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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第2部 -王の奪還編- 2章 『撤退戦』
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 -6 『突破』

  ◆


 ――同刻。街道に急設されたルーンの関所。


「ルーセント隊長、簡易の木柵の設置が完了しました」


 兵士からの報告を受け、馬車の中で転寝していた青年が重たく頭を持ち上げた。


 髪は漆黒。しかし肌は純白。凛々しく持ち上がった眉と切れ長の目が大人びた風貌を感じさせるが、深緑の色をした鎧の下からだらしなくはみ出る肌着がまだまだ子供のようなだらしなさを醸し出している。


 ルーセントと呼ばれた彼は大きく欠伸をして体を伸ばした。


「おう、ご苦労さん。けっこう早くできたな」

「ええ、もうばっちりですよ。しかしそれにしても、ルーンから渡ってきたばかりだっていうのに、わざわざ大急ぎでこんなところまで塞ぐ必要はあるんですかね」


「おやっさんの命令だ。無茶をしてでも、どうしても通したくない奴でもいるんじゃねえか?」

「誰ですか、それ」

「適当に言っただけだよ。知るか」


 馬車から降りたルーセントはまだ眠たげに瞼を擦りながら悪態をついた。


 急造で関をこしらえた、同じく深緑の鎧を身につけた部下たちに目を配る。アイムの南方に位置する港町から川を渡り、寝返らせたファルドの港町の領主と共にシャンサを奪取。それから休む間もなく北方へと進軍している。


 念入りに前もって計画されていたおかげで作戦は滞りなく進んではいるが、短時間の無理やりな行軍にはさすがの兵たちも疲労が隠せないでいる。


 これまで軍事を備えることで国力を増やしファルドと対立することはできていたが、国土の広さで言えばルーンは遥かに劣る。ファルドの半数以上を占める穀倉地は王都の周辺に位置しており、ルーンの側にも平野は広がっているものの、干ばつがひどい荒れた土地ばかりであった。


 現状は拮抗しているとしても、いずれ状況が続けば疲弊しかねないのは目に見えていた。今回の進軍はおそらくそのための猛攻なのだろう、とルーセントは考えていた。


 この晩、一気にファルドの牙城を崩し、ルーンに勝利をもたらす。


 実際、ルーン国王ガセフによる大胆かつ緻密な作戦によってファルドは大きな混乱に包まれた。アマルテ大橋を渡ったファルドの攻撃部隊たちも、今頃は逃げ場をなくし、待ち受けていた伏兵に囲まれて殲滅させられていることだろう。


「俺たちの役目は、万が一にも王都に戻ろうとする連中がいたら攻撃するだけだ。あのテストって町だけは、どれだけ密書を送っても頑なになびかなかったって話だからな」


「とは言っても、あの町の戦力などたかが知れていると聞きますよ」

「そうだな」


 通るとしてもせいぜい逃げ落ちた領主か領民か。

 どちらにしても手応えのあるものではないだろう。


「なんていうか。こんなとこ捨てて、さっさとハンセルクに行って向こうの大将の首の一つでも取ったほうが出世できそうですよね」

「おいこら。敵地の真っ只中だってのに気が抜けすぎだぞ。それに、親父さんの命令は絶対だ」

「す、すみません」


 兵士たちはどこか浮かれ気分の様子だ。

 瞬く間にファルドの領地を占領していく自分たちに酔っているのだろう。疲労を隠すためにも、そうやって気分を高揚させなければやっていけないのだろう。


 実際、今日の作戦はルーンの圧倒的勝利であることはルーセントも確信していたし、兵士たちの気が緩んでしまうことも仕方がないとは思っていた。


「このまま日が昇るまで何も起こらなければ俺たちもハンセルクに向かう。それまでにはファルドも終わってることだろう」


 予め計画されていた内容を確かめるようにルーセントが呟く。いや、何事もなくそうなってくれと願うように、というのが正しいのだろう。


「隊長、恐い顔になってますよ」

「生まれつきだこの馬鹿」


 切れ長の目を更に鋭く細め、ルーセントは部下の尻を蹴り上げた。


 夜空を見上げる。

 雲が厚い。けれど風に湿り気は感じない。悪天にはならないだろう。


 空が固まったように思えるほど不気味な無風。木々の梢すらも眠った静間に、野鳥のさえずりに混じって、ルーセントは何かに気付いた。


「……なんだ?」


 突然鳥肌が立ち、痺れるように身の毛がよだつ。その直後だった。


「隊長! 遠くから何かが近づいてきます!」


 それは街道を見張っている兵士からの報告だった。


 ルーセントはテストから続く街道の方を見やる。

 確かに遥か遠方に、薄闇に微かに浮かび上がる白いものが見える。おそらく馬車の集団。群がっているせいで白さが目立ち、おかげで早々に気付けた。


「来たな。逃げてきた難民ってとこか。総員、迎撃体勢を取れ!」


 弛んでいた気持ちを引き締めなおし、左腕を伸ばして血気盛んに指示を出す。しかしその瞬間、闇に紛れた周囲の茂みから巨大な何かが姿を現し、ルーセントの伸ばした腕を引きちぎった。


