温泉へいこう! その1
「先輩! 温泉行こうって言ってたの、覚えてますか?」
その話は、唐突に始まった。
そう、温泉だ。
あれは9月の事だったか……温泉へ行きたいなぁ、行こうか、と言っていたことがあったのだが、結局その時は大雨で流れ、そのまま機会を作れず、こんな時期になってしまったわけで。
いつかは行きたい! という野望は、実はずっと持ち続けていたのだ、が。
「あー、もちろん覚えてる……行きたいなぁ温泉……」
「というわけで、温泉行きましょう!」
「何がというわけで、なのかわからないよ二菜えもん」
秋も深まり、大分寒くなってきたかな? と言った季節。
確かに温泉旅行をするには最適の時期といえるだろう。
だからと言って、そうだ、温泉へ行こうと軽く言われましても……。
「来週、また連休があるじゃないですか」
「あるねぇ、出来れば家でごろごろしてたいけど」
「そこで日帰り旅行! これね!」
「うーん……連休に旅行か……別に行ってもいいんだけど……」
温泉ねぇ。
連休なんかに行ったら、人多いよなぁやっぱ。
しかもこの季節だ、みんな考えることは一緒な気がして、ちょっと憂鬱だ。
「でも、人多いんでしょう?」
「そこで! 私見つけちゃいました、ここからいける秘湯!」
「何その心躍る単語!」
「くふふ! そうでしょうそうでしょう!」
秘湯!
秘密の湯と書いて秘湯!
なんかもうこれだけで絶対最高の温泉だと確信できる素敵な単語!
ヤバイ、テンション上がってきた!
「私もたまたまネットで見つけたんですけど、なかなか穴場らしいんですよね」
「つまり……あんまり人がいない?」
「ということです!」
「それは……行ってみるしかないな!?」
「行ってみるしかありませんよね!」
こうして、俺たち二人での日帰り温泉旅行が決まった。
なんやかんやと言って、日帰りとはいえ初めての二菜との旅行だ、俺も楽しみでない、といったら嘘というものだ。
「待ってろ秘湯ー!」
「私たちが行きますよー!!」
この時は、予想もしていなかった。
あんなに楽しみにしていた日帰り温泉旅行が、まさかあんな悲劇を生むことになるなんて……。
* * *
11月初旬の連休。
その日は、朝から快晴だった。
「おー! 今日は綺麗に晴れましたねー!」
「絶好の温泉日和だな!」
「前回は結局土砂降りで行けなかったんですよねー……」
「そうそう、ありゃ酷い雨だった……今日は雨の心配はなさそうだな!」
二人で、雲ひとつない空を見上げる。
絶好の温泉日和だ、今日はゆっくり湯に浸かって、日頃の疲れを取るぞ……!
「くふふ、楽しみですねー先輩♡」
「あ、なんか今のお前の笑顔で、すっげー不安になってきた」
「もー! なんでですかー!!」
自分でもよくわからないんだけど……なんでだろうな?
すっごい嫌な予感がするんだ、俺……。
なんか、とてつもなく悪い事が起こりそうな……そんな予感が……!
「もー、そんな某名探偵の孫みたいなこと、ありませんよー」
「めがねをかけた小学生探偵かもしれないだろ?」
「どっちにしろありませんって! ほら、早く行かないと遅くなっちゃいますよ!」
そう、これから行く温泉は秘湯の名に相応しく、俺たちの住む街からは少し遠いのだ。
電車で約1時間、そこからバスに乗り換えおおよそ2時間。
さらに着いた所から送迎バスで30分と、山の中も中、山奥と言ってもいい場所にあるあたり、まさしく秘湯! という雰囲気の立地なのだ。
途中、これ道なの?崖じゃないの? といいたくなるような道をバスがハンドルを何度も切り返し切り返し通るあたりは、物凄いスリリングで……。
これ、夜道大丈夫なの? 俺たち帰れる??
あと、なんとここ、携帯のアンテナが圏外~たっても1本なんです!
これで嵐でも来て、電話線が切断されたらもう立派に外界と完全に隔離されたクローズドサークルの完成ですね!
ふふふ、事件の臭いを感じます……!
「感じませんよ物騒なこと言わないでくださいよ!?」
「はー! やっとついたなー!!」
送迎バスを降り、胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込む。
はぁ、山の空気は美味しいなぁ……。
「むーっ! 先輩! 無視しないでくださいよぉー!!」
「いてっ! お前最近、ちょっとパンチが痛いぞ!?」
「私の愛の重さが乗ってますからね!」
「ったく……ほら、行くぞ」
「はいっ、先輩♡」
差し出した左手を、二菜がぎゅっと握ってくるのももういつもの事だ。
相変わらず、二菜の手はちっちゃくて柔らかくて……すごく気持ちがいい。
何時頃からだったかなぁ、こうやって俺から二菜の手を取るようになったのは……。
「はー、先輩の手は温かいですねー♡」
「そうか……そういや、手が冷たい人は心が温かいっていうけど、俺は冷たいんだな」
「そうですね、冷たいところがあるかもしれません」
「おい、自分の彼氏に対して、冷たいとか普通言うか?」
「ふーんだ、散々冷たくされましたからねー私はー!」
「ま、まぁ、そういうときもあったかもしれないな、うん!」
あかん、これ一生いわれる奴や。
貴方たちのお父さん、昔お母さんを詐欺師扱いしたのよ、とか言われて、作文発表会で笑いものにされるやつや。
これは、将来的なことを考えて口止めしておかなければいけないかもしれない……!
「と、ところでここの温泉って、どんなのがあるんだ?」
「露骨に話を逸らしましたね……まぁ、いいでしょう、ここは何と言っても、大自然の中に作られた源泉露天風呂! これですよね!」
「おお、源泉! もう絶対気持ちいいやつだなそれ!」
「くふふ! ですよねー! あとは普通の半露天とー……岩湯とー……予約制の美白の湯ってのもあって、ここは当然予約済みです!」
あー、なんか分かる。
二菜っていうか、女の子ってそういうの好きそうだよなぁ。
というか今で既に綺麗な肌してるのに、これ以上綺麗になってどうすんだよ、お前。
「あ、ちなみにその温泉、混浴なんですよ」
「ほう、混浴」
「くふふー! 後で一緒に入りましょうね、先輩♡」
「えー……マジで言ってんのお前……」
「だ、だって私たち、恋人♡なんですから、混浴位してもいいと思うんです!」
「いや、でもなぁ……」
えー……いいのか、それ?
いやでも……タオル巻いてたら大丈夫……なわけないよなぁ。
あーくそ、最近の二菜が積極的すぎてマジでヤバイ!
「くふふ! 楽しみにしてます♡」