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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第2部 -王の奪還編- 2章 『撤退戦』
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2-1 『都落ち』

   ◆


 それは、目覚ましにしては荒々しすぎる音だった。


 ファルドの王都、ハンセルク。その中心に座する王城の自室で眠りに落ちていたノークレンは、地鳴りのような轟音に体を飛び上がらせた。


「いったい何なの?!」


 肩からずり落ちた絹の寝巻きを正し、市街を見渡せる姿見大の窓へと駆け寄る。


 草木も寝静まった深夜。

 普段ならば外灯もほとんど消えて真っ暗になっているそこからの景色だが、しかし今日は妙な明るさを帯びていた。


 その光源は確認できないが、低い雲や城壁が朱色に染まっているのが見える。


「火事ですの?」


 おそらくその通りだろうと自分で思い、ノークレンはそわそわと落ち着きをなくした。


 火事自体は決して珍しいことではない。


 教会や役所などは石造りだが、こと未だ木造家屋の多い平民の住宅街は、一度燃え広がれば鎮火に手間がかかる。そのため国家所属の消防団が設営されており、毎度懸命な消火活動が行われるものだ。


 もし延焼でもすれば、多くの市民が焼き死ぬ恐れがある。

 それは免れても、家を失くし路頭にさまようのは間違いない。


 ノークレンはたまらず自室から飛び出し、彼女の部屋を警護していた衛兵に詰め寄った。


「外が火事ですわ。町は大丈夫なんですの?」


 首元を揺さぶられた衛兵が言葉を返せずにいたところに、

「おや、姫様。このような時間にどうなされましたか」と、落ち着いたしわがれた声が響いた。


 ノークレンの育ての親、グラッドリンドだ。

 彼が穏やかな表情を浮かべて歩いてきたのを見て、ノークレンは飛びつくように駆け寄った。


「お義父様。火事よ」

「ああ、そのようですな」

「消防団は出ていますの?」


「ええ、しっかりと。今しがた消火活動へと駆けつけましたぞ」

「そう、それはよかったわ。それじゃあ大丈夫ですのね」


 冷静に、幼子をなだめるように言葉を返すグラッドリンドに、ノークレンは安らんだ表情で目を細めた。


「大丈夫よね。たとえどんな災いが訪れても、竜神様が私たちを助けてくれますわ」


 彼女の手には、竜の刻印が入った十字架が握られている。それに祈るようにしばし黙すると、グラッドリンドに柔和な笑みを向けて見せた。


「お義父様の言葉はやっぱり安心いたしますわ。私はいつも簡単に取り乱しちゃうから」

「まったく。夜更けに部屋を飛び出して、少々お転婆に育てすぎたかな」


「もう。いじわるを言わないで、お義父様。お義父様には感謝していますのよ。私を孤児院から見つけてくださったこと。そして今はこの国の王だもの。お義父様の願いなら、何だってかなえて見せますわ」

「そうかい」


 そうですわ、と微笑むノークレンの頭を、グラッドリンドは手を回して優しく抱き寄せる。


「それじゃあ――」


 全幅の安心を乗せて寄りかかる愛娘に、グラッドリンドは小さく囁いた。


「私のためにもう一働きしてもらうぞ」

「…………え?」


 グラッドリンドが指を鳴らす。

 それを合図に、廊下の陰に隠れていた数人の兵士が駆け寄り、ノークレンを取り囲んだ。


「お、お義父様。この方たちはいったい」


 ノークレンがうろたえるのも当然。


 その兵士たちは皆、見知らぬ黒色の鎧を纏っていた。そのような装備、ファルドの正規兵には支給されていないはず。なればこの者たちはいったい何者なのか。


「グラッドリンド様、これはいったい何事ですか!」


 咄嗟に詰め寄ろうとした衛兵に、しかしグラッドリンドは一切の躊躇いを見せず、袖に隠し持ったナイフを取り出して首元へ突き刺した。


 鮮血の飛沫が飛び散り、赤の絨毯をより深く染め上げる。


 息をするような自然な流れに、ノークレンは事の理解が追いつかないでいた。


 失血により息絶えた衛兵の体が床に崩れ落ち、指先がノークレンの足元に触れる。ひぃ、と短い悲鳴を上げて足をどけ、ノークレンは怯え顔を浮かべた。


「お父……様……」


 必死に絞り出そうとする声が震える。

 眼前に佇む最愛の義父を見る瞳も恐怖に揺らぐ。


「姫様、どうされましたかな。ああ、寝起きですもの。悪夢でも見てしまったのか。お前は小さい頃からよく寝ぼけていたからな」


 そっと、グラッドリンドの手がノークレンに伸ばされる。それをノークレンは無意識的に払いのけた。


「い、いやっ……」

「ふむ、おびえているようだ。外は火事であるし、もう少し安静に出来る場所でお眠りになられることをお勧めしよう」

「な、何を……っ!」


 本能的に危険を察知したノークレンは咄嗟に、足元に転がった衛兵の剣を手に掴む。しかし一度も握ったことのない剣は思ったよりも重く、ずしりとした感触に手が持っていかれそうだ。


