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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第2部 -王の奪還編- 3章 『通商連合』
95/153

 -7 『偽りの苦悩』

   ◆


 ――同刻。


 自らの使命を噛み締めていた少年とは余所に、独り、ノークレンは膝を抱えて座り込んでいた。


 洞窟の屋敷の庭にあった小さな泉。

 湧き出した地下水がふつふつと泡を立て、水面に浮き出ては空しく弾ける。


 その様子に、ノークレンはどこか、水面に映る自分を重ね合わせていた。


 グラッドリンドによって偽造された泡沫の存在。

 有象無象に消え行く小粒でしかない、簡単に溶けてしまう水泡。


 なんと儚い存在だろうかと、水面に映る自分の顔を眺めながら、ノークレンは物憂げに膝を抱えた。


「羨ましいと思ったか? 偽物で塗り固められた自分と違い、竜族との因縁を宿命付けられ、まさしく本物として生を受けた彼が」


 哀愁帯びた背中にふと声をかけてきたのは、竜神様――ユリアだった。


 竜と名乗る少女。

 その証左のように窺える、頭部の小さな角と蜥蜴のような尻尾。


 これまで神とまで崇めて祈りを捧げてきた存在を前に、ノークレンはただ、無気力に一瞥を返した。


 これほど惨めな者がいようものか。


 家族すら持たなかった幼き孤児に、王として生きる意味を与えられ、国を導く者として育てられてきた。しかしその全てが嘘偽りであったのだから。


 いや、確定ではない。

 眼前の竜と名乗る少女が適当なことを嘯いている可能性だってある。虚言を並べてノークレンを貶めているという可能性が。


 しかしノークレンには、その少女を疑えるほどの自信がなかった。


 ミレンギという少年がいた。

 彼は誰からも愛され、期待され、この国を救う英雄として生を受けた。彼の魂はおそらく光り輝いていて、周囲にいる者たちを照らしていることだろう。


 しかしノークレンはどうだ。

 グラッドリンドに利用され、何も知らぬまま操り人形として生きてきた。嘘で塗りたくられた彼女の心は、とても光など差し込まないほどに暗澹たる醜さに塗れている。


 ノークレンは最初から何も持っていなかった。

 持っている者であるという勘違いだけを抱き、道化を演じさせられてきた。


 ――自分は選ばれたのだ。この国を救えと。


 そう思いこみ、王都の教会に集まりし信者たちと共に、竜神様への祈りを捧げ続けてきた。いずれ、自分が彼らを導かんと思いながら。


 その姿はさも滑稽に映っていたことであろう。


「竜神様は、私を見て惨めとお思いになりますの?」


 呟いたノークレンの言葉は、今にも霧散して消えてしまいそうなほど細々としていた。


「……竜神様。私は間違っていたのかしら」

「おぬしはどう思っておるのじゃ」

「私は……なにもわからないのです」


 操り人形として育てられてきて、何不自由なく暮らして、肝心なことは何も学んでいなかった。全てグラッドリンドの思惑で動かされていただけの傀儡だった。


「私は王になって、ファルドの国民全てを救う立場になれたのだと本気で思っていました。けれど結局は偽物。私はそんな人々を導く力などないただの小娘だった。そうとも知らずにぬくぬくと育ってきて、全てを失った私なんて、哂われて当然……」


 悲壮を孕んだ自嘲がこぼれる。


 いっそ罵倒されれば救われるのではないかとノークレンは思った。

 自分の崇拝する存在に咎められ、断罪されれば、少しは気が楽になるではないかと。


 けれどそれは甘えでもある。


 本気で自分が王の隠し子であると思っていた。何の疑いも抱かずにいた。


『アドミルの光』としてクレストを討ち、ファルドを奪還した彼から奪った王位。グラッドリンドによる嘘によって祭り上げられ、国民から支持を受けたあの僅かの日々が、今ではこの上ない恥辱のように心を蝕んでくる。


