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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第2部 -王の奪還編- 3章 『通商連合』
98/153

 -10『驕りし者』

   ◆


 王都ハンセルクは一際の騒がしさであふれ返っていた。


 王城の廊下には兵士が走り回り、常にどこかで甲冑の軋む音が響いている。壁から剥がれたファルドの国旗は、足を急がせる彼らによって乱雑に踏み潰され、ひどく土に汚されていた。


 この喧騒の原因は、ファルド現国王ノークレンによる密書が届いたせいであった。


 王都攻略に際しノークレンを取り逃し、追撃のために、急な行軍続きで疲弊した兵力をやっと整え終えた矢先での出来事だった。


 それはルーン軍にとってはあまり予想していなかった事態で、追撃部隊を指揮していたグラッドリンドが大慌てで出立を取り消した次第である。


「このようなことをするくらいなら、最初から逃げなければいいものを……まったく、最後まで手のかかる小娘だ」


 緊急で開かれた軍議の場で、グラッドリンドは不機嫌にそう悪態をついた。


「あんたの躾がなってなかったんだろ」と同席していた青年があざけ笑う。

 欠損した片腕を手厚く包帯で巻いた、ルーン軍の若き部隊長――ルーセントだ。


 その言葉に、ただでさえ赤くなっていたグラッドリンドの顔は熟れた果実も色あせて見えるほど熱く紅潮させていた。


「貴様があのミレンギとかいう小僧を食い止めていれば逃げられることはなかったのだろうが」

「それ以前に、どうせ王女様連れ出しに失敗してたくせによく言うぜ」

「う、うるさいわい、馬鹿者」


 口喧嘩のようにいきり立つ二人に、周囲のルーン軍将兵たちは呆れ顔を浮かべていて眺めていた。その中の一人、濃い紫色の長髪を太い三つ編みで一本に結った女性が、鼻を鳴らして笑う。


「あんたたち二人ともの失態さね。ぐちぐち言うのは見苦しいよ」

「だ、だけどさ、ケリーの姐さん」


 ルーセントがたまらず言い返すが、ケリーと呼ばれたその女性に目つきだけで力強く凄まれ、それ以上の言葉を呑み込んでいた。


 ケリーの隣にいた筋肉質の巨漢も、肩を大きく揺らして笑っている。


「がははっ。ケリー。ルーセントはまだ一個も武勲のねえ新米だ。焦ってるのさ」

「だろうね。とはいえ、言い訳ばかりの女々しい男は、あたしは嫌いさね」

「違いねえや。がははっ」


「バットンの兄貴まで……」


 肩を落として落ち込むルーセントに、巨漢の男――バットンが豪快に肩をたたいて励ましを送った。


 ケリーという女性は姉さん女房的なやや歳いった人で、見てくれは美人だが、薄傷だらけの手足や身体、そして色気もない地味な色の粗野な服装が女性らしさを掻き消してしまっている。やや口調も男勝りで強気だ。


 それに反してバットンという男は、まさしく男性的な要素を詰め込んだ巨漢であった。その隆々とした全身の筋肉が鎧であると言わんばかりに張り出ていて、申し訳程度につけた片方だけの胸当てが、ひどく子供用かと思えるほど小さく見える。


 そんな和気藹々としたルーン軍の将兵たちを余所に、グラッドリンドはひどく落ち着かない様子で額に汗を流していた。


 グラッドリンドも元は商人である。

 仕事柄、普段はそれほど取り乱すことの少ない彼が明確な焦りを浮かべているのは、部屋の隅に背を預けて佇むとある女の視線を気にしてのことだった。


 ユーステラ。

 ルーンの擁する竜である。


 エメラルドの髪を垂らし鋭い瞳で見やってくる彼女に、グラッドリンドは大蛇に睨まれたような気まずさを抱いていた。


 ルーン王ガセフ直々の使いであるという少女。王の勅令をそのまま口にする彼女はおそらく、今ここにいるルーン兵の中で最も力を持っていると言えるだろう。そしてそれは、武力的な意味でもだ。


 竜人という種族であるということはグラッドリンドも聞かされていたが、その実力を眼前で垣間見た今、その女が悪鬼羅刹のようにすら見える。


 当初こそファルド転覆の足がかりを作り評価されていたグラッドリンドだったが、ノークレン確保の失敗によってその信頼は地に落ちようとしていた。


 これ以上失望されては今後の保身に関わる。ルーンによるファルド占領後の一部領土分配を約束に雇われていたというのに、このままでは水泡に帰しかねない。


 故に、グラッドリンドはノークレン奪還において焦りに焦っていたのだった。

 そんな最中での向こうからの投降は、目から鱗とばかりに願っても見ない吉報だった。


「あんだけ派手に逃げた割に随分とあっけない投降じゃねえか。俺は気にくわねえな」


 ルーセントはそう不満そうにしていたが、グラッドリンドからすればただただ安堵するばかりである。


「よいではないか。あの馬鹿でも、さすがの現状や戦力差を見て無謀を悟ったのだろう。所詮は祈ることしかできん箱入り娘だ。無駄に手をかける手間を減らしただけでもほめてやりたいわ」