 不意の衝撃。急襲か。


 ルーセントの体は投げられたように勢いよく地面へ叩きつけられた。


「隊長!」


 慌てて駆け寄ろうとした兵士に、しかしその突如やって来た何かが襲い掛かる。


 熊――いや、それ以上の体躯のそれを押し返せるはずもなく、兵士はその何かが持つ鋭い爪によって凄惨な飛沫を噴き上げさせた。


 悲鳴が轟き周囲も騒然となるも、暗がりの中、兵士達たち状況を掴めずに混乱だけが広がっていく。


「魔獣だ!」


 気を引き締めさせるようにそう叫んだのは、別の兵士に止血を受けているルーセントだった。


 彼の言葉に全員が気付く。

 夜に紛れたその中に、漆黒の毛を持った巨大な狼がいることに。鋭い牙の間にはルーセントの食いちぎられた腕が挟まっている。


 獰猛な獣。

 しかしそれ以上に兵士たちを驚かせたのは、その獣の上に、小さな少女が跨っていたことだった。


「ファルドの飼い犬か。こんな化け物がいるなんて聞いてねえぞ」


 ルーセントは歯を食いしばって痛みを堪えながら立ち上がる。


 狙いは明白。

 奇襲によって陣地を混乱させ、遠方から向かってきている馬車を通すことだ。


 漆黒の魔獣は関にこしらえた木柵をも力任せに壊し潰した。慌てて兵士の一人が槍を片手に取り押さえようとするが、真正面から耳を劈く咆哮を受け、足を竦ませてしまっていた。そして太い前肢に殴られ、地に叩きつけられる。


「次の木柵を用意しろ。馬車に逃げられるぞ! 残った連中は魔獣を押さえ込め! 奴は獣だ、火を恐れる」


 さすがに一個小隊を任されているルーセントだけあって指示は的確だった。


 周囲の兵士たちが立てかけられた松明などを迅速にかけ集め、目の前の獣へと掲げていく。そうすることでようやっと、縦横無尽に駆け回っていた獣の勢いが収まった。


 しかし彼らからすれば時間を稼ぐに十分すぎる戦果だっただろう。


「ファルドの馬車、来ます!」


 柵を敷きなおすよりも早く、ファルドの馬車が関に突入した。


 激しく車輪を回し、おそらくテストから逃げてきた者たちを乗せているだろう幾台もの馬車が横を通り過ぎていく。


 封鎖は失敗。

 しかしただで通すつもりもルーセントにはない。


 残された左腕で剣を抜き取り、馬車の群れへ投げる。円を描いて飛翔したそれは中列に位置していた馬車の車輪に挟まり、自らと共に激しい音を鳴らして車軸を折った。


 片輪が外れ、体勢を崩した荷台が地を滑って止まる。


 たった一台でも食い止められたかとしたり顔を浮かべたルーセントは、直後に自分の目を疑った。


 その停止させられた荷台の真横を通り過ぎた馬車から、一人の少年が飛び降りてきたのだ。彼を乗せていた馬車も僅か先で停車している。


「急いで向こうの馬車に!」


 少年がそう叫ぶと、荷台の中にいた人影が一斉にもう一台の馬車へと駆け出していた。


 まさか乗せかえるとでもいうのか、この状況で。敵地の真っ只中だというのに。


 ルーセントはその衝撃に、僅かならが呆気に取られてしまっていた。


 一刻も早く逃げるべき状況。たかがしれた逃亡兵の数ではルーン軍に圧倒的に及ばない。せっかく通り抜けられたはずの馬車を止めるという危険を冒してまで、脱落した者を救おうというのか。


