-3 『継承の資格』
「何を言っている。ジェニクス王の実子はこのミレンギ様ではないか」
取り乱す諸侯たちの中、ハーネリウス候だけは、突如現れた謎の少女に冷静に言葉を返していた。
だがそれでも、ノークレンと名乗った少女は一切の余裕の表情を崩さない。
「そっちこそ何を言っていますの。そのミレンギという子供こそ偽者。なんの証拠もない、ただの孤児ですわ」
「何を戯言を」
「戯言はどうでも良いのですわ。それよりも、これを見れば真実は一目瞭然」
ノークレンがそう言うと、彼女を囲っていた私兵のうちの一人が前に出た。
やや初老の、髪が真ん中だけさっぱり抜け落ちた白髪の男だ。彼は懐からとある物を取り出し、周囲に見えるよう高く掲げる。
ミレンギにはその形に見覚えがあった。
四角い土台に竜の彫刻が施された小物。
それは、クレストの私室で見かけたジェクニスの勅印だった。
「どうしてそれが!」
ジェクニスの私物であり、彼の絶対的な権力の証。
王族の血筋に代々伝わるとされるそれは、ジェクニスの代によって血筋が途絶え、彼の亡骸と一緒に火葬され墓所へと葬られたと聞く。そのためクレストは贋作を用意して、前王の威を借りるという悪事を働いた。
彼の男の行いは今、国内全土に喧伝されている。だからこそ、この場にいる諸侯たちはこぞってその勅印を偽者ではないかと疑った。
「少しよろしいですか」
列に混じっていたアイネが壇上に躍り出る。
「失礼。その勅印を見せていただいてもよろしいでしょうか」
彼の言葉に、付き人の男は不服そうな顔をした。
「確認をするだけです」
「……妙な細工はするでないぞ」
「もちろんです」
渋々といった様子で男はアイネに勅印を手渡した。
じっと、食い入るようにアイネがその勅印を細部まで見つめる。裏返したり、撫でてみたり。ミレンギは、またクレストの時みたいに贋作であると気付くのだろうと思っていた。
しかし、アイネの口から出た言葉は、
「……これは、おそらく本物です」
予想外の言葉に、ミレンギや、さすがのハーネリウス候ですら驚きを隠せずに動揺した様子を見せていた。
「当然ですわ」とノークレンが高笑いする。
思わず、ハーネリウス候が詰め寄って尋ねた。
「本物とはどういうことだ」
「彫刻の精緻さ。そして劣化具合。相当に時間の経っているものと思われます。ガーノルド殿にお聞きして知ったことですが、本物の勅印にはなにより、竜の装飾の右腕に切れ込みが入っているのです。それは幼少時のジェクニス王が落下させて壊してしまった物を繋ぎ合わせた名残と言われています。そこまで、この勅印にはしっかりと存在している……」
口惜しそうにアイネは言う。
「それに、一部経年により酸化している箇所が白色に変わっています。これは勅印の元となった素材の鉱石の特徴なのです。これほどの類似点。断定はできませんが、本物という話に信憑性を持たせるには十分でしょう」
それは信じがたいことであった。
ジェクニスの遺体と共に火葬され、この世から消え去ったはずのそれが存在している事実。
その証明をするアイネの心情はおそらく計り知れないものだろう。
「しかし、これだけでは貴女が王族の血筋であるという証明には足りえません。現に、ミレンギ様は前王の子として引き取られてきたのです」
「その引き取ったという人物は誰だ?」
付き人の男が尋ねる。
アイネは苦い顔をして答えた。
「ガーノルド殿です」
「なるほど。しかし彼はもうこの世にいないと聞いたが。そっちこそ、どうやってそのミレンギという子を前王の子であると証明するつもりか」
「それはガーノルド殿が、前王が事切れる間際に隠し子の孤児のことを伺い、孤児院から引き取ったからで」
「その引き取った子供が、実は本当に前王の子ではなかったとしたら?」
自信満々な男の言葉に、アイネは気圧されるように言葉を失ってしまった。
「そのミレンギと言う少年。ガーノルドがジェクニス王崩御の際に隠し子の存在を伝え聞き、教えられた孤児院にてその隠し子を連れ帰ったという話だ。だが――」
にたり、と彼の口許が不気味に歪む。
「もしそのガーノルド殿が、前王にはまったく関係のない子を連れ帰っていたとしたら」
男の言葉に、一番のざわめきが起こった。
どういうことだ、と諸侯たちが落ち着きをなくしている。
「どんな言いがかりだ」とハーネリウス候がどうにか言葉を投げかける。
しかし男はまったく表情を崩さず、余裕の顔で、私兵に合図を送った。そうした直後、聖堂の扉から新しい男が入ってくる。ややみすいぼらしいが、牧師のような格好をした老人だ。
ミレンギはその顔に薄っすらと見覚えがあった。
「諸侯方は前王が死の間際、かのガーノルドに伝えた言葉をご存知か。存じてなければ私が言おう。『その者、赤き目をした竜の加護受けし子なり』とだけである。それは、いまここに招いた男がよく知っている。なにしろ彼は、そのミレンギという子が拾われた孤児院を経営している男なのだ」
そう付き人の男が、先ほど入ってきた年老いた牧師を指して言った。
ミレンギもかろうじて覚えている。腰の曲がったその牧師のことを。
まだ随分幼かった頃、彼がガーノルドを連れてやってきたのだ。そして引き取