3 逃げだした感情
鮮紅の空間の中で真紗は一人佇んでいる。
「綺麗…」
帰宅途中、大通りから自宅までの道伝いに流れるドブ川に映る夕日が綺麗で、思わず足を止めた。
普段は汚い川の癖に、珍しく素敵な風景に見える。
赤く輝くドブ川に、すっと自分の姿を映す。
量が多くて膨れた髪の毛。
低い鼻。ぼーっとしたような顔つき。
双子なのに、真琴みたいにキリッとしていないこの顔は、どうしても好きになれない。
こんな風に佇むのを見て、美人なら憂いを感じるところなんだろうけど、私だとただの変な子にしか見えないと思う。
絵になるかならないかの差は大きい。
ドブ川は夕日のお蔭で綺麗になれたようだけれど、私は全く変わらなくて溜息しか出てこない。
ふと、水面にもう一つの姿が映し出される。真紗の後ろから人影が近づいてきて、隣へとやってくる。
「真紗、こんな所で何してんの?」
別に…と言いかけて止め、再びじっと水面を見る。
理知的で柔らかな瞳は、まつ毛が長くて、多くて。
すっと通った形の良い鼻に、品の良い、赤みを帯びた口元。
ふわっと、雪の舞うように柔らかな微笑を浮かべた、端正な瑞希の顔が隣に映っていた。
なにこの違い。
隣に映る自分との差が酷すぎる。
「瑞希はいいなぁ…かわいい子から沢山もてるんだろなぁ」
「は?何言ってんだよ」
呆れた表情の瑞希に、くるりと向き返る。
「夕日みてたら羨ましくなってきちゃって。そういや昨日、女の子来てたよね」
「その気のない子からいくら寄ってこられても、少しもいい事ないけどね」
「なんかすごい贅沢な事言ってる!」
「真紗だって想像してみなよ。おじさんに言い寄られて、嬉しい?」
太って脂ぎったバーコード頭のおじ様をリアルに想像してしまい、ちょっと気分が悪くなった。こんな私だけど、流石にそれは嫌だ…
「あれ、でも、真琴曰く美少女だったような…」
美少女とおじさんを比べてはいけない気がする。
「関係ないよそんなの。てか、オレから見たら、真紗の方が羨ましいのに」
何言ってんの。私より何でもできる癖に。私よりなんでも持っている癖に。
「昨日、真琴に熱演して貰ったよ?」
ふと、昨日の真琴劇場を思い出した。不意の攻撃に瑞希が固まる。
「え?」
真琴の真似をしてみる。絶対に似ていないキリリ瑞希。
「どうしてここに…ハナオカさんっ」
「センパイっ」
私がやるとキリリとしないような気がしてきて、路線を変えるべきか少し悩んでいると、瑞希が口を開けてパクパクしだした。
思ったよりいい感じ?
ノッてきた私は取りあえず続けてみた。
「私、センパイが好きなんです…」
「ハナオカさん、オレ…」
台詞は絶対間違えてるけど、内容は大体合っている筈。
「うわあぁぁぁぁぁぁ」
真っ赤な顔でヘンな声をあげた瑞希に、昨日の真琴の台詞をプレゼント。
「続きは、本人に聞いてね!だってさ!」
瑞希は暫く、放心したままだった。
◆ ◇ ◇ ◇
「倉瀬せんぱーい」
突然、後方から声が聞こえた。振り向くと貴翔学園の制服姿の女の子が2人、目に映った。落ち着いたこげ茶のブレザー。私なんか、どんなに望んでも着ることの出来ない、名門進学校の制服。
ツインテールをした勝気そうな女の子と、黒髪ロングのおとなしそうな女の子。
2人はこちらに近寄ってくる。
「部活の後輩なんだ」
聞いてもいないのに、瑞希は慌てて説明し出す。
ツインテールの子が、ちらりとこちらを一瞥する。
「……誰ですか、この女」
この目線は悪意だ。中学の時に散々受け取った懐かしいやつだ。慣れてはいるものの不快感は拭えない。
「オレの幼なじみ」
「ふゥン……」
声に出さなくても、雰囲気で十分伝わってくる。
なぁに、この女。幼なじみだかなんだか知んないけど、いい気になんないで、近づかないで―――
(ああ、あの時と同じだ)
いつもいつも…変わらないんだ。
じっとりと纏わりつくような女の子の視線。痛い。痛くなってくる。
(もし私が美人だったら、皆の反応はもっと違ってたのかな…)
そんな事をおぼろげに考えながら、さよならと微かな声をあげ、私は早急にその場を離れることにしたのだった。
◇ ◆ ◇ ◇
見知らぬ女の子の悪意にあてられ、なんだかぐったりした。
真琴はまだ帰ってきていない。
椅子に座って天井を見上げる。
今日は久し振りに逃げた。あの場に居続けていたら、きっと言われるだろう言葉が、何を言うかは分かっているんだけれど、やっぱり直接聞きたくなくて、意気地ない私はすぐに逃げてしまった。
中学の頃を思い出す。
初めてそれがあったのは、中1の夏。
あの頃はまだ、私は何もわかっていなかった。
いつもいつも一緒にいたから。
幼さの抜けきらない私と瑞希は、同じクラスになったこともあり、大抵いつも一緒にいた。一緒に登校して、下校して、休み時間も一緒に過ごして。一緒にいるのが当たり前で―――そういう雰囲気が反感を買ったのかもしれない。
ある日、私は裏庭に呼び出されてしまった。
「堀浦さん、あんた倉瀬君の何?」
クラスの女子3人くらいに囲まれて、凄まれてびっくりして。
「私?えっと、瑞希の、幼なじみだけど…」
ついつい下の名前を呼んでしまったのが火を付けたらしくて。
「幼なじみだからって、いい気になんないでよ」
皆、なぜだか怒り出して、意味が分からなくて。
「あんた、倉瀬君にべたべたし過ぎなのよ。今後一切、彼に近づかないで」
突然言われたことが、更に意味が分からなくて。
理不尽なこの状況になんだか腹が立ってきて。
「え、嫌」
口にした途端突き飛ばされて。
向こうからはなにコイツ生意気とか声が聞こえて。
花壇の端に並んだコンクリートにぶつけて血のにじみ出た膝を眺めながら、寄ってくる女の子達の悪口をじっと聞いていた。
「ブスの癖に、倉瀬君に似合うとでも思ってんの?」
考えたこともなかった。
「あんたなんか付き纏ってちゃ、彼が迷惑するのよっ」
迷惑?誰が?
怒涛のように押し寄せる悪意に思考が麻痺し過ぎて。
「…そうなのかな」
ぼんやりとそんな返事をした気がする。
女子たちに囲まれて気づいたこと。
それは……平穏な毎日のためには、あまり、瑞希に近寄らない方がいいということ―――
◇ ◇ ◆ ◇
釣り合うところが見つけられないの。
瑞希の隣に寄り添う、素敵な女の子を見つめた。
少女の笑顔は相変わらず柔らかだったけれど、綺麗な顔は少し悲しそうに見えた。