真紗と瑞希
バタンッ、ドタドタドタッ。
隣の家から派手な足音が聞こえてくる。
幼い頃からずっと耳にしてきた彼女の足音だ。
くすっ。
読みかけの本をそっと机の上に置き、そのシーンを――彼女を思い浮かべて、倉瀬瑞希は優しく笑う。
「相変わらず、慌ただしいなあ、真紗は」
◆ ◇ ◇ ◇
鳴り響く目覚ましの音を二度、スルーした。
真琴がいたからだ。
私、堀浦真紗の双子の妹。
剣道部に所属している真琴は朝が早い。いつも6時過ぎには家を出ている。
そんな真琴が部屋でのんびりしていたので、まだまだ眠れると安心してベッドの中にいたら、一階のリビングへ降りようとする制服姿の真琴に声を掛けられた。
「起きなくていいの?もう7時だけど」
やばいっ!
慌ててベッドから跳ね起きる。スマホを見ると時刻はジャスト7時。タイムリミットまであと30分!!
「あれ、真琴、今日、朝練は?」
勢い良く階段を駆け降りながら、リビングで朝食中の真琴に声をかける。
「もうすぐ中間テストだからね。部活は無いよ」
ちらりと見ると、真琴は涼しい顔をしてもぐもぐとパンを食べている。長い髪は後頭部で綺麗に結わえられているし、余裕の朝だ。
なんだかだまされた気分。
「私が居ても居なくても、目覚ましの時間なんて一緒なんじゃないの?」
恨めしそうな私の視線に気付いたのか、真琴が冷たい目で突っ込んでくる。
正論過ぎて言い返せない。
髪がまだ少し跳ねているけれど、もう時間切れだ。手を濡らし、肩の上に揺れる髪に指を絡ませる。
「行ってきまーす」
私は、勢いよく玄関のドアを開けた。
◇ ◆ ◇ ◇
「おはよう、真紗」
暖かな春の日だまりを彷彿とさせるような、ふわりとした笑顔の瑞希が目の前に飛び込んできた。
危ない、ぶつかるところだ。
外ではなるべく会いたくないのに、家が隣のせいか、朝は頻繁に出会ってしまう。
学校は違うけれど、私も瑞希も電車通学だ。要するに、朝ここで会うと、瑞希とは駅まで一緒ということになる。
逃げるように走り出してみたこともあるけれど、どうしたの?なんて軽やかに言いながら瑞希も走ってついてきた。向こうの方が足が早いので、無駄な抵抗だったとすぐに気がついた。
「今日は寝坊でもしたの?いつもより足音が派手だったけど」
赤みがかった唇を少し開いて、瑞希がからかうように言ってくる。男の癖に、相変わらず血色のいい艶のある口元をしている。
思わず自分の唇に指先を当てる。ガサガサだ。ため息が出てきそうだ。
「真琴がいたからさ、ちょっと時間勘違いしちゃって」
斜め下に目線を配り、適当に会話を続ける。
もう少し歩くと駅へと続く大通りに出る。それまでに友達と会わないかなーなんて無駄なことを考えてみる。
「私はこの時間でギリだけどさ、瑞希ってもう二本くらい電車あとでも間に合うよね?」
瑞希もギリギリで家を出りゃ会わずに済むのになぁ。
ええ、私がゆとりを持って朝、起きればいいだけなんですけどね。はあ。
「余裕持って行きたいからね、逆によく毎日ギリギリで行けるね、真紗。遅刻するかもとか思わないの?」
ふんわりとした優しい声で瑞希が言葉を繋ぐ。見えてはいないけれどきっと、またいつものふわふわ笑顔をしているに違いない。
ちらりと振り返る。想像通りの表情をしている。
羽毛のような長くて量の多い睫毛がまるで、天使のようだ。
瑞希スマイル。
いつも無駄に振りまいているこの笑顔がなければ、私の毎日も、もう少し安らかになれそうな気がしてくる。
大通りが近づくにつれ、人通りが多くなってくる。私達のように制服を着た人の数も増える。
そして・・・ちくちくと刺さるような視線も増えてくる。
(逃げたい…)
相変わらずニコニコしながら、私の方を見て話しかけてくる瑞希。周りの目線に気づいているのかいないのか…こっちはそろそろ、居た堪れなくなってきたんですけど…
こそこそ何か話をしながら、こちらを凝視する幾つもの女子の目線に、お腹が重くなってきた。必死に辺りを見回すと、、やった!同じ高校の友達発見!!
「香奈!おはよ~」
瑞希にまたね、といい、さりげなく香奈の隣にシフトチェンジ。
少し微妙な空気は残るものの、なんとか、視線を散らすのに成功するのだった。
◇ ◇ ◆ ◇
「やるじゃん、真紗。あれ、貴翔学園の制服でしょ」
にやにやしながら香奈が言う。しっかり見られていたようだ。
「あそこって確か、偏差値75の超名門校だよね。もしかして、さっきの人、真紗のカレシ?」
「ち・が・う!!」
首を慌てて左右に振る。
「あれはただの幼なじみ。香奈の言うような関係なんて、無い無いっ」
「ほんと?」
今度は首を縦にぶんふんと振る。シェイクしすぎたせいか、手櫛で一度治まった髪の毛先がまた、跳ねだした。最悪だ。
「じゃあ紹介してっ」
香奈の横からゆかりがひょっこり顔を出した。ゆかりにも見られていたのか…。
「すんごいカッコ良かったじゃん、彼。背も高いし、なにより笑顔が素敵っ」
目が輝いている。そういや面食いだったね、ゆかり。
「紹介してもいいけどね、あんまりおススメ出来ないよ」
薄目でゆかりを見る。さすがのゆかりも一瞬怯んだようだ。
「…性格、悪いとか?」
「いや、やさしーよ」
「運動音痴とか?」
「ううん、器用だし運動神経いいし、わりと万能だよ。足も速いしな」
「なぁーんだ、完璧じゃないっ♪」
ゆかりの口の中にハートマークが浮かんで見える。
…わかってないなぁ。
完璧がおススメ出来ないんじゃないか。
小さい頃は気にしなかった。いつも2人一緒に遊んでた。
けど。
『すごいわね また一番よ 瑞希君』
『頭いーよねえ』
『スポーツも出来るよね、運動会の選抜リレーだって、毎年選ばれているしさ』
『綺麗な顔してるし、スタイルもいいよねえ、背も高いし』
『うん、うん』
『あのな、アイツ料理上手いんだぜ。いつも自分のお弁当自分で作ってるんだってさ』
『すごいねー』
『でも鼻にかけたりしないよな』
『うん、優しいよね』
瑞希はなんでも出来て――――何一つとっても、私はずっと敵わなかった。
見た目だけでもなくて。能力だけでもなくて。人柄もいいから、男女問わず人気があって。
瑞希の傍にいればいるほど、自分のいいところが何も無いような気がして。
瑞希の隣にいるのが不釣り合いに感じられて…。
その不均衡さを感じていたのは私だけではなかったようで、女子達にも色々、嫌なことを言われた。
(どうして私が瑞希と一緒に居るんだろう)
ふと思うことが増えて。
(ああそうだ、家が隣、ただそれだけのことだ)
そうして、段々、隣に並ぶのが嫌になっていった。
瑞希の隣にいるべきなのは、
もっと素敵な女の子で――――
柔らかな笑顔が素敵な可愛い女の子を思い浮かべた。
彼女は真紗にそっと微笑んでくれた。