5 赤い衝撃
今日は散々な一日だった。
朝はいつもの時間に起きられなかったし。
今日も瑞希と一緒に駅まで歩くことになるし、電車に危うく乗り損ねるところだったし。
髪は跳ねるし、朝からずっとお腹が痛いし、お弁当のお箸入れ忘れてるし。
数学の授業で昔の事を思い出して、ぼーっとしちゃうし。
当てられて何も答えられなくて課題出されるし。
朝から晩まで溜め息つきっぱなし。
散々だ。
香奈やゆかりと別れ、大通りから家へと向かう道に入る。なんだか足が重い。
ざっ、ざっ、ざっ。
後ろから足音が聞こえる。
おもむろに歩みを止めてみる。
ぴたっ。
後ろから聞こえてくる足音も止まる。
ああ散々な1日。
まだまだ散々な目に会うのか私は。
大きく溜め息をついて再び歩き出す。
後ろの足音も再び歩き出す。
もうすぐ家。
なんだか我慢できなくなって、振り返る。
「その歩き方、不審者みたいだからねっ」
バツの悪そうな顔をした我が幼なじみが、私の目の前に立っていた。
◆ ◇ ◇ ◇
「ゴメン、真紗っ」
瑞希が苦笑いをしている。
「声かけようとしたんだけど、ずっと溜め息ついてたから、何かあったのかと思ってさ」
どうやら私も不審者だったようだ。溜め息ついて俯いて、のそのそ歩く女…うん!怪しいな!私!
ちなみに美人だと不審者にはなりません。翳りのある美女になれるんです。世の中は不公平にできています。
「たっぷりあるんだよそれが…」
「え?」
「瑞希に助けて欲しいんだけど…」
瑞希の両腕を掴む。
「数学の課題っ。お願い、助けて~!!!」
呆れた顔をされると思っていたのに、私に見せた顔はいつもの、ふんわりとした笑顔だった。
◇ ◆ ◇ ◇
「瑞希んちの玄関、久し振りに通った気がする…」
家は寄らず、そのまま隣の家にお邪魔することにした。
勉強道具は全部カバンの中にある。
普段は窓越しにお邪魔しているので、なんだか新鮮な感じがする。
「お邪魔しまーす」
返事はない。おばさんも留守のようで、家の中は静かだ。
二階にある瑞希の部屋へと向かう。
「待って、オレが先に――」
駆け上がろうとしたら瑞希に左腕を掴まれ、引っ張られた。反動で体が半回転する。バランスを崩して転びそうになったけれど、瑞希の左腕にキャッチされた。
うわっ。
心地よい匂いがふわりと漂ってきて、思わずくらりとしてしまう。
心臓が跳ねる。
誤魔化すように、怒ったような口調で文句を言った。
「危ないな…こけるかと思ったよ!」
「あ…ゴメン、悪かった、真紗」
耳元でささやかれて、それ以上言葉が出せない。
背中と左腕に絡んだ手が離れ、ほっとした。瑞希は階段を上がっていく。
大きな背中。
私は深呼吸をして、胸の鼓動と顔のほてりを、吐き出した。
もう大丈夫。いつも通り。
ドキドキしたくなんかないんだ私は。
私は、瑞希を、好きになりたくないんだーー
◇ ◇ ◆ ◇
私は結構ずるいと思う。
普段は瑞希の事を避けている癖に、こういう時だけ都合よく瑞希を頼る。
誰も見ている人がいないからいいか、と誤魔化している。
とても中途半端な事をしていると自分でも思う。
瑞希の優しさに甘えてると思う。
でもホント…
勉強の教え方、上手いんだよなあ、瑞希…
「~で、ここがこうなるから、ここで・・」
授業を聞いても、さっぱり分からなかった内容が、頭にすんなりと入ってくる。私、自分で思うより馬鹿じゃなかったのね、って気がしてとても嬉しい。
「こうなるんだけど、分かった?」
ふわりと微笑む瑞希。なんだかキラキラして見える。
「もの凄く分かりやすかったよ、ありがとう!」
課題がサクサク片付いていく。わーい。
すっかり上機嫌になった私は、普段より愛想良く瑞希に話しかける。
「瑞希って教えるの上手いよね。学校の先生とか向いてそう!」
「そうかな、マンツーマンだから教えやすいだけかなって思うけど」
「あ、でも先生になるの勿体ないかも、瑞希ならもっと、なんでもなれそうだよね。将来の夢とかあるの?」
うーんと唸りながら暫く考えた後、特にないなぁ、と答える瑞希。何それ、夢ないなあとケラケラ笑っているとむっとされた。
「オレよりさ、真紗は?なりたいもの」
瑞希スマイルで私を見つめる。切り返されてドキっとする。
「え、私?うーん、OL?」
笑ってこめんなさい、私も夢のある話出来ません…
「何それ、オフィスラブでもしたいの?」
「いやいや。売れ残っても大丈夫なように、ちゃんと一人で生きていけるだけのお給料貰えたらなあって」
「大丈夫だよ。残ってたらオレが貰ってあげるよ」
また、心臓が跳ねる。
そういう冗談、言わないでよ。
ドキドキしたくないって言ってるのに…。
なんだかお腹が痛くなってくる。
「私は余るかもしれないけど、瑞希は余りません!」
むっとした顔をして誤魔化す。
残るどころか取り合いになってると思うな、瑞希は。
しかし、お腹が痛い…
朝から痛かったけど、だんだん酷くなっている。
「どうしたの?真紗。気分悪い?」
心配そうに瑞希が聞いてくる。
「ううん、ちょっとお腹が痛いだけ、大丈夫だよ」
痛くてだるい……
「トイレ行ってこようかな…」
立ちあがってふと下を見た瞬間、思わず座布団の上にうずくまった。
や・ば・す・ぎ・る
ちらりと視界の端に入ってきた光景に、どっと冷や汗が出てきた。きっと私の顔色は真っ青だ。瑞希が怪訝そうな顔をして私を見つめる。
「具合だいぶ悪いだろ。家帰って寝る?それとも病院連れて行こうか」
「大丈夫…」
座布団の上には赤い染みが出来ていた。
どうりでお腹が痛いはずだ。
生理きただけじゃん…
「全然大丈夫に見えないよ、取り敢えず家連れてくから!」
瑞希が私の体を持ち上げようとする。やめて~、私から座布団を離さないで~!
「離して…大丈夫、どこも悪くないから。本当に悪くないから…」
真っ青で大丈夫と言っているせいか、瑞希は私を抱えようとするのを止めない。
取り敢えずこの座布団、座布団どうにかしないと…
このまま置いていけない!
「大丈夫…歩いて帰れるから心配しないで…本当に心配しないでいいから、それよりこの…」
「この座布団しばらく貸して……」
座布団を抱きしめたまま、お姫様抱っこをされた私は、玄関先にいた真琴にとっても白い目で見られるのだった…