15 リップバームと星空と
今日は部活の日だ。
今、オレの目の前には分厚い扉が立ちはだかっている。
「ふう」
軽く溜め息をついて、ドアノブに手をかける。
この中には彼女がいる。
あんまり顔合わせたくないんだけどなーー
「倉瀬先輩!」
中に入ると、妖艶な笑みを浮かべた華岡さんが、すかさずオレの右隣へとやってきた。やっぱりこの子、こないだから態度が変わった気がする…。
めんどくさい事になったな。
「瑞希、お前華岡と付き合ってんの?」
「付き合ってないよ」
航太がオレの左隣に座ってきた。オレの中学時代からの親友だ。
「え、こないだデートしてただろ?俺見たよ」
「2人で一緒に学校出て、駅向かってる所、私も見たな」
部長まで一緒なって囃し始める。最悪だ。
「やだ、見られてたんですか?ちょっと2人で、喫茶店行って、雑貨屋巡りをしただけですよ、ね、先輩」
そう言ってさり気なく俺の腕に自分の腕を絡め、上目遣いでじっと熱い目線を向けてきた。
この態度とその台詞、絶対みんなが勘違いするやつだと思うよ?
するりと華岡さんの腕を外し、否定も肯定もしないでおく。口にすればするだけ、藪蛇になる気しかしてこない。
不機嫌なオレの様子を見て、航太が何かを察したのか、オレの耳元で囁きだした。
「お前もしかして、まだ堀浦がいいの?あの双子のイマイチな方だろ」
こいつのこういう所だけは本当に腹が立つ。真紗に対してこんな言い方をする所さえなけりゃ、本当にいい奴なんだけどな。
「華岡の方が断然、可愛いと思うけどなぁ。物好きだよなお前」
「物好きでいいよ。ほっとけよ」
「まあいいけどさ、それならそれで、彼女いるって言っちゃえば他の女寄ってこなくていいんじゃないの?」
「………」
「言い寄られるの、好きじゃないんだろ」
「…真紗と付き合ってはいない……」
「は?何やってんの?」
航太が呆れた顔をしてオレを見る。そりゃまあ、何やってんだろ、って自分でもそう思う…。
腕を振り解かれた華岡さんの耳にこの話が届いたのか、急に挑戦的な眼差しでオレを見つめてきた。
嫌な予感しかしない……
「真紗さん、今夜は兄とドライブですよ」
はい?
「私の兄、妹の私が言うのも何ですが、とてもカッコよくて素敵な人なので、真紗さんもクラっときちゃいそうですよね」
にっこりほほ笑んだ華岡さんの姿が、なんだか、オレには悪魔に見えてきた…………。
◆ ◇ ◇ ◇
晩御飯を食べ、お風呂に入った後、スマホを見たら着信があった。
ラインが届いたみたい。
確認すると華岡さんからだった。メッセージを見ると―――
『真紗ちゃん、今、外でられる?』
今?
時計を見ると20時30分。ラインの着信は20時17分。
え?外にいるの?
慌ててカーディガンを羽織り、サンダルを履いて外に出ると、自宅の前に、黒のアウディを添えて、華岡さんが立っていた。
「どうしたんですか?」
びっくりして華岡さんに近寄る。家の場所…みちるさんに聞いたのかな?
「今日、天気がいいせいか、星が綺麗だなって思って」
そう言われて夜空を見上げると、本当に、綺麗な星空が広がっていた。
「あれ、今、お風呂上り?」
パジャマにカーディガン姿の私を見て、華岡さんが眉をひそめる。
ああっ、びっくりしてつい、こんなカッコで出てきてしまったあ!
何かを考えるようにして、華岡さんがポケットから丸いケースを取り出した。蓋を開け、指に何かを付けたかと思うと、私の唇に自分の指を滑らせてきた。
「なっ、なんですか?」
真っ赤になって焦る私に、いつものクスクスとした甘い笑い声を出しながら、指を動かし続ける。
なにか、塗ってる?
