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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第2部 -王の奪還編- 2章 『撤退戦』
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 -4 『信仰を捧げる』

「民たちの様子には理由があるのよ」

「理由?」


 場所を改めて来賓室へと通されたミレンギは、そこでチョトス候から町の現状について話を聞いた。


「ミレンギ様たちがここに来る少し前のことなのよ。シャンサが制圧されたという情報が早馬によってもたらされたのよ」

「ボクたちがシャンサを出てすぐに、もうルーン軍が侵攻を始めてたってことか」


 しかしそれにしても手際がよすぎる。

 やはりシャンサや他の町にもルーン軍の手が回っていて、寝返ったのだろう。


「シャンサを取り纏める領主、ニーグス候はすぐさま降伏を受け入れたとのことなのよ。それはもう、不自然なくらいに」

「やっぱり。最初からそうするつもりだったんだ」


「突然のシャンサ陥落……いいえ、予兆はあったのよ」

「予兆?」


「半月ほど前、わたくし宛てに奇妙な書状が届いたのよ。そこには宛名はなかったけれども、自らをファルドの諸侯だと名乗る者から、ルーン軍に寝返らないかと遠まわしに提案された趣旨の内容だったのよ」


「そんな大胆なことを……」とラランが信じがたい風に首を捻る。

 ミレンギも同感だと頷いた。軽薄な扇動は尻尾を掴まれかねない。


「わたくしも当然、そんな愚行を犯す輩がいるとして国王陛下宛に忠言の文を送ったのよ。けれども結局、それの返事はこの半月、何一つ返っていないわ」

「対応が遅れたのか、それとも……」

「握りつぶされたか、なのよ」


 ミレンギの呟きに、チョトスは組んだ手を顎に当てて真剣に返した。


 周到に根回しされた計画。

 シャンサや他の港町を水面下で征服され、その唯一見えた兆候もうやむやのまま半月が経ってしまった。


 そこから考えられる答え。

 それはミレンギたちにとって最悪な状況を決定付けさせることになる。


 できればここにいる誰もが否定したいだろうが、そうできる言葉を誰も持ち得ていなかった。


 状況が整理されていくたびに、いよいよファルドの悲惨さが浮かび上がってくる。


 仲間であるはずの諸侯に裏切られ、重要な拠点を制圧され、今にも内陸へと侵攻されそうになっている。


 ひどすぎて、ミレンギはつい乾いた笑みをこぼしてしまった。


 苦労してアドミルのみんなを引っ張って、ファルドを取り戻して、これから国家統一に向けて進んでいけると思ったのに。


「……ひどい状況だな」


 吐き捨てるように言葉が出た。

 俯いたミレンギの顔を、隣に腰掛けたセリィが心配そうに覗き込んでくる。そんな彼女に、大丈夫だよ、と微笑んで返すと、重たいミレンギは視線を持ち上げた。


「これだけの状況でも、チョトスさんは寝返らずにファルド側でいてくれてるんですね」

「当然なのよ。ジェニクス王を裏切るような真似は絶対にできないのよ。それがたとえ、命を投げ出す死の淵であっても」


 かつては面倒に思えた彼の信心深さも、今では心強く感じる。


 震えそうになった手をセリィが握ってくれた。

 そのか細くも温かい感触が、やはりミレンギの挫けそうになる心を支えてくれる。


「もっと状況を確認するためにも動かないと。されるがまま待ってるばかりじゃ、本当に何もかもルーンの思い通りになっちゃう。今にも、もう王都にまでルーン兵がたどり着いてるかもしれないんだ」


 ミレンギは力強くそう言って立ち上がった。


 そんなミレンギに、シェスタたちは揃って頷き返してくれた。

 シェスタは鼻息荒く腕をまくり、ラランは優しく微笑み返し、アニューも無言ながら首を縦に振り、ハロンドは「任せてくだせえ」と品なく大笑いする。ギッセンは心細そうに表情をゆがめていたが、ハロンドに頭を掴まれて無理やり頷かされていた。