 ――お前は何も知らなかった。だから仕方がなかった。


 そんな慰めを、心のどこかで求めてしまっている。


 しかしノークレンの甘えた性根を見通しているかのようなまっすぐな瞳を向けるユリアは、ただゆっくりと隣に歩み寄り腰を下ろした。


 そして何を言うでもなく、真下に埋めるノークレンの頭を抱き寄せ、小柄な自分の胸元へと抱え込んだ。


「りゅ、竜神様?!」


 幼さを感じる小さな細い腕が、ノークレンの波うねった金色の髪を優しく包み込む。


 まるで子供に抱きつかれているような格好だが、ノークレンは突然の気恥ずかしさと共に、不思議と安らぐような心地よさを感じた。


 ユリアは何も喋らない。ただひたすらにノークレンを抱きしめている。


 平らで未熟な胸元から、ゆったりとした心臓の鼓動がノークレンに伝わる。気持ちが落ち着いていくのは、その規則的な律動のおかげだろうか。


 思えばノークレンにとって、このように誰かに抱きしめられたことは初めてであった。物心ついた頃から孤児院で育てられ、本当の親の顔など見たこともない。孤児院の仲間という上辺だけの家族はいたものの、本物の母親のように、慈愛を持って抱きかかえられた記憶など一度もないのだ。


 もし母親がいればこんな気持ちなのだろうか。


 ただ無防備に抱きしめられているだけなのに、その温かさは、ノークレンの凍りついた内心を溶かしていくかのようだった。


「仮初の王とはつらかろう。その心中、察するのじゃ。なあ、おぬしの名前を教えてくれぬか?」


 そっと顔を離し、ユリアが囁きを投げる。


「ノークレン=ファスディ……いいえ。ノークレンです」

「うむ。ノークレンか。よい名じゃ」


「竜神様。私はこれから、どうしたらいいのかしら」

「ノークレンよ。それはおぬしが一番知っているはずじゃ」

「そんな。私はもはや何もかもを失う身。これまでの人生すらも。そんな私に、何が出来るというの」


「わらわはな、おぬしにも、ミレンギを支えてやって欲しいと思う」

「あの子を?」


「ミレンギは運命を定められて生を受けた。しかしあれは呪いも同然。わらわたちはあの子の魂に、一生拭えぬ深い宿命を刻み込んでしまったのじゃ。あの子は生まれた瞬間から、普通の子供としての生活を送れぬことが決まりきっていたのじゃ」


 ある意味では、十六の成人を迎えるまでの曲芸団の一員としての日々が、最初で最後の『普通』の生活だったのかもしれない。それからミレンギは立ち止まることすら許されず、渦中に巻き込まれて常人のそれとは程遠いところまで来てしまっている。


 平凡ならざる異質な境遇を、彼が選ばれた英雄であると羨む者は少なくないだろう。


 しかしそれは重い十字架。生まれながらにしてこの国の行く末を託された、重責ある命である。逃げることは適わず、仮にもし逃げれたとしても、祖国を見捨てた汚名がまとわりつく。


 それはまさしく呪いであった。

 ミレンギの魂ごとを縛り付ける鎖であった。


「あの子にはまだ頑張ってもらわねければならん。人間のため。いや、竜人族のためにも。しかしあやつは人間を救うべく生まれたが、人間の側には立てん。そういう星の元に産み落とされた子なのじゃ。だから、ファルドには人の側に立つ者が必要じゃ」


「……竜人様? もしかして、この戦いにはまだ何かがあるというの?」

「それはまだ語れぬことじゃ。ミレンギにはもっと成長してもらわねばならん。そして、おぬしにも。せめて竜たちの目を肥えさせられるくらいにはの」

「…………?」


 ノークレンにはユリアの話していることがまったくわからなかった。実際、ユリアも彼女に伝えるつもりで口にしたわけではないのだろうと感じた。幼き老竜の独白は、どこか物悲しさがない混じっていて、真紅の瞳はどこか遠い彼方を見ているようだった。


