表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/1

プロローグ 言論バトル

 ああ〜早く終わらせて定時帰りしてぇな……


 と、俺こと及川(おいかわ) 正弥(まさや)はいつも通り仕事に追われていた。高卒から中小の広告会社に入社して早5年。二十三歳になった今、それなりに仕事に板が付いてきた平社員且つ、空いた時間には後輩に仕事をレクチャーする教育係として日々奮闘している。


 現在、長々とご贔屓にさせてもらっている製菓会社の取引先との会議にて発表するプレゼン用の原稿とパワーポイントの作成に精を出しているところだ。


「……うーん。ここのグラフはアニメーションを付けた方がインパクトが強いか?」


 先程まで無心でキーボードを叩き続けていた指が停止して、自分が気になるところを試行錯誤していく作業の繰り返し。正直言って、とても疲れてくる。


 これが本当に面倒くさくて。何せ今回のプレゼンは失敗したら即刻クビにされるくらいに大事な取引先だ。何故高卒五年の俺にこんな重要な仕事を任せられているのか不思議でならない。上層部は何を考えてるんだ。ここの課には大卒で業績エースのイケメンこと安藤くんが居るってのに……てか同い年なのにエースって普通に考えてあいつ凄いな。


 気分転換がてらにパソコンの画面から、件の安藤の方へ視線を向けると、どうやら丁度何かの書類を課長に提出するところだった。


「──課長。先日、言われました書類を作成しました。チェックをお願いします」

「お? もうやって来たのかね。ふむ、どれどれ……」


 さあ、俺の時はいつも鬼の形相をして文句を付けてくる課長チェックの時間だが……


「全て問題ない。完璧だね流石安藤くん」


 やっぱりすげえな。あの地獄を掻い潜るなんて。あといつも思うが、課長何故か安藤に対しては口調が柔らかいんだよな。二重人格かと思うくらいに俺への対応は厳しいから、あの仏モードの課長見るたび気持ち悪さが襲う。


「確か、安藤くんには一週間後の十五日までには完成できるようにしてくれと言ったはずだったんだけど。というか……先日とはいっても昨日ではなかったか」

「はい。ですが早いに越したことは無いでしょう。不測の事態にも迅速に対応できますし、リスク管理はしておくべきかと」

「いやぁ……やっぱり優秀だね安藤くんは。君みたいな人材がここ五年間ウチの課で活躍してくれていると、こちらも鼻が高いものだよ。実際、君に触発されたのか皆も業績を伸ばしているみたいだしね」

「いえ、それほどでも」

「あ、そうそう。安藤くん。明日の昼に社長を交えた報告会議があるんだけど、君のことをこっちから良く言っておくよ」

「……ありがとうございます。課長。では仕事に戻らせて頂きます」

「そうか。頑張ってくれたまえ」

「はい。失礼します」


 ……あいつもそろそろ出世かな


 稼ぎ頭である安藤が居なくなったら痛いは痛いけど、新入社員や若手である俺たち平が頑張れば問題はないか。

 あら、また安藤が近くを通った時、若手女性社員たちが顔を見合わせてこそこそ話してるな。あいつイケメンだし仕事も出来てさ、カッコいいよね分かる。


 それに……


「笹島さんも……当然安藤くんに夢中、か」


 課内でも一のマドンナである笹島(ささじま) (あい)さんも、あの安藤の紳士然あふれる立ち振る舞いの一挙手一投足に夢中だそうだ。因みに俺の密かな想い人でもある。

 自分の席に戻ろうとする安藤が笹島さんの席の後ろを通ろうとする時。


「あ、安藤くん」


 ……お、話しかけに行ったな笹島さん。勇気あるな。


「ん? どうしました笹島さん」

「あの、ここ分からなくて。教えて貰っても良いですか?」

「あーここですね。先ずは上の画面にあるプロバティをクリックしてもらって──」







 あ、やばい。涙出てきた。


「……何も勝てねえなぁ」


 仕事も、恋愛も全て。俺と安藤には雲泥の差があるんだ。

 曇っていく心を振り払うように作業を再開しようとすると


「──お疲れ様っす及川さん」


 と、後ろから後輩である田川がバックを持って小声で話しかけてきた。


「お、田川。なんだ、今日はやけに早いな。仕事は終わったのか?」


 俺も小声で返しながら、ふと時計を見れば時刻は既に十七時半を回っていた。業務終了時間までのこり三十分ってところか。三十分残して帰宅とか羨まし過ぎる。後輩のくせに生意気だな。


「終わりましたよ〜。今日は自分で言うのもなんすけど、すごく真面目に頑張りましたからね」

「あー……そ、そうか」


 若干苛つきながら平然と返した俺に、物珍しそうな顔で


「あれ? 及川さん珍しいっすね。なんかこういう時は嫌味の一つでも言って来そうな感じっすけど」


 と、そんなこと言って来やがった後輩。先輩としての威厳ないんですかね俺って。


「うんふっつうに失礼だな? お前。俺さ、一応先輩だぞ? まあ確かに嫌味の一つでも吐こうと思ったんだけど、今日お前の残業を手伝わされないって分かった瞬間にスッと言いかけたのやめたわな」

