3-1 『隠れ里』
3 『通商連合』
竜神様に会いに行く。
ミケットが言ったその真意も掴めぬまま、ミレンギは眠ったままのセリィをつれ、用意された馬車に乗ってシドルドを発った。
同行しているのはシェスタやララン、そしてアーセナと、彼女から片時も離れようとしない王女ノークレンの四人だ。
王女が留守の間、シドルドではハーネリウス候が出向いてファルド兵たちの指揮をとっている。公にはノークレンは官舎にて休養をとっていることになっており、その代わりとして指名されたのが彼であった。
ミレンギたちの外出は秘密裏で行われており、具体的な行き先も知らされていない。
なるべくその場所への情報を遮断するという条件を呑んで荷台に乗せられたミレンギたちは、天幕の薄い布地の向こうに息が白くなるほどの冷たさを感じながら旅路を進んだ。
やがて世も更けようという頃に馬車が止まる。
一行がたどり着いたのは、山頂に雪化粧が見える切り立った岩山の最中に、隠れるように広がる大きな横穴だった。
入り口には通商連合の外套を羽織った見張りがおり、ミレンギたちはそこで下ろされると、ミケットの案内でその穴蔵の奥へと進んでいった。
ミレンギたちは鉱山か何かかと思った。だがそこは坑道にしては随分と舗装され、点在する蝋燭に明るく照らされた場所だった。下手な王都の路地よりも綺麗である。壁面にむき出しになった鉱石が青白く光り、浮き世離れした幻想さが滲み出ていた。
「こんなところがあったなんて」
元曲芸団として各地を転々と興行していたシェスタすらも、新鮮な驚きと奇異の目で辺りを見回している。
「ここはあたしたちの拠点なんだー」
「シドルドではなかったのか」と問うアーセナに、ミケットが首を振る。
「あっちは『通商連合』としての拠点だねー。でも、その本質はここにある」
ミケットの背中を追いながら歩いていると、やがて巨大な空洞へとたどり着いた。
山中に自然にできた穴にしてはあまりに広く、シドルドの町とそう変わらないのではないかと思うほどだった。
しかし完全な閉所というわけでもなく、所々に月の光が淡く差し込み、そこから滴り落ちる雨水や地下水などで小さな水路が形成されていた。その水路に沿うように平屋の家々が立ち並び、ただ洞窟というには失礼なほど立派な町が形成されていた。
外面が岩肌に囲まれていて、水辺の少しにしか木々が生えていないあたりにはやや物悲しさはある。だが夜だというのにまだ明るいその町には、住人と思われる女性や子供たちの姿が幾人も窺えた。
ミレンギたちがそこへ足を踏み入れると、子供たちにこぞって不思議そうな目を向けられた。男の子は興味深そうに駆け寄ってきたり、女の子は驚いた風に物陰に隠れたり。余程、余所からの来客が珍しいのだとわかる。
そんな子供たちをなだめるようにやって来た女性が、ミケットに声をかけた。
「あらミケット、帰ったのかい。あんたが戻るのは珍しいね」
「こんばんは、おばさん。ちょっと用事があってねー」
「そうかい。たまにはお母さんにも顔を出してやりなさいよ」
「わかってるってばー」
あはは、と気恥ずかしそうに照れるミケットを見て、ミレンギたちは少し肩の力が抜けた気がした。
本当に、ただの町だ。
普通の人が暮らしていて、普通の人間的な営みが行われている。
シェスタや、元騎士団長補佐のアーセナですら見知らぬこの町の名前を、ミケットは『アミリタ』と言った。
「このアミリタの町はもう二百年以上も続いてるんだー。町の外は何もないけど、けっこう充実した場所なんだよー」
そう案内してくれるミケットは、久方ぶりに普段の柔和で陽気な彼女らしい笑みを浮かべていた。
確かに、山奥の辺鄙な町とは思えないほどに資財は充実している。木材も、食材も、それに絹や染料まで。
一番大きそうな通りには商店なども並んでいるし、干し肉や野菜などが並べて売られている光景は何も変わりない。
これほど立派な町が無名であることこそ不自然だった。
無骨な岩肌は雑草すらほとんど生えないほどに枯れ果てている。ラランが足元の土をすくってみても、乾燥しきった灰のような土で、とても作物がなるような土壌には思えない。
