがすぐにぺたんと背中におちついた感触を伝えてきた。わしわしと片手で髪を掻き、はぁと息をついて立ち止まる。


「オーサー、決めたよ。大神殿に行こう」

 私が笑顔で振り返ると、オーサーは驚きに目を見開いた。普段は憮然としているくせに、そうするとオーサーは少しだけ幼くなる。闇に落ちる世界の寸前みたいな深い藍色の瞳に、私の少し緊張した笑顔が映っている。


「えっ、アディは行きたくないんじゃなかったの?」

「気が変わった。どうせ、このままじゃ自由に旅も結婚もできやしないんだ。大神官サマとやらに、系統(ルーツ)を決めてもらおうじゃないの」

 他の国ではどうなのか知らないが、大神殿を有するこのルクレシア公国では、旅に出るにも所属している村や町からの許可がいるし、婚姻に関してもすべて神殿で登録すると決まっている。そして、すべてのことには必ず系統(ルーツ)の診断書が必要で、これは個人の存在証明みたいなものだ。私は通常それを持っていないので、村を出るだけでも私を証明してくれる者との同行が必須となっている。


 歩きながら、私は一度解いた髪を、腕につけていた紐で一つに括り直す。そうするとますます男にしか見えなくなると何度かからかわれたが、今日みたいに「おめかししてオーサーとデートか」なんてからかわれ方をするよりはマシだ。オーサーと私はそんな甘っちょろい関係ではない。


「アディ、短気はだめだって。大神殿までは日帰りじゃいけないし、途中には猛獣もいるっていうし、盗賊だっているっていうし。それに母さんたちだって、反対するよっ」

 吃驚して立ち止まっていたのだが、慌てて追い付いて来たオーサーの手が私の肩にかかるのを避けつつ、よろけた彼の首を腕の間に抱えこみ、そのまま歩く。


「うわわっ」

「猛獣は二人で何度も倒してるし、盗賊だって二人ならなんとかなるよ。母さんたちの説得だって、お姉ちゃんに任せなさいって。そんなことより、」

 腕の間でじたばた暴れるオーサーを笑いながら立ち止まり、頭の上から問い掛ける。


「オーサーは一緒に行くの? ここに残るの?」

 これは卑怯な問いだ。オーサーは私と出会ってから、逆らった例しがない。だから私は、彼が、オーサーが私の予想通りの答えを返すと知っている。


「……行くに決まってるよ」

 至極憮然としたオーサーの返答に満足して、ようやく私は彼を開放したのだった。慌てて離れるオーサーは少しだけ耳を赤くしてて、それが照れているのだと知っていて、私はからかうように笑う。


「何、赤くなってんの」

「赤くなんかない」

 そう言って顔を背けても、ますます耳は赤くなるばかり。


「なによー、昔は一緒にお風呂まで入ってあげたのに、今更私のこと意識しちゃってるっ?」

「アディ!」

「あははははっ」

 風を切るようにオーサーの先に立って、私は走る。少しだけ私の顔も火照っているのに気がつかないオーサーは、今度は怒って、顔を赤くして追いかけてくる。昔から変わらない、からかいがいのあるオーサーは、私にとって絶対に裏切らない大切な弟だ。


 だが、オーサーは真実を知っても、私の味方でいてくれるだろうか。


 かすかによぎる不安を振り払い、私はさらに走る速度を上げて、笑い声を高くした。

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