花のようないい匂いが広がる。
「これ、あげようと思ってたんだ。リップバームだよ。いい香りするでしょ」
そう言って、蓋を閉じ、私の手のひらにバームを置いた。
「お風呂上りにケアするといいよ。あと、朝、顔洗った後もね。横じゃなくて、縦塗りしてね」
ドクドクとバームを置いた部分が脈打つ。手のひらに心臓があるんじゃないかと間違えてしまいそうだ。
「これを渡すためにわざわざ来てくれたんですか…?」
「いや、星を見に連れて行こうかなと思って。乗って」
「え?」
「ここは住宅の明かりがあって、余り良く見えないからね。もっと綺麗に見える所に案内したくて」
そう言って、華岡さんがアウディの助手席を開けた瞬間、背後から声が聞こえた。
「なにやってんだよ」
瑞希だ…。
華岡さんを睨み付けている。
突然、私の腕をぐいと掴んだ。なんだか怖い…
「真紗、まさか、ついて行く気?」
聞いたことが無いような低い、冷たい声をしている。
こんな瑞希を私は知らない。腕を掴む力が強くて、痛い。
「あんた、こんな時間に、真紗連れて行く気かよ」
瑞希がまるで、知らない人みたいに見えて、私はなんだか怖くなってしまった。
「痛いよ、離して…」
私の体が微かに震えている事に気付いたのか、腕を掴む手が緩む。その時、華岡さんが私の後ろから、軽く抱き締めるように片腕を回して右手を私の左肩に置いた。
「真紗ちゃんの幼なじみの瑞希君だっけ。君も一緒に来る?」
「………行きます」
かくして私と瑞希を乗せ、黒のアウディは夜の町を通り抜けて行くのだった。
◇ ◆ ◇ ◇
結局、私と瑞希が後部座席に座ることになった。
瑞希は相変わらず、むっつりとした表情のまま、黙っている。
華岡さんも、いつもと違い黙ったままで、静かな中ラジオがひっそりと流れている。
車の外の景色を見てみた。
窓越しでも綺麗な星が見え、少し心が和む。
そっと唇に指を添わせる。花のような香りとしっとりとした感触が、まるで今が夢の中にいるような気分にさせてくれる。
暫くすると車が人気のない山道に通りかかった。街灯の数が減っていく。
比例するかのように、空の星の数が増えていくように見えた。
「お待たせ、着いたよ」
到着した場所は、ドライブコースの休憩所なのか、駐車スペースと簡単な柵が山の裾についてあった。
辺りに人は居ない。私達の貸切状態になっている。
「星空って、冬はとてもよく見えるんだけどね、春は、街の中じゃ余りよく見えないんだよね」
見上げると、家の前で見た時よりもずっと、沢山の星が見えた。
ものすごく綺麗…
そこにあるのは、一面の星空。輝く星が幾つあるのか、数える気にもなれない。
「曇って見えない日も多くて。見えた、と思っても、一等星が見える程度だったりしてね。なんだか悔しくて、良く見える場所を探して見つけたのがここなんだ」
「すごいなここ、かに座まで見えるのか」
さっきまでのむっつりとした顔を少し崩し、瑞希が答える。
「そういえば瑞希君はみちると同じ天文部だっけ。そうだね、街中じゃまず見えないよね」
華岡さんがとても上機嫌だ。あの日、喫茶店で見たのと同じ、遠い目をしている。
「すみません、綺麗な星だとは思うけれど、私、星座とか何一つわかりません…」
1人、何も分かっていない自分がなんだか恥ずかしくなって、肩をすくめる。
「別に分からなくてもいいんじゃない?星を見て綺麗だと思う、それで十分じゃないかな」
そう言ってそっと私の肩に手をかける。思わず華岡さんの顔を見上げると、いつもの甘い笑顔があって、少しほっとした。
「んで、この星見せるために、こんな人気のない所に真紗と2人で来る気だったの?」
瑞希が私の腕を引き、華岡さんとの間へと入ってきた。肩にかけられた手が空を切る。
「真紗ちゃんと2人きりで、僕がこんな所に来ようとしていたとか、怪しいかな?」
くすくすと笑い出す華岡さん。
私の腕を掴む瑞希の手に力が入る。手のひらが触れる所に熱がこもる。
「危険だと思う方が普通ですよね。真紗は鈍いからイマイチ分かってなさそうだけど」
「何かよからぬ想像でもしていたのかな?瑞希君は」
笑い声が更に大きくなる。
あれ、もしかして瑞希ってば、なぜか私の心配…してくれてたの?
瑞希は、警戒したような眼差しでじっと、華岡さんを見据えている。
「いや、流石に宜しくなさそうだよね。大丈夫、君がちゃんと着いて来てくれるんじゃないかな、と思っていたからさ」
華岡さんは、もうすっかり肩まで震わせて笑っている。
え?
「瑞希も、最初から華岡さんに呼ばれていたの?」
「いや、そもそもオレ、携帯持ってないし」
お互い、ぽかんとして顔を見合わせる。どーなってんの?
「ところで、真紗ちゃんて可愛いよね、瑞希君もそう思わない?」
突如、華岡さんがいつもの調子で瑞希に話を振り出した。
思わずドキドキしながら瑞希の反応を横目で見る。
「……………まあ」
目を逸らして瑞希が曖昧な返事をする。その様子に、華岡さんが益々笑い声を大きくする。
「可愛いと思っているなら可愛いって言えばいいのに、本当に、誰かさんみたいな人ばかりだ」
もう訳が分からない。
「さ、もう少しこの星空を堪能したら、帰ろうか。おうちの人に心配されない時間のうちに」
こうして、私と瑞希はなんだか、狐ならぬ華岡さんにつままれたような心持ちで帰路へと向かうのであった。




