全部、夏のせいだ。
暑い夏の1日だった。僕は、そのたった一日のうちに恋をして、そして失恋した。
真夜中の街頭に照らされ、まるでスポットライトに見つけられたかのようなその彼女の笑顔を僕は2週間たった今でも忘れることができない。
未練がましいかもしれない。そんな僕の一夏の恋。
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夏、それは、なぜか人々を出会いへと駆り立てる力がある。
流行病によって封鎖されたこの世の中でも、その力は衰えることがなかった。燦々と地球を温める太陽光にも、熱せられたアスファルトにも負けることなく、人間は出会い楽しみ悲しみ喜び成長していく。
まるで、神の視点で自分は違うかのように言っているが、かく言う僕も、その夏の魔力にあてられたニンゲンの一人だ。気温も何も関係ない、ただ7月だの8月だのと言う認識が生まれるだけで、梅雨の時期には大人しくしていた怪物が暴れ始める。もはや一年レベルのサーカディアンリズムか何かではないのか、と言う気さえしてくる。
そんなくだらないことを考えながら、サイクリングを楽しんでいた。水を飲むのが少し苦手な僕は、若干の熱中症のサインが出ていたが、止まっているよりも、自転車を漕いで風邪に当たっている方が涼しかったので、ゆっくりと漕ぎ進めていた。
日差しが強いため、スポーツ用のサングラスをしていたくせに、その姿だけははっきりと見えた。
ただの後ろ姿、だったはずだ。
黒いワンピースに白いバック。長い黒髪をそのまま下ろしている。
自転車を漕いでいると当然いろんな人とすれ違う。
車の時にはできない少しのよそ見をして顔を確認しては一喜一憂することだってある。
それでも、そんな記憶は3秒後には忘れる。そのはずだった。
いつもの通り追い抜かす時に顔を確認してしまった。
それからだ、今までくだらないことしか考えていなかった脳みそが、たった一つのことしか考えられなくなったのは。
気付いたら僕はその人と隣に並んで歩いていた。
どうしてなのか記憶にない。
「暑いですね、大丈夫ですか?」
そんな風に話しかけたのかもしれない。
何かきっかけがあって、彼女に危険が迫り、それを僕が颯爽と助けたのかもしれない。
ナンパまがいの口説き文句で誘ったのかもしれない。
何もわからない現状、わかったことは、怪物が僕を乗っ取っていたと言うことだけだ。
必死に彼女を楽しませようと頭を働かせて声を上げている自分をまるでアニメを見ているような感覚で自分の内側から観察している、そんな気分だった。
相手の顔は見えない。
そうしているうちに、彼女の目的地へ着いたようだ。会話の感じからして、どこかへ案内していたのだろう。サイクリングをこの辺りでしていた僕にとって道案内くらいは容易に違いない。そのはずだ。
自分は、第三者目線でいるはずなのに、どうしても苦しくなってくる。
未練がましい男だ、目の前の名前も知らない女性と離れたくない、その心を僕は否定できなかった。どうすればいい。さっきまで彼女を楽しませるために働かせていた脳味噌を今度はどうやったらこの人と一緒にいられるかを考えるために、働かせている。全部夏のせいだ。
「今夜、時間ありませんか?」
結局振り絞って出た言葉はそんなものだった。
連絡先を聞くのでもなく、ただ今夜の予定。ジブンとカイブツが混ざりあって出たような、そんな言葉だった。
突然様子の変わった僕に、一瞬だけ驚いた様子を見せてくれたが、すぐに小悪魔のような笑みを浮かべて、彼女はこう言った。
「ありますよ?」
また記憶がなくなった。多分これは熱中症のせいだ。次からはちゃんと水を飲もうと心に誓ったが、一つだけ僕の頭には離れない言葉がある。
『8:30に〇〇公園』
なるほど、僕は今夜8時半にその公園に向かわなければならないらしい。相手はおそらく彼女だろう。記憶がほとんどない日中にもかかわらず、彼女の姿だけは忘れられない。
とりあえず姿を整えよう。
長いマスク生活のせいで適当になっていた髭を剃った。
前髪に隠れていた眉毛を整えた。
デートなんてやる世の中ではないせいで全くやっていなかった髪のセットを一度練習した。
