13 甘い囁き
HRが終わり、帰宅しようと思うと、華岡さんに呼び止められた。
なんだろう。今日は部活のない日だ。
「先輩。今日、帰りに、デートに出かけませんか?」
「行かないよ」
突然の言葉に内心驚く。周りも同様の反応をしている。
「オレ、君とは付き合えないって言ったよね。だからデートは出来ない」
この手の会話は正直、日常茶飯事だ。
きっぱり断るのが一番いい。
でも、華岡さんて、こんな積極的なタイプだっけ?
うちに来たときはもっと、大人しそうに見えたけど。
「先輩、それじゃ言い方を変えます」
にまりと妖しげな笑みを浮かべる華岡さんを見て、思わずぞくりとした。その感覚が正しかった事を証明するかの様な台詞が、不穏な口元から発せられる。
「兄と真紗さんのデートを、一緒に見に行きませんか?」
「は?」
「今日、学校帰りの真紗さんに声を掛けると言っていました。2人はデートをする事になります」
「真紗はついて行かないよ」
「兄は言いました。女子高生をデートに誘うなんて簡単だって」
にこりと笑う華岡さんは、兄の失敗を微塵も疑ってはいない。
嫌な予感がしたあの日の事を思い出す。
「どうしますか?どこに行くか、私、知ってますよ」
「……」
華岡さんの提案に抗いきれない自分がいた。
◆ ◇ ◇ ◇
取り敢えず電車に乗り、2駅向こうまで移動をした。普段のモールでは職場の目というものがあるのかも知れない。
駅を出て、急に不安になり固まっていると、華岡さんの手が私の頭に伸びた。ポン、ポンと軽く叩かれる。
「緊張してるの?はは、安心して、未成年に変な事はしないから」
「は、はい…」
「そんな、警戒するような事は何もないから、大丈夫だって」
ちらりと見上げると、甘い声で軽やかに笑う華岡さんの姿が視界に入る。
大人だなあ…
ふと辺りを見渡すと、同じ学校の制服の子を発見した。こちらをチラチラ見てはいるけれど、この感じだときっと、兄妹に見られているんだろうなあ。…全く似ていないけど。
少しホッとする。
そういえば妹さんがいたんだっけ。私の一つ下。
華岡さんから見たら、私、妹みたいなもんなんだろなあ。
少し気分が軽くなる。
「この駅周辺は来たことあるかな?」
「何度かあるけれど…余り詳しくはないです」
「そう?じゃ、お勧めのお店紹介するよ。紅茶は好き?」
「好きです」
「良かった、じゃあ案内させて貰うね」
大通りから少し細い路地に入った所に、可愛い喫茶店があった。
アンティーク調の椅子が入り口の横に飾られている。
なんだかドキドキする。ドアが開いた。
「ここ、紅茶専門店なんだ。種類多いから迷い過ぎないようにね」
「は…はあ」
席に着いてメニュー表を見て、再び固まってしまった。
なにこれ種類、ほんとに、多っ。
紅茶、好きだけど…アイスティーとミルクティーとレモンティーしか知らないんだけど…
メニューをめくると、カタカナの名前がずらりと並んでいる。
「僕はヌワラエリヤをホットで頂こうかな」
サクッと決める華岡さん。流石だ…
私も焦ってメニューとにらめっこをする。
うーん。
…
まるで意味が分かりません!