 まるで蛮勇。無謀である。


 少年は腰に提げた白銀の剣を抜くと、馬車へ近づこうとするルーンの雑兵たちを悉く返り討ちにしていった。


 子供と侮るには卓越した武術。

 しかしまだまだ粗く、動きが大きい。

 才能の片鱗こそ見えど常人の域を出きれていない程度であろうか。


 ――ここであの少年を仕留めなければ後々脅威となる。


 ルーセントは直感的にそう抱き、五体満足でなくなった不自由な片手で部下の剣を抜き取り、少年へと襲い掛かった。


「お前は何者だ!」


 ルーセントの振り下ろした剣を少年が受け止める。

 ずん、と地面が沈み込むかのような衝撃が周囲に広がった。


 負傷している上に利き手ではないとはいえルーセントも武人として隊長にまで登り詰めた男。おまけに少年には随分と疲労の色が見える。


 ルーセントの力強い一撃に押され、少年の足が僅かに退いた。すかさずルーセントはその足を蹴って払うと、少年の体は宙に浮かんで地面に叩きつけられた。


「……うぐっ!」

「お前が何者かは知らんが、英雄気取りの蛮勇は身を滅ぼすぞ」


 転倒した隙を逃すはずがない。

 躊躇うことなくルーセントは刃を振り下ろした。


 しかし彼の剣が裂いたのは少年の肉ではなかった。

 剣先を振りぬいたその瞬間、二人の間を、白銀の色をした少女が塞いだのだった。


 鈍色の剣は少女の白肌の左肩に食い込み、切断こそしなかったものの深く肉を抉った。


「セリィ!」


 庇われた少年が悲痛な叫びを上げる。

 手にかけたルーセントこそ、女の子を切ってしまった不快感に眉間を歪めた。


 邪魔が入った。

 今度こそこの少年を倒さなくては、とすかさず二撃目を構える。


 しかし赤みがかった白色の少女が地面に倒れた途端、彼女の体が淡い光を宿したかと思うと、突如としてそれを取り巻くように眩しい輝きが放たれた。


 それが魔法だとルーセントは気付き、大きく後ろに飛び下がる。しかしその判断に至れなかった近くの部下たちは、倒れた少女の周辺の地面から幾重にも被さるように突出してきた巨大な氷柱のようなものに身を貫かれていた。


 まるで少年を守るように渦巻いて重なるそれは、悠々と花開いた花弁のように美しかった。


「なんて魔法だ……」


 氷柱がガラス細工のように崩れ落ちる。


 その綺麗さに見惚れていたのが半分。

 その強大な威力に言葉を失ったのがもう半分。

 ルーセントは間抜け面を浮かべるように、ただただ立ち尽くしてそれを見た。


「ミレンギ! 馬車の方は全員乗り移ったわ!」


 止まった馬車の方から声が届く。

 それにようやっと我を取り戻したルーセントだが、気付けば松明の包囲を振りぬいた漆黒の獣が少年の元に駆け寄り、血塗れた少女と共に少年を拾い上げて走り去っていった。


 馬車もすぐに発進し、夜の暗がりの向こうへと消えてしまった。


 騒然としていた野営地が一瞬にして静寂を取り戻す。


 壊れた馬車と決壊した関。傷を負った兵士たち。

 誰一人止めることは出来ず、あえなく突破されてしまった。


 結果だけで見れば圧倒的敗北。


「隊長、すぐにちゃんとした手当てを」と気遣い駆け寄る部下の言葉にも耳を傾けず、ルーセントは口惜しさに拳を握り締める。


「糞野郎っ!」


 錆びた鉄のような血の味と共に、敗北という苦渋を噛み締める悔しさに心が喚き叫ぶ。


「隊長、追撃は」

「しない。独断でテストの包囲を崩すわけにはいかない。これ以上は通すな」

「はっ!」


 負けて辛酸を舐める屈辱。

 しかし何よりもルーセントを後悔せしめていたのはそれではない。


「あの少年。ミレンギと呼ばれてたか」


 単独で突っ込んできたあの少年に感じた直感。

 それが今でも、びりびりと痺れるような悪寒として肌を伝っている。


 あの少年は殺さなければならない。

 英雄とはかくも無謀ながら生きながらえ続ける猛者であるものだ。だからこそ、彼を生かしておくわけにはいかないと、ルーセントは強く思った。


「奴は俺が仕留める。絶対にだ」


 その憎悪と畏怖と執念を孕んだ決意は、淡い白を帯び始めた東の空へと静かに響いていた。


   ◆

ツイッターを開設しました。

まだできたてであまりつぶやいていませんが、よければ皆様と仲良くなりたいです。

よろしくお願いいたします。

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