「うぐっ……いやホントいつもすんません。お世話になってます」

「良いんだよ。俺も二年間は同じようなもんだったから。勝負は入社して三年からだからな。ま、今のうちに手こずって失敗を学んでる方が正解だ。だから今はダメだとしても……あんま気を落とすもんじゃないぞ」

「…………あの、及川さん」

「ん? どうした田川」

「先輩ってたまに良いこと言いますよね」

「だからさっきから失礼だなお前。生まれてこの方良いことしか言わない体質なんだよ」

「いや、それは流石に言い過ぎっすよ」

「……ったく。わかったらさっさとけえれ。このオタンコナス」

「お、おたんこなす? えと……及川さん」

「しっしっ」


 と言った風に後輩と会話をし終えて、仕事に戻ろうとすると今度は課長から呼び出される。


「何でしょうか課長」

「及川。君に任せたプレゼンの原稿とパワーポイントの制作は今どれくらい進んでる」


 おい。安藤はくん付けで呼んでたじゃねえか。


「……あー、パワーポイントは現在三十ページ分の十八ページまでは制作済みです。プレゼンの原稿についてはまだ着手していません」

「ふむ。そうか少々遅いくらいだがまあ及第点だな」

「……ありがとうございます」


 いや充分に早いと思うんですけどね。だって今朝いきなり仕事押し付けられてパワーポイントは半分以上終わらせた俺を褒めて欲しいくらいだけどな。


「課長。あの……用件は以上ですか」


 この課長が進捗確認だけで俺を呼ぶなんてことは有り得ないけど一応な。


「いや、実は君にもう一つ頼みたいことが出来てね」

「……はい?」


 ほら。大体俺を呼ぶ時なんて殆どが仕事の追加だ。


「プレゼンを行う際にクライアントの方々に見てもらうための参考資料の作成を頼みたい。十人分だ」

「……」


 絶句だ。元々、俺がするはずだったのはプレゼンに使用するパワーポイントの作成だけだった。なのにこの馬課長は昼にとんでもないことを言って来やがった。


『及川。俺は今から大事な会議があるから原稿もお前が作れ』


 という見事なまでの仕事の押し付けを披露された。さしもの周囲のみんなも俺に同情するような目で見てきたものだ。


 それに加えて、今回の『参考資料作成』の仕事を押し付けと来たもんだ。


 今までの課長が受け持つ企画の殆どに俺を補佐として任命させて、面倒臭くて重要な仕事を責任から逃れるためか尽く押し付けて来た。嫌がらせか、はたまた気に入らないからなのかは知らないが……流石に堪忍袋の緒が切れた。もうぷっつーんだった。


「……あの、一つ宜しいですか?」

「何かな?」

「元々、俺がする仕事はパワーポイント作成のみだったはずです。なのに昼間には原稿作成を追加し、先程ばかりに参加資料作成を追加して……課長、本来これらはあなたが果たすべき仕事じゃないんですか?」

「……俺の命令に逆らう、と?」

「ええ逆らいます。今回ばかりは、流石に看過できないです。言わせてもらいますけどね、毎回毎回殆どの仕事を押し付けられてこんな仕事量ではとてもじゃないですけど身体が持ちません。それに加えて、残業手当が普段となんら変わらないなんてブラックもいいとこなんですけど? どうなってるんですが?」

「俺は君だから任せたんだけどなぁ。君のことは結構信頼してるんだよ。必ず仕事をやり遂げてくれるからさ、ついつい頼っちゃうんだよねぇ。今の広告営業課は君ありきなんだよ及川くん」

「はあーんよく言いますよ。課長は率直に申し上げると俺が気に入らないから、毎度の如くこのような仕事を割り当てて来るんですよね」

「なに?」

「だって明らかにおかしくないですか? 今回の取引先だってとても重要なクライアント相手の筈なのに、営業成績ではトップの安藤を補佐にせずに態々俺を指名する辺りが特にそうですよね」

「……それは」

「重要な取引には優秀な人材を当てるのが一番安心かつ、取引先から一番に信頼を得る方法なんですよ? まさかそのような取引の基礎も分からないんですか?」

「……さっきから随分と舐めた口を利いてくれるな及川。そんなにクビにさせられたいのか」

「ああ? 舐めてるに決まってるじゃないですか。すぐクビという大義名分を掲げて自分の都合の良いように事を促そうとしますよね。そういうの何ていうか知ってますか? パワハラですよ。独裁とも言っても良い。あなたは大粛清したスターリンになるつもりなんですか?」