「な。、何をするのだ。私はお前達の隊長であるぞ」

「細けえこと気にするなよ、隊長さんよぉ。がっはっはっ」

「や、やめるのだ。首がっ……鎧が喉に当たって気管がつぶれそうなのだ……ごほっごほっ!」


 ぞんざいな扱いを受けて涙目を浮かべるギッセンを見てシェスタやララン、そしてミケットも一緒になって笑う。


 ずっと一緒にいてくれた仲間たちがいる心強さ。

 それのおかげでミレンギはここまでこれたのだ。


 彼らがいてくれる限り、ミレンギはどんな逆境であろうとも立ち止まりはしないだろう。


 寄り添って座るセリィの肩が触れる。


「……守るから。何があっても、絶対に――」


 小さく呟いた少女の言葉に、ミレンギは柔らかな笑みを返して頷いた。


 しかしそんな中、チョトス候にいたっては神妙な面持ちのまま、何かを待つように手を組んでじっとしていた。


「……来たのよ」


 耳を澄ますようにじっとしていたチョトス候の目が見開く。


「吉報か凶報か、どちらかしら」


 チョトス候が苦々しい笑みを薄っすらと浮かべたのとほぼ同時に、部屋の扉が強く開かれ、彼の近衛兵が息を切らせて駆け込んできた。


 その兵士の表情を見て、チョトス候は短く嘆息をつく。


「チョトス様! 南方にルーンの軍勢が確認されました!」

「ついに来てしまったのよ。まったく、ミレンギ様とゆっくりお茶をする時間だけでももたいたいものよ」


 自嘲を交えながらチョトス候は言う。


「チョトスさん?」


 彼らの様子に緊張を取り戻したミレンギたちが咄嗟に立ち上がろうとするが、しかしそれを引き止めるようにチョトス候が言葉を続けた。


「ルーン軍の侵攻の速さは驚異的なのよ。それこそ、ずっと昔から念入りに準備されていたかのように。彼らは一切の躊躇いもなくファルドの大地を蝕んでいく。この町もすぐに包囲され、占拠されるのよ」


 それはもはや眼前に危機が迫っているということだった。

 しかしそう言っている状況には不似合いなほどチョトス候は冷静だ。


「ここにもルーン軍が迫ってるんですか?!」


 そう声を荒げて焦るミレンギとは正反対なほどに。


「ミレンギ様がやって来る少し前に、奴らの使者から勧告を受けたのよ。大人しくこの港町を引き渡すか、血を流して強奪されるか」


 ルーン軍はそれほど早く行動を起こしていた。その素早さが、やはり綿密に計画されたものなのだろうと思わせる。


「けれどもわたくしたちは明け渡しを拒否したのよ」

「そんな。どうして従わなかったんですか」


 それは至極まっとうなミレンギの意見だった。


 せいぜいチョトス候の私兵程度しか戦力に持たない港町。対岸を警戒するには事足りるが、上陸された本隊を前にして戦えるものではないだろう。


 本来ならば交戦を避けて投降するか、すぐにでも民を従えて後退するべきである。


 しかしチョトス候は敵方に降りはせず、かといってこの地を手放しはしなかった。


 それは何故なのか。

 いや、明白である。


 国間を繋ぐ唯一であるアマルテ大橋が破壊された今、川沿いの港が塞がれれば上陸の手段を失う。


 他の港町の悉くが占拠、あるいは政治的に買収された今、ここがミレンギたち越境組の唯一たる上陸地点だった。その場所を、彼は死守するつもりだったのだろう。


「この国のためにわたくしたちはいる。今度こそ、わたくしの判断は間違っていなかったのよ」


 チョトス候が微笑を浮かべ、優しい顔つきでミレンギを見やる。


「……ファルドをよろしく頼んだのよ、ミレンギ様」

「え?」


 ミレンギが尋ね返そうとしたところに、開かれたままの扉から新たな近衛兵が飛び込んできた。


「チョトス様、準備が整いました」

「そう。ならば案内するのよ。急いで」

「はっ」


 チョトスに指示に、大急ぎで近衛兵たちが動き出す。その内の一人がミレンギたちに駆け寄り、「こちらへどうぞ」と半ば強引に誘導を始めた。


 そのまま急かされるように屋敷の外に連れて行かれた。そこにはミケットの船に乗っていた義勇軍の残兵たちも一同に集められ、そんな彼らを囲うようにテストの住人たちが寄り集まっていた。