「真紗ちゃんは何がいい?」
「なにを選べばいいのか、さっぱり分からないです、これ…」
「ああごめんね。じゃあ、アイスとホット、どちらがいい?」
「うーん、冷たいものがいいなあ」
「ミルクはあり、なし?」
「ありがいいです」
「了解、それじゃディンブラにしようか。甘みのあるお茶だから、多分飲みやすいと思うよ」
そうしてにっこり微笑む華岡さんは、本当に大人の人に見えた。
◇ ◆ ◇ ◇
「今日は突然でびっくりしたでしょ」
無言で頷く。運ばれてきたアイスミルクティーを一口飲んだ。
「なにこれ美味しい…」
普段飲んでるペットボトルのやつと全然違う。
甘みと香りが広がってくる。
「良かった、気に入って貰えたようで」
華岡さんがチョイスしてくれた紅茶はとても美味しかった。しかし残念な私は、さっき聞いた筈のこのお茶の名前を、既に忘れてしまっていた。
本当に溜息が出る。
「この紅茶が何なのか、さっぱり分からないままですが…」
恥ずかしくなって肩をすくめる。
「分からなくてもいいんじゃない?美味しいと思うならそれで十分だと思うよ」
優しげな眼差しで私を見つめる華岡さんに、堅くなった肩が少し和らぐ。目が合うと微笑み返され、また少し心が柔らかくなる。
「僕ね、女の子を可愛くするのが好きなんだ」
口に付けたカップをソーサーに置き、華岡さんが話を始めた。
なんだか少し遠い目をしている。
「女の子ってみんな磨けば可愛くなるんだよね。原石が、僕の手で宝石に変わるみたいな、あの感じが堪らなくて」
漆黒の髪が伏せられた甘い目元にかかり、大人の色気を醸し出している。
ゆかりを綺麗に彩っていた時の事を思い出した。
「うん、あれは…魔法みたいでした」
うっとりして目の前の紅茶を眺める。優しくてまろやかな薄ベージュ色を見つめていると、なぜか魔法にかけられた様な気がしてくる。
「最初は妹を可愛くしてあげてただけなんだけどね、とても喜んでくれたのが嬉しくて。いつの間にか趣味になってしまった」
少し肩をすくめて華岡さんは苦笑し出す。
「…って、なんだか僕、怪しいおじさんだよね」
「いえ、華岡さんかっこいいので大丈夫です、素敵なお兄さんににしか見えません!」
「あはは、嬉しいな、真紗ちゃんにそう言って貰えて」
華岡さんが私の頭をくしゃりと撫でた。
「真紗ちゃんと遊園地で会った時、驚いたんだ。可愛くなっていて。やっぱり、女の子って変わるんだなぁ、って」
甘い目元が細められ、口の両端が柔らく上を向く。なんとも言えない妖しげな微笑に、私は思わず見とれてしまう。
「そして同時に思ったんだよ、もっと可愛くしてみたいなって」
私はすっかり、華岡さんの瞳に吸い込まれてしまっていた。
◇ ◇ ◆ ◇
喫茶店を出た後、特に変わった事をした訳ではなかった。
可愛くしたい、なんて言ってくるものだから、メイクや服など着飾る様な事を想像していたけれど、そういった事は何もなかった。
街の通りを歩いて、ゆかりや香奈といる時みたいに、可愛い雑貨屋に時折入り、ぶらぶらと眺めているだけだ。
夕方になって、もうそろそろ帰らないと、と思っていたら、華岡さんが何かを渡してきた。
「なんですか、これ」
「プレゼント。今日、付き合わせたお礼だよ」
「ええ?いや、お礼とかむしろ私の方こそ、お茶ご馳走になったのにっ」
店を出る前、お手洗いへ行ったその隙にお会計は済まされていた。払おうとすると、ゆかりをあしらった時と同じような対応を軽やかにされ、かわされた。
いいのかな…
「僕のハンカチ、あげるって言ったけど、やっぱり返して貰おうと思って」
そう言って袋から取り出して見せてくれた物は、ピンクと紫が混ざり合ったような色をした、可愛いハンカチだった。
「真紗ちゃんには、男物のハンカチより、こっちの方が似合うんじゃないかなと思ってさ」
この上なく甘い笑顔をみて、ああ、華岡さんの微笑みは卑怯だなと思うのだった。
◇ ◇ ◇ ◆
電車に乗ろうとホームへ向かうと、見慣れた人が視界に入った。
瑞希だ。
黒髪の可愛い女の子と一緒にいる。あれは確か――
「華岡さん、あの子、華岡さんの――」
「ああ、みちるだ」
やっぱり華岡さんの妹だ。兄が兄なだけあって妹も可愛い…。
長い黒髪には艶があり、対比するかの如く白い肌はまるで、夜の月の妖精のようだ。
ふと2人の周囲を見回すと、みちるの方をチラチラ見ている男の子を発見した。さすが、可愛い子は違うなあ。
そんなみちるでさえ瑞希の輝きには及ばない。でも、素敵な似合いのカップルには見える。アンバランスさは全く感じない。
まあ、私とは全然違うよねえ…
遠い空に輝く星のような二人から目を逸らし、やってきた電車に乗り込む。何故だか胸に、ちくんとした痛みを感じた。
「真紗ちゃん…」
沈んだ私に、華岡さんが慰めるようにそっと、耳元で囁く。
「大丈夫だよ、君は、自分で思っているよりずっと、可愛い子だよ」
慌てて、貰ったばかりのハンカチを取り出そうと、私はカバンに手を掛けた―――。




