-5 『使命』
「ボクを、護る為……」
「そうじゃ。おぬしはまごうことなき、正統なる血筋を受け継いだ王の子じゃ」
ふと、ミレンギは成人した日、酒場でガーノルドに同じようなことを言われたのを思い出した。そのおかげというべきか、ユリアに宣告され、しかしその驚きは比較的少ない。
それ以上に動揺を見せていたのはノークレンだった。
「わ、私は……私はどうなのですか、竜神様」
「あぬしは――ただの『人間』じゃ。王属とも関係がなく、それ以上でも何でもない」
「……そんな」
それはノークレンのこれまでの人生を否定する言葉だっただろう。
ミレンギとは正反対に、孤児院から引き取られてからは、王族であると教えられて育てられてきた。そして竜神を信仰してきた。その信仰対象に自らの人生を否定され、平静を保てというほうが酷なのかもしれない。
しかし慰めの言葉など誰も投げかけられず、ノークレンは打ちひしがれた様子で、アーセナに寄りかかって涙を流した。
彼女を横目に、ミレンギは問う。
「ボクが王の子というのは本当なんですか」
「それは……」
澱みのなかったユリアの声が途端に一瞬だけこもる。
「ジェクニスの子、というにはやや憚られるのじゃ」
「それって、どういう?」
前王ジェクニス。
ガーノルドの話の通りであるとミレンギの父とされている人物。しかしユリアはそれをはっきりとは口にせず、悩んだ風に眉間を歪ませていた。
「おぬしには王の血が流れておる。それに間違いはない。じゃが、おぬしはちょっと複雑な事情があるのじゃ」
「事情?」
「すまぬな。わらわにはまだ、それを詳しく話す勇気がないのじゃ。時が来れば話す故、ひとまずは待って欲しい」
ユリアがそう言ったため、ミレンギもそれ以上の言及ができなかった。
「ジェクニス王はユリア様をご存知だったのですか?」と、話を変えるようにアーセナが尋ねる。
「知っておるさ。王族は皆、竜の存在を認知しておった。それになにより、追放されたわらわたちにこの地を与えたのも、ジェクニスや、歴代の王族たちなのじゃ」
「追放?」
ユリアが傍にいたミケットを見やる。
「ここに暮らすのは、かつて故郷より追放された者たちじゃ」
「もしや――」
アーセナが口許に手を当てて呟く。
「フィーミアの民?」
「ご名答じゃ」
「あ、それ知ってる」とシェスタも頷く。ミレンギも聞き覚えがあった。
フィーミアの民とは、昔、ファルドで絶大な影響力を持っていた者たちの名前だ。非常に聡明であり勤勉。その能力の高さを疎まれ、やがて彼らに国を乗っ取られると危惧した民衆によって、巨大な排斥運動が行われたという。
耳長族の長老ハイネスが話していた「山を拓いて隠れ生きる」というのはつまり、こうして彼らが集落を作って生き延びていたということか。
それをジェクニスたち王族が支援していたとは。
しかしそれならば幾分かも説明がつく。彼らが通商連合という巨大な組織を持って影響力を強めていたことも、国の密かな支援があればこそだろう。
しかしフィーミアの民は、その特徴として片目だけが白に近い黄土色のように薄い色素となっているという。だがミケットを見てみても、彼女の瞳はどちらもつぶらな深い青だった。
と、ミレンギの視線に気付いたミケットが、近くにやってきて自分の左目を弄る。そして何かを取り外すと、再び見開かれたその左目が、薄っすらと白くなっているのがわかった。
どうやら何か目の色を変える道具を仕込んでいるらしい。まさしく、彼女たちがそのフィーミアの民であるという説得力が増した。
「当時の王は、あたしたちフィーミアの民を追放することに本意じゃなかったんだよ。だけど高まりすぎた民意は止められず、せめてもの償いとして、この地を与えてくれたんだー。そういう所では耳長族と同じだねー」
追放されて森に追いやられた耳長族。
同じく追放されて山の奥へと隠れ住んだフィーミアの民。
自分とは違うものを許容できない人間の小ささ、弱さから芽生えた排斥。それは遥か昔の竜とて例外ではない。自分たちに害を及ぼす可能性を感じれば、遠ざけずにはいられないのが人間の醜い部分である。
「それはある意味仕方のないことじゃ。できた人間など少ない。それに頭では理解できていようが受け入れられぬことだってある。それは、竜だって同じじゃ」
悟った風に言うユリア。
人間が追放した彼らに、自分たちは今助けてもらっている。その事実にミレンギは歯がゆさを噛み締めた。