 住民達には異様な熱気が感じられる。

 鍬や鋤、武器になりそうなものならなんでもを手に握って掲げている。


「チョトスさん? これはいったい!」


 またミレンギたちを貶める罠だったのか、と遅れて屋敷を出てきたチョトス候にミレンギが尋ねる。しかし彼は憮然とした表情のまま、冷静に答えた。


「ミレンギ様。この町は直に包囲され、ルーン軍に攻め込まれるのよ。そうなればこの町は瞬く間に火の海になるのよ」

「だったら逃げないと!」


 逃げるべきはろく戦うことも出来ないこの町の人たちだ。彼らを逃がすためならば、ミレンギたち義勇軍も戦うべきだろう。


 だが、彼の首が静かに横に振られる。

 そしてチョトス候から言われたのは正反対のものだった。


「逃げるのはミレンギ様たちだけなのよ」

「え?」


 ミレンギは耳を疑った。


「町を出口に馬車を用意しているのよ。残された義勇軍たちを運ぶには十分なはずなのよ」

「な、何を急に」

「それを使って今すぐにここを出るのよ」

「そんな……どうしてボクたちだけ! できるわけないじゃないですか!」

「やるのよ!」


 詰め寄ったミレンギ以上に強い語気でチョトス候が言葉を返す。彼の目は真剣で揺るぎがない。


「ルーン軍はこの町を包囲しようとしているのよ。おそらく王都への街道もすぐに塞がれる。そんな中、ミレンギ様たちのような武装した集団が町から出れば、彼らはこぞって攻撃を仕掛けるのも当然なのよ」


「それは……だったら、町の人たちもみんな一緒に出れば」

「町の住民は多くいるのよ。彼らを従えて行軍しても、動ける速さなんて高が知れてる。馬車だってそう多くはないのよ」

「でも……」


 言葉の悉くを跳ね返され、ミレンギは奥歯を噛み締めながら肩を落とした。


「ミレンギ様たちが王都への道を閉ざさぬように、わたくしたちがルーン軍を引き留めるのよ」


 それはつまり、自分たちを餌にルーン軍の目を惹き、その隙にミレンギたちを逃がすということ。


 しかしチョトス候の持つ戦力など大したものではなく、それに住民が加わったところでとてもルーン軍を跳ね除けられるはずがない。せいぜい時間稼ぎというほどだろう。それをわかった上で彼は言っているのだと、その据えられた瞳が物語っていた。


「町のみんなには了承を得ているのよ。これはこの町、テストとしての総意」


 チョトス候が、彼の腰に携えていた装飾過多な剣を抜き、頭上に掲げる。それに呼応して、ミレンギたちを囲むように集まっていた群集たちも、同じように鋤や鍬を掲げて雄雄しい叫び声を上げた。


 絶対に譲らないという固い決意が彼らから感じられた。


 馬鹿げている。

 いくらそう訴えても聞きはしないのだろうとわかる。


「どうして……どうしてそんなことを、ボクたちなんかのために……」

「確信しているからなのよ」

「かく……しん……?」


「貴方様がいるかぎり、このファルドは潰えることはない。どんな逆境であってもかならず翻し、希望の光を示してくださることを。貴方様がいる限りファルドは死なない。それはつまり、それを信じるわたくしたちの魂も永遠に死ぬことはないのよ」


 チョトス候が懐から十字架を取り出し、握り締める。それは、彼が生まれてこの方ほとんど手放すことなく肌身につけてきた、竜の刻印の入った十字架。ファルドへの忠誠の証。


 その十字架とミレンギの顔を交互に見やり、ふっと微笑む。


「きっとわたくしの信心は、今日、この時のためにあったのよ。そう、今なら確信できるのよ」


 チョトス候は改めてミレンギへと向き直り、膝をついてミレンギの手を取る。ミレンギの瞳には自然と涙が浮かび上がっていた。


「わたくしたちは感謝しているのよ。もしもあの日、ミレンギ様を計略に貶めようとしたあの瞬間、ミレンギ様たちが反撃に徹していれば、わたくしたちの多くは犠牲になっていたのよ。所詮は平民の烏合の衆。妄信の末の、玉砕覚悟の決死の敢行だったのよ」


 けれど実際は、ミレンギはテストの民衆に一切の手を下さず、逃げの一手を選んだ。


「貴方を守るのは、貴方が奪わなかったあの時のわたくしたちの命。貴方の優しさ、貴方の力強さを、決して失わせるわけにはいかないのよ」


 まるで幼子を慰めるような優しい口調でチョトス候は言うと、おもむろに、凛々しく立ち上がる。


 そして、


「竜の加護があらんことを。わたくしたちの大好きなこの国を、よろしく頼むのよ」


 そう言い残し、彼は群集を率いて去っていったのだった。


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