「……なんだと? 巫山戯たことを抜かすのも大概にしとけよ? 営業中なのにこんな茶番を引き起こしてることに恥ずかしさは感じないのかね?」

「巫山戯たこと……ですか? 俺は事実を述べているだけですが? あなたが積み重ねてきたことに我慢出来なくなって吐き出してるんです。営業中、ですか。確かに職場ではこういうのは控えた方が良いですが時と場合によると俺は思ってます。だって、課長に直談判しに行ってもあれよあれよと二人だけなのをいいことに誤魔化されてしまったので、今回ばかりは証言者として広告営業課の全員に出席して貰っているだけです。というか、いつもこのくらいの声量で営業中にも関わらずに他の同僚にも怒鳴ってるんだから良いじゃないですか。普段の日常と何ら変わりありません。今は俺に怒鳴らさせてくださいよ」


 俺の止まらない減らず口に課長も本性を見せ始め、ついには至近距離まで近付いてきた後これまで以上に怒鳴ってきた。


「……っ、もういい! 及川お前はク──」


 しかし、俺は負けじと最後の抵抗をした。


「──それに、課長は新入社員にパワハラやセクハラされてますよね。俺は教育係なんで、すーぐ色んなところから情報が入ってくるんですよ……あの、辞めて貰って良いですか? ここ学校じゃなくて会社なんですけど。後輩いびりやスカート捲りの時代はとっくのとうに終わってんだよこの変態野郎ッ!!」

「──及川ぁッ!!」






 ──それから俺は課の皆が見ている前で、課長と小一時間ほどバトルを繰り広げるのだった。





 ◆






「終わった」


 あの後、ヤケ酒でベロンベロンに酔った後無事、都内の安いアパートの一人部屋に帰宅した。


 ……帰宅したのは良いが、玄関のドアに寄り掛かりながら、開口一番そのようなことを口から零してしまう。酔いによって身体のバランスが保てずに、そのまま腰を下ろして


「……終わった」


 と、また二回目を呟いた。


「明日にはクビだな。畜生……」


 それなりに苦労して入社した会社だったんだけどなぁ……


 何せ、あの課長とラップのフリースタイルダンジョン並みの熱い言論バトルを繰り広げたのだ。挙句には、途中から互いに冷静さを失ってて、課長は顔を赤くして怒鳴り散らかすわ、俺も俺でいつの間にか敬語自体も忘れて普通に怒鳴り返してたし。終いには取っ組み合いにはなるわ、すかさず周囲の同僚から止められるわで。


 止めに入ってくれた安藤には『及川! 気持ちは分かるけどそれ以上はダメだ!』と、言われてついカッとなって


 ──うるせぇ! お前みたいな何もかも優秀なやつに俺の気持ちなんか分かるか! えぇ!? 


 と、勢いで日々積み重ねてきた劣等感の全てをぶちまけたりとかしちゃって。あいつには確かに嫉妬してるが、それを除けば五年間一緒に働いてきた戦友なのだ。だから今日のことを水に流してくれる可能性はあるにはあるが……安藤がもし関係を切りたいって言うんだったら受け入れるつもりだ。


 ……それに、安藤を巻き込んだ後に怖くなって笹島さんの方をチラッと見た時なんか、すごく冷たい顔でこっちを見てたし。



「はは、は……」


 最悪、だ。


 てか、もう辞めるか。そうしよう。流石にあんなことをしといて平然とこれからも働けるほど、俺は図太くない。まあぽっちゃりはしているが。


 後輩たちからも良く『先輩ってなんか頼れるんですけど、何処となく親しみやすいクマさんみたいですよね』って言われてたわ。誰が大好物ハチミツだよ。


「……あー、でもなんだか」


 ──妙に心の内は晴れやかだった。




 そうと決まれば、酔い覚ましに水を飲み、退職届を書き始める。色々と未練はある。会社のことはどうでも良いが、これまで手塩にかけて育ててきた後輩たちや、安藤のこと。それに、笹島さんとかもそうだ。


 でも彼らのことだから、きっと今日のことだって一週間後には完全に切り替えて、仕事に精を出していることだろう。別に一人くらい平社員が抜けたって、会社は回り続けるのだ。


「俺が抜けても、直ぐに次の歯車は見つかっちまうもんなぁ」



 そう考えると、なぜあの仕事に本気に向き合い、後輩たちの教育にも真剣に取り組んでいたのかが分からなくなってきた。


 食っていくため……当たり前だ。


 好きな仕事だったから……そうかもしれない。


 良きライバルである同僚たちに負けたくなかったから……それほど体育会系ではない。


 それとも笹島さんと付き合うためだったから……あるかもしれない。


 ──しかし恐らく、どれも正解答ではない。



「……俺は」





 ──俺はただ誰かに認めて欲しかったんだと。


 退職届を描き終えた直後、初めてそれに気が付いた。


 そしてその夜、泥のように眠った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