もう夜ご飯の時間が近づいている現状時間はない。やりたいことはたくさんある。
でも最後に確認したのは、四角いプラスチックの入れ物を肩掛け鞄に入れたかどうかだった。これだけは、怪物じゃなくて、ジブンの意思で入れてしまった。会うのは夜なのだ。
その日は熱帯夜が続いた最近の気候とは打って変わって若干涼し風の吹く夜だった。いくら日の出ている時間の長い夏とはいえ8時にもなると、真っ暗だ。住宅街と言う側面がある以上街灯の数が多いため真っ暗と言うのは正確な表現ではないかもしれないが、待ち合わせに設定されたその公園は少し大きめの公園で、街灯が少なく暗いと言ってしまえるくらいのところだった。
だいぶ早く着いてしまった僕は、しばらく公園を回って見てみることにした。
そこには、ダンスの練習をしている二人の女性と花火をしている子供たち、ベンチに座って泣きながらラジオを流している女性、それぐらいしか人はいなかった。時間が近づいてくると、僕はなぜか枯れたひまわり畑の近くに立っていた。
腕時計を見ると7が短針と長針に挟まれていた。
彼女は一瞬でわかった。僕の立っていたひまわり畑が公園で一番高い位置にあったと言うのもあるが、彼女が同じ服装だったと言うのも大きいだろう。
「こんにちは、遅れちゃってごめんなさい」
第一声は彼女の方だった。確かに少し遅れてはいたが、気にするほどの時間でもない。何より、ジブンとして初めて聞く彼女の声に動悸が早くなったのを感じる。
「どうしましょっか?」
特に何も考えていなかった、僕は、そんなことをいいながありがちな言葉を続けた。
「とりあえず歩きますか?」
彼女がうなずいたのを確認して、隣に並んで歩き始めた。そこからはたわいも無い話を指定歩いた。少し大きめの公園であってくれて助かった。少し歩き疲れたあたりで、ベンチに座った。すでに歩いている最中手をつないでいたらしく、その距離は0だ。彼女の香水なのか体臭なのか分からないがとてもいい香りが鼻腔をくすぐってくる。手は繋いだまま。
「もう人いなくなっちゃったね」
気づけば、公園にいた人たちはいなくなっていた。
「実はね、、、、、、、」
彼女の口が僕の耳に近づいてくる
「さっきも、別の男の人としてきちゃった」
カイブツが僕を乗っ取った。
いつもの感じだ。また記憶がない。
気付いたら、彼女と手をつなぎながら歩いていた。熱中症が続いているのか頭がグラグラする。話の展開から彼女送るために、駅まで歩いているらしい。
「喉乾いてない?」
そう言ったのは、どっちだったか、駅前のコンビニに二人で入った。彼女は炭酸飲料を買ったが、僕は飲み物というより冷たいものが欲しかった。
コンビニを出て、駅前で電車がくるのを待つ。
「パピコ食べない?」
まるでカップルのようにパピコを半分に分けて食べている。電車が来るまでのこり10分。
会話は途切れていないが、僕の本当に聞きたいことは聞けていない。
名前は
連絡先は
何をしている人なのか
僕は目の前にいる美人について何も知らない。
「じゃあ、さよなら」
気づけば電車が来るまで3分を切っていた。遅かった。
そう思っていたら、いつかのように耳元の口が近づいてきた。小悪魔の口だ。
「ごめんね、連絡先は交換しない主義なんだ」
改札を通り、電車に乗っていく。後ろ姿。あの自転車から見た後ろ姿。
彼女には全てお見通しだった。
電車が出発するまでその場に立ちつくしてから、後ろを振り返って思いっきり走った。
カイブツは現れてくれそうにない。今こそ僕を乗っ取ってくれ。そんな願いも届きそうにない。くそ
そう悪態を吐いていながらも僕の口元は歪んでいた。
久しぶりの感覚だった。誰かを好きになるのは簡単なようで難しい。時間をかければいいわけでもない、きっかけが必ずあるわけでもない、綺麗な出来事が持ってくるわけでもない、渡り鳥が運んでくるわけでもない。
恋をするのはいつも突然で。終わりも突然だ。一期一会どころの話ではない。彼女といた時間は4時間もないだろう。でも間違いなく僕は彼女に恋をしていた。そして失恋をした。
誰かを好きになるって、幸せなことだ。
でも、これだけは言わせて欲しい。
全部夏のせいだ。
走り書きです。