海獣
同日 カルダル島沖 タファロン軍旗艦、イベリス型1番艦:イベリス
深い藍色の海を引き裂くように連合国列強にも引けを取らない戦艦が、長く重い尾をゆっくりとゆらし、二本の肺熱穴からモウモウと黒煙を吹き出して進む。その巨大な牙はまるで切り立った連山の様に時折海中から顔を出し、大量の海水と光性プランクトンを歯の隙間から滝のように零れ落ちさせている。その上に並ぶ左右3対の巨眼は縦に割れた黒めの不気味な目玉をギョロギョロとせわしなく動かして警戒に余念がない。その巨大な海獣と呼ばれる奇怪な生物の上に、黒鉄の城のような建造物が乗っていた。それが天守閣があり、人間の乗る所である。その周りには天守閣を囲うように見張り台が配備され、そこには数えるのもおっくうになるほどの双眼鏡が並び、取り付くようにして白い制服に身を包んだ海軍がぐりぐりとそれで海面をなぞる。すでに主砲および対空火器には人員が配置され、指揮所より送られた指示に従って雲一つない青空を目を皿にして睨むのだった。
海獣にとって最も恐ろしいのは魚雷である。もっとも、イベリスほどの巨艦ともなれば、硬い装甲と脂肪によって臓器が守られているために仲間内からは『浮沈戦艦』との異名で呼ばれているが、そのくせ大食らいで機嫌の起伏が激しく、仲間との同調性にかけることを艦長の長谷部は良く分かっていた。
赤い艦長の座る椅子からは、凪いだ青い海が良く見渡せた。イベリスの鼻先にはゴミや流木もなく、実に機嫌よさそうに泳いでいるのを見て長谷部はウムと大きくうなずいた。鎖骨に届くほど伸びた長髭を白い手袋の手のまま撫でて上着のタバコを探す。
「艦長。また喫煙ですか?」
「なんだ砲雷長。戦艦乗りが煙もふかせんでどうする」
「もういいお年なのですからどうかご自愛ください」
「ヤニがない方が体に毒じゃ」
苦笑いしながらも、たばこの白いのをついと取り出した砲雷長に短く礼を言って長谷部は口に咥え、ぱちりと金のオイルライターで火をつけ胸いっぱいに煙を吸い込んだ。
吐き出す紫色の煙に、司令塔内で測距儀に足り突く若いのが笑うので軽く足先で蹴り飛ばして見張らせる。
「右舷20度、敵駆逐艦3隻!艦砲射撃にて地上を攻撃中!」
「おし!よくやった!!取舵二十!両舷前進強速!!」
長谷部の指示に、航海長が素早く復唱し手元の速度盤をいっぱいに倒す。ジリリリッとけたたましいベルが鳴って、視界が左に流れる。
イベリスが身をよじって回頭を行っている。
「主砲用意!弾種徹甲!」
司令塔下、前方の二連装30サンチ砲二門がゴロゴロと音を立てて首を曲げる。
「観測機はあげますか?」
「今はいい。とりあえずかっさらいながら鼻っ面をもぎ取れ!!砲手!ぬかるな!!」
「勿論です!!この伊藤、命に代えてもこの一斉射を命中させます!」
「安心しろ。必ず当たる所までこいつで運んでやる」
ニヤリと長谷部はニヒルな笑みを浮かべた。
戦火を最初に開き、かの国の艦隊を壊滅させたのは海軍であった。しかしそれらは航空隊と一部の潜水艦による攻撃であって、騎士が行うような正々堂々とした攻撃とは言えない。戦艦の正面からの殴り合いこそが最も美しい海戦の花形だろうが!!!
長谷部は根元まで火の回ったタバコを名残惜しそうにチビチビと吸って、吸い殻入れにそっと積み上げる。久しぶりの戦闘にイベリスも興奮するようで地響きのような唸り声を上げていた。