「アミリタは金属の加工が主だった生産品なんだー。剣や盾、そういった軍需はいつだってお金になるものでねー。それらを売りさばいてるうちに、通商連合はどんどん大きくなっていったんだってー」
なるほど、と一同に納得がいく話ではある。
実際、町の中には幾つもの加工場のようなものがあった。煙突の煙はそのまま洞窟の切れ目へと抜け出し、充満しないような作りとなっている。店にも包丁などの加工品が多く並んでいた。
ミレンギたちが『アドミルの光』として活動していた時も、通商連合の武具の調達に世話になったものだ。その多くがここからやって来ていたのだとしたら、彼らの品揃えのよさと幅広い影響力にも納得がいく。多くの利益が見込めることだろう。
だがしかし、そうやって商品の流通を得意とする通商連合の町とはいえ、わざわざこんな不毛な土地で町を拓く利点がまったく見当たらない。
「よくこんな辺境で生活できるものね」とラランが感心そうに呟く。それに対してシェスタが「私なら無理ね。すぐに太陽が恋しくなるわ」とせせら笑った。
「まあ、慣れたらいいもんだよー。あたしたちはここで生まれて、ここで育ってるから、むしろこれが普通なのさー」
「凄いわね、ミケット……きゃっ、寒い」
時折冷たい隙間風が吹き込んできて、シェスタの柔肌をざわざわと震わせた。
「ねえねえ、竜神様はどこ?」
「そうねぇ。今はもうお屋敷でおやすみになられてるんじゃないかしら」
「そっか。ありがとー」
町の女性に声をかけたミケットの言葉にミレンギの耳がぴくりと反応した。背中に担いだセリィを背負いなおす。まだ息はしているが、やはり表情は苦しそうで、一向に目覚める気配はない。
「セリィちゃんも大変そうだね。それじゃあさっさと行こうか」
ミケットがやや早足に先導し、ミレンギたちはやがて、この洞窟の町の最も奥にある一際豪奢に飾り立てられた扉の前に連れられた。
しかし見上げたその扉はそれは屋敷の戸口というより、まるで門である。
思わず見上げるほどに高く、王都の門扉と比較しても遜色ないような大きさだ。これを屋敷と呼ぶのだから、竜神様とはいかに大きな生き物なのか。
ごくり、とミレンギたちは圧倒されたように息を呑んだ。
「ここに、その竜神とやらが?」
辺りを警戒しながらアーセナが尋ねる。
「そうだよー。このアミリタを治める竜神様――クーリエ様の住まいさ」
竜神。
つい一日前までのミレンギたちならば、もはやその存在を半信半疑、いやすっかり疑いきっていたことだろう。
竜は国の象徴。守護する守り神。
それは偶像のようなもので、存在こそ空想上の御伽噺であると思われてきたものだ。
しかし、今は違う。
「ここにいるのだな」とアーセナが確認する。
「そうだよー」
「そこで教えてもらえるのだろうな。お前たちのこと。そして、この少女のことも」
アーセナの視線がセリィへと向けられる。
ミレンギがシドルドの路地裏で偶然出会った少女。思えば、彼女のことは誰一人として知らない。
何故あそこにいたのか。
どうしてミレンギたちについてきたのか。
それがもう当たり前のことのように溶け込んでいて疑問にすらできていなかった謎が、今になって際立ったように押し寄せる。
そう、偶然であった、はずだった。
それがもし違うというのであれば――。
「まあ、いろんな疑問も会えばわかるよー」
神妙な面持ちのミレンギたちとは正反対なほど弾んだ声でミケットが言うと、その大きな屋敷の扉を開き、中へと入っていった。
竜神と呼ばれるほどの竜とはいったいどれほどのものなのか。
緊張の面持ちでその扉の向こうへ足を踏み入れたミレンギたちの前に、しかし随分と小柄な人影が姿を現す。
「お待ちしてましたよ、皆さん」
反響する幼い声。
気がつくと、目の前には一人の子供がいた。
女の子のような目鼻立ちに凛とした落ち着きのある表情。肩にかかるまっすぐな黒髪に、それとは対照的な白い肌。
ミレンギのよく見覚えがある少年――元アドミルの軍師、アイネ・クーリシアだった。




