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自己同一性(10代)

作者: アビスケ

基本的に何も起こらないです。

高校2年生の夏ーーーーー


今の季節は夏だぞ、と目一杯主張するようにセミがジリジリと鳴く。空を見上げると積乱雲も夏を主張するに大きく空を陣取っていた。


あまりにも暑いため、僕はある本屋に逃げ込んだ。「偶然近くに本屋があったからそこに入った」と言い張ることもできるが、実を言うと僕は本屋が好きだった。そのために本屋に入ったのである。


中に人は居なかった。厳密にいうと一人だけ存在していた。会計の場所にお婆さんがいたのである。でも、お婆さん以外の人はいなかった。


これなら人目を気にすることもなく本を物色できるぞ、と意気揚々に僕は本を眺めていく。


沢山の本がずらりと並んでいた。


それはまるでこの世の知識がここに集結したと感じさせるほどだった。


ーーーーーーーー少し言いすぎた。


考えてみれば、この中には同じような本が何冊もあるはずだ。自己啓発本なんかは良い例だ。


そうやって自分に寒いツッコミを入れながら本を探していると一冊の本が目に入った。


それは「自己同一性」に関する本だった。


手にとってパラパラとページをめくる。難しそうなことがつらつらと書いてあった。


本を閉じて元にあった場所にそれを戻す。少し買ってみようとも思ったが、どうせすぐに難しくて諦めるだろうとも思い結局他の本を買い本屋を後にした。


家に帰ってから僕は少し後悔した。


「自己同一性」という単語は自分の中で何か引っかかる単語だった。その為本を買っておけば良かったと思ったのである。


そうして僕はこの「自己同一性」という単語に関して、自分なりに考えを巡らせようと椅子に座り込んだ。


まずウィキペディアでこの言葉の意味を少し調べてみた。


「自分は何者なのかという概念」と出てきた。


「自分は何者なのか」というのは「自分が何によって形成されているか」ということなのだろうか、と最初に考えてみた。人は自分一人では生きていけない。誰かに頼って生きている。それは自分を形成していくうえでも同様だろうと思い付く。自分の好きな歌はこれで、嫌いな歌はこれです、といった時もその歌は誰かが作ったものである。自分自身を説明するのに誰かが作った歌を使うのである。


自分はこういう人です。自分という存在はこの世の中で一人しかいない絶対的なこういう人間です、と相手に主張する時も結局はこの世に存在しているものを使って主張するのである。


しかも、自分はこういう存在ですと相手に主張したときに、そういう人間はあんまり好きじゃないと否定されることもある。自分はこのように否定されるのが嫌いで、よく自らの殻に閉じこもることがある。


じゃあこうやって否定されたときに心が保てるようにするためには、「自分は何者なのか」ということを自覚すればいいのだろうか。この概念を自覚すれば世界中の人間から否定されても生きていこうと思い続けられるのだろうか。


自分にはちょっと信じられない話である。


じゃあもし仮にこの概念を確立できたとしよう。しかし、確立すればこのような問題が解決できるんだろうか。そもそも確立された状態って具体的にどんな心理状態だよ。


人生経験が浅いからまだ分からないのだろうか。


経験を積み重ねて、かつその経験について一々深く考えれば確立されるのだろうか。


そこで僕はあることを思いついた。


経験を積み重ねればいいという話でもないのかもしれない。


もしかしたら、この確立は自分で自分自身という存在を自覚することなのかもしれない。仮に相手が自分を否定したとしても、自分で自分を自覚していれば重く受け止めることも無く客観的に受け止めることができるかもしれない。


この世には何十億という人間が存在しているし、その人間の数だけいろいろなその人なりの世界観があるがはずだ。自分の世界観と相手の世界観がずれているが故に、相手はそのずれをもどかしく思って嫌いと言葉に表現しているだけなのかもしれない。


「自己同一性」の確立というのは自分自身を自覚すると同時に、この世に存在している人々を確認することで得られるのかもしれない。


自分が存在しちゃいけないと思い込むのは、自分ありきで考えすぎていて他の人たちの存在を確認していないからなのかもしれない。相手から嫌な思いを向けられるかもしれない。それを回避するためにはどうしたらいいのか。相手中心に行動すれば解決するかもしれない。そんな考えが行きつくところまで行きついた結果、自分が存在しちゃいけないと思い込むのかもしれない。

でも、こういう風に考えると、発端は嫌われたくないという自分自身の臆病な思いなのだ。

それに、自分自身が思い込んでいるだけで案外心の奥底から自分が存在してほしくないと思っている人はいないはずだ。それよりも自分に生きていてほしいと思ってくれている人のほうが多いはずだ。


自意識過剰かもしれない。


でもなんでそれを自意識過剰だと思い込むのか。きっとこんな考えを他人に話せば話を聞いていた他人は「少し自意識過剰だね」と言ってくると自分自身で思い込んでいるからだ。でもさっきも思ったように相手がどう思うかを重視するだけでなく自分がどう思いたいかも重視するべきだ。自分の世界観は他人と自分で自分で作り上げるから。


そうやってウジウジ考えていると1時間が経過していた。


そして、明日までに提出しなければいけない課題を思い出して慌ててかばんを漁った。




読んで下さり、ありがとうございます。

良かったら評価をつけてもらえるとありがたいです。

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