そんなミレンギに、いつにない真面目な顔でミケットが口を開く。
「別にあたしたちは善意だけでキミたちを助けてる訳じゃないよ。ただあたしたちもそろそろ水面下で動くのは難しくなってきたってだけの話さ。ルーンが――ガセフが力をつけすぎてる。竜の力を得てね」
「おぬしたちもあの碧の竜を見たであろう」とユリアが続け、ミレンギはふと、王都から逃げ出す時に見たあの巨大な竜の姿を網膜に浮かべた。
陣地を遥かに超えた破壊力を持った人外の化け物。あれを一度でも目にして忘れられるはずがない。
「ガセフは竜人族と契約を結びおった」
「契約?」
「そう。人類を差し出すという契約じゃ。竜人族は人間を自らの下に位置づけ、奴隷として使役しようと考えておる。その手先として動いておるのがガセフじゃ。奴はルーンを作った後、竜人と交渉し、竜の力を貸し与えられる代わりに人類を差し出すことを約束したのじゃ」
「そんな……」
「それ以来、竜の国はルーンを援助し、力を貸し与えておる」
「……じゃあ、ルーンの補給地で出会った、古代竜言語を使ってた魔法部隊の伏兵も、もしかして」
古代竜言語とは、かつて竜が使用されていたとされる失われた言葉。しかしそもそも、今でも竜が息づいているとなれば不思議ではない。
雑兵ですら魔法を扱えるようになり得る。
それが竜人族よる力の恩恵とでもいうのか。
まことしやかに信じがたい話に、ミレンギは呆けたな顔で口を開いていた。
竜人族とルーンの間柄のことに関してはアイネも初耳だったようで、食いつくように前のめりになってユリアへと尋ねる。
「それは、しかしガセフには何も得がないのでは。あの男は武力にこそ信を置く無頼漢です。竜人に抑圧されて黙っていられる男とは思えない」
「そのガセフって人はどんな人なの、アイネ?」
ミレンギが尋ねる。
「そうですね。グランゼオスという男はミレンギ様もご存知でしょう。あの男を騎士団長として見出したのがガセフです。彼の軍事に関する先見の明は確かなもので、前王ジェクニスにも厚く信頼されていました。グランゼオスも彼にだけは頭が上がらなかったと聞きます。
ガセフの秀でた所はまさに戦の器用さ。緻密な計画と迅速な指揮によって、部隊を手足のように操ります。完全な言いなりとなることがグランゼオスにとっては窮屈だったようで、離反してファルド側についていたようですが。ガセフの使役する部隊はまさに、彼の盤上の駒のごとく的確な行動をとってくるのです」
「凄い人なんだね、ガセフって」
少し話を聞いただけでも感じ取れる。
グランゼオス。
今も彼と戦ったときの感覚は褪せていない。
驚くほどに強靭で凄まじい戦士だった。
そんな彼を配下に収めていたほどの男とはどれほどなのか。
それを思えば、竜人の奴隷と成り下がるような人物とは思いづらい。
「そこについてはわらわも詳しくは知らん。奴なりに考えがあるのじゃろう。ただただ竜の力に憧れを持ち仲間となりたかったのか、どうか。しかし手を組んでいるということは事実じゃ。竜人族はあの碧の竜を使わせ、ガセフの力をより強固なものへと増幅させておる」
その成果がルーン軍による王と強襲というわけだ。それを強行できるほどにまでルーン軍の力は高まっている。
そんな話を聞いてシェスタが不安げに眉をひそめた。
「竜人族っていうのが向こうについてるだなんて、勝ち目がないんじゃないの。私たちは普通の人間よ。あんなでっかい空飛ぶ魔獣を相手になんてできるわけがないじゃない」
その指摘は至極もっともすぎて、戦意を削ぐには十分すぎるほどの現実を突きつけてくるようだ。
しかしユリアは一切も眉尾を下げることなく瞳を据える。
「そのためにわらわたちも、幾年もの月日をかけて準備をしてきたのじゃ。王の血を引く子を作り、それを護る竜を宛がった。それは、このファルドを強大な魔の手から護り、光へと導く者。かつての伝承を今一度起こさせるために」
ユリアの目がミレンギと合った。
力強い赤色の眼差しがミレンギの心を射抜くように真っ直ぐ向けられる。
それは、もうわかっているだろう、と言わんばかりの圧があった。
「ミレンギよ。ガセフを食い止め、竜人の侵略を阻止し、人類を救う。それがおぬしの使命なのじゃ」
「……ボクの、使命」
ずしりと、心をぐらりと動かすように重たい言葉。
けれどミレンギはどこか浮ついたような、ぼんやりとした感覚で聞いていたのだった。