「それでしたら竜神様、私にもどうか、竜の力をお与えください」

「どうしてじゃ」

「そうすれば、彼の英雄アーケリヒトのように人々を幸せへと導いてゆけます」


 ノークレンの言葉に、ユリアは寂しそうな瞳を浮かべて嘆息をついた。


「おぬしはどうやら『竜』を特別視しすぎておるようじゃな」

「特別視もなにも、竜とはこのファルドの護り神。弱き人々に救いの力を授ける存在ですわ」

「ほっほっほっ。それはそれは、随分と高く見ているものじゃ」


 小気味よく愉快そうにユリアが笑う。


「竜とは旧時代の敗北者じゃ。かつて人類との生存競争に敗れ、亜人としてどうにか種をつないできた、神でもなんでもないただの種族よ」


「ですが、竜が人を繁栄に導いたというのは、古くから伝わる『竜護伝説』で語られている通りですわ」

「竜の伝承、か……」


 事実、セリィやユーステラ――本物の竜の力を垣間見せられた今となっては、竜の凄さを余計に信じてしまってもおかしくはない。


 しかしユリアは自嘲するように息をついて笑うと、首を横に振ってみせた。


「なれば問うが、竜の力は全てのあらゆる困難を越えられるほどであると思うか? 竜といえど所詮は半端な竜人よ。本来の竜としての力を行使できる時間などそう長くはない。ひとつの戦場に勝利をもたらせれども、長き戦いの中では些末ごとじゃ。それだけでは乱れきった世を統治できぬ。


 おぬしらが英雄と呼びたてるアーケリヒトという男。その功績は、あやつが粉骨砕身の努力をひたすらに積み重ねていったからこそなのじゃ。竜は文字通り、人を手助けしただけに過ぎん。計り知れぬ覚悟と努力で人々を導こうとしたアーケリヒトの力があってこその、ファルド統一なのじゃ」


 ユリアの語りにはやけに力が入っていた。

 思わずノークレンも聞き入ってしまうほどに。


「乱れた世には、人心を率いて導く王が必要じゃ」

「どうしてそんなことを私に。私は偽物の王なのに……」


 戸惑うノークレンにユリアは微笑む。


「おぬしはある意味では恵まれておるのじゃ」

「え?」


 不意の肯定の言葉に、ノークレンは驚いた顔でユリアを見やった。


「おぬしが掴まされたのは偽りのもの。じゃが、その積み重ねがすべて偽りとなるわけでもなかろう。たとえ地の底に落とされても、おぬしの手元に残っているものがあるはずじゃ」

「それは、いったい?」


「それはおぬしが知らねばならん。今のミレンギにはできぬこと。しかし、嘘偽りで作られたノークレンという少女だからこそできること。それを見つけることが、これからのお主の人生じゃ」


 その竜神様の言葉は漠然としていて、ノークレンには掴みかねていた。しかし優しく諭すような彼女の言葉は、ノークレンの気持ちを心地よく落ち着かせた。


「私に出来ることを見つける……それが、私のするべきこと」


 沈み込ませていた視線を持ち上げる。

 真っ暗で陰鬱としていたばかりに見えていた洞窟の中が、その瞬間、やけに明るく見えた。暗闇を塞ぎこみすぎて眩しさを忘れてしまったせいだろうか。


 水面に浮き上がる水泡も、たとえそれが消えても、また新しい水泡が無限に湧き出ている。消えたとしても、何度だって繰り返し湧き上がる。まるでそれは、不屈の心。


 自分もそうなれるだろうか。

 今の自分が消えたとしても、新しい自分を沸きあがらせることが。


「……それができるかはわかりませんわ。今は」

「そうか。じゃが、それでよい。人の命は竜と比べて短い。しかし、思い悩むには十分すぎるほど長いものじゃ。有り余る余生を存分に生きよ」


 ユリアの手がそっとノークレンの頭を撫でる。まるで赤子をあやすかのように優しすぎるそれは、


「国の強さとは王の強さ。王の強さとは、それを支える民草の強さ。この国の行く末を握っているのはなにもミレンギだけではない。この国に生きる限り、誰もが国を動かす動力源であり、その歴史舞台の端役では収まらぬのじゃ」


 そう語るユリアの言葉は、長命ゆえの言葉の重みが節々に表れているようだった。


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