「こ、答えてくださいませ。お義父様、いったい何をしようとしているのですか」


 ノークレンの声はひどく震えている。

 まるでなまくらの獲物を握っているかのように弱々しい。

 どうにか持ち上げた剣の切っ先は震え、とても何かを切れそうな力強さはない。


「どうするというのだ、それを私に向けて」


 不敵に笑んだグラッドリンドが、向けられた剣を容易く掴む。ノークレンは剣をあっさりと奪われた。


「その覚悟もないくせに似合わぬことをするでない。お前は私の言うとおりにしていればいいのだ。なに、悪いようにはせん」

「…………」

「お連れしろ。丁重に、な」


 グラッドリンドの指示によって黒色鎧の兵士たちがノークレンを取り囲み、そのままノークレンはほぼ無抵抗にあっさりと拘束された。


「お義父様。お義父様……」

「案ずるでない。命までは奪わんさ。お前はよくやってくれた、私の自慢の娘だ」

「……お義父様ぁ!」


 黒色兵に腕を引かれて強引に連行されていくノークレンは、目尻に涙を浮かべながら、唯一の家族であるその男の無表情な横顔に手を伸ばし続けていた。





 ノークレンは目隠しをされ、連れられた先で馬車に乗せられた。


 王城を出るつもりだろうか。


 視界を遮られた薄布の向こうから朱色の光が見え、それが市井を焼く大火事なのだとわかった。


「民は、町は無事なの?」


 恐怖に抗いながらそう訴えかけるも、自分を連行する誰も答えはしない。そこに誰がいるのか。グラッドリンドはどこにいったのか。そして、自分はこれからどうなるのか。


 不安ばかりが彼女の心を押し潰し、目隠しの布を涙で湿らせた。


 どうしてこうなったのか。


 自分はファルドの王として座するべき子だと育てられてきた。


 元は孤児院の娘。

 経営に困窮していたそこで最低限の食事のみを与えられて暮らしてきた自分を、数多並ぶ雑草の中から見つけ出し、引き取ってくれたのがグラッドリンドだ。


 だからこそ彼を敬愛し、その幸運を、竜神の加護を受けたのだと思い込み、信奉した。あれから竜神への祈りを欠かしたことなど一度もない。


 そんな信心深き自分が何故このようなことになっているのか。ノークレンは意味のわからぬ哀しみに明け暮れた。


 華々しき王族としての地位。民草はその下でノークレンに導かれ、繁栄を築く。


 輝かしい栄誉が待っているはずだったのに。


「お義父様……お義父様……」


 震えた唇でそう呼び続ける。

 手には竜神を崇める十字架が握り締められたままだ。


 このような状況に陥ってもまだ、ノークレンには縋ることが出来るものがそれ以外になかった。


 グラッドリンドの凶行は何かの間違いだ。自分を保護するための移送なのだ。そう都合よく頭が解釈しようとする。


 しかし腕を縄できつく縛られ、馬車が動き出した揺れで倒れこみ頬を打ちつけたその痛みに、甘えた理想はあっけなくも打ち砕かれた。


 自由を奪われた恐怖が彼女を包み込む。


 これからどうなるのか。

 いや、そもそも何故、一国の王が攫われたというのにそれほど騒ぎ立てられないか。


 都合よく起きた火事。

 見知らぬ鎧の兵士たち。


 ノークレンが不審な男たちに囲まれているのが知られれば、たちまち城内は大騒ぎである。だがそんなことすら起きなかった。しかしそれはよくよく思えば不思議もないこと。夜間の兵の警備配置、その人選、全てはグラッドリンドが指揮していたのだから。


 自分は彼に何かしらの計略にはめられたのだと、いかにノークレンといえども理解するには容易かった。


 だからこそ、唯一の家族の裏切りに涙が止まらなかった。


 深夜にしては明るみを持った市街を馬車が駆けていく。


 道中の大通りでは、大火事に慌てふためく市民たちの声が溢れていた。そんな彼らの合間を縫うように、人知れず、ノークレンを乗せた馬車は通り過ぎていく。


 外に声が漏れぬよう口も塞がれ、ノークレンはとうとう黙りこくった。


 この王都を出ては、いよいよ自分はひどい目に会う。それを覚悟し、胸に抱きしめた十字架へひたすら祈りを捧げ続けた。


 だが、


「――きゃあっ!」


 突然馬車が止まった。


 急停止の衝撃で、今度は右肩を強く打ちつけてしまった。その衝撃で目隠しがずり落ちて視界が開けたが、鈍い痛みが上半身へ痺れるように広がった。しかしその痛みが治まる暇もなく、馬車の外が騒がしくなり始める。


「何事だ」


 ノークレンを見張っていたのだろう男の一人が馬車の天幕から外へ出た。途端、ノークレンの眼前の真っ白な天幕に、赤い飛沫が飛び散ったのを見た。


 いったいどうなっているのか、ノークレンには状況がわからない。


 ここはもう王都の外なのか。

 何か獣にでも襲われているのか。

 果たして自分はこれからどうなるのか。


 押し寄せる恐怖に身が竦み、失禁してしまいそうなほど怯えていたところに、ふと、天幕の入り口が開けられる。


 そこから顔を覗かせたひとつの人影に、ノークレンは驚愕の表情を浮かべた。


   ◆


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