 もし追撃すらも失敗していればグラッドリンドの首が飛んでいてもおかしくはなかっただろう。

 起死回生の一手に、口許が卑しく緩むのを隠せなかった。


 これで失態を取り戻せる。

 あとはルーン軍がファルドを制圧するまで一線を引き、隠居すればいい。そうすればファルドの領地の一部と、約束である用済みとなった後のノークレンの身柄が手に入る。


 必死に育てた愛娘。いや、女。


 顔立ちも申し分なく、いい女に育ってくれた。

 独り身である余生に添える伴侶としては申し分ない。


 まるで親のそれとは思えない下心がつい下卑た笑みとなって漏れ、グラッドリンドは取り繕うように咳払いをした。


「ノークレンの書状の件だが、ここは私に任せてもらいたい。奴は私には強く出れん。より良く、確実に、奴を連れ帰れるのは私くらいだろ」


 その得意げな言い回しに、ルーセントが飛び掛る勢いで言葉を返す。


「いいや、俺だ。あんたはもういいだろ。俺はあのミレンギたちに、この腕のお礼をしなくちゃいけないんだ」


 そこにあるはずの失った右腕を見つめながら、ルーセントは奥歯を噛み締める。


 テストから逃げ出すミレンギたちによって重傷を負った彼だが、数日で一線へと戻ってきた彼の執念は相当なものであろうとわかる。しかし、下手に邪魔をされてはグラッドリンドの功績が薄れてしまいかねない。


「お前が行っても、ろくに決め事も出来ずに破断させて、無駄に戦争を長引かせかねないだろう」

「いいじゃねえか。もしそうなったら、俺はミレンギたちと戦える」


 むしろルーセントからすればそっちの方が望ましいのかもしれない。故意にノークレンを煽って交渉を破談させかねない。


「ゆ、ユーステラ殿。やはりここは私めにどうか。戦しかしらぬ小僧に行かせるよりはずっとマシでしょう」

「なんだと、この豚ネズミ野郎」

「なんだと!」


 血気盛んに語気を強め始めた二人。

 傍聴していたケリーたち他の将兵も、あれ呆れた調子で頬杖をついている。


 取っ組み合いにでも発展せんばかりに激しくぶつかり合う二人の間に、しかし鋭く鋭利な碧色の結晶が突き刺さった。


 ひえっ、と二人が驚きに呻く。


 恐る恐る目を移すと、ほとんど無表情ながらも、黙して威するようなユーステラの眼差しが二人に向けられていた。


「ルーセント。貴方が出る必要はありません。貴方に求められているのは戦での活躍。政はそれに適した者がするべきだと、あの御方はおっしゃるでしょう」

「で、でもよ……」


「それに、たとえどう転ぼうとも、あの御方の戦いはまだまだ終わりません。貴方の武勇はそこで奮わせれば良いでしょう」

「……まあ、俺はミレンギたちに借りを返せさえすればそれでいいけどよ」


 まだ腑に落ちないとばかりに、煮え切らない様子で顔を俯かせるルーセント。


 するとユーステラはまたしばらく顔を伏せて黙りこくり、珍しく一瞬だけ眉間を潜めたかと思うと、再び表情を平らにして「――わかりました」と小さく呟いた。


 誰かと話しているのか。

 小言すぎてグラッドリンドにはわからない。


 しかしそんなグラッドリンドに一目も向けず、ユーステラはルーセントに向けて口を開く。


「ルーセント。貴方は、ミレンギという男を討つ覚悟はありますか?」


 それはひどく具体的で、しかし間がない抽象的な問いだった。


「……ある」


 数瞬の間を置いての力強い肯定。


「わかりました。では、後ほどガセフ様のところに」


「そ、それよりもユーステラ殿。使いの件は私めでよろしいかな?」

「はい、グラッドリンド。貴方に一任します」

「おお、それはそれは。必ずやご期待にこたえましょうぞ」

「…………」


 ユーステラはそれきり何も答えなかった。だがグラッドリンドは使者に選ばれた嬉しさでいっぱいで、彼女の凍えるほど冷ややかな眼差しに気付くことはなかった。


 ファルドを降伏させて地位と女と安寧の地を得る。そんな自分の脳裏に描いた未来を夢想しているばかりだった。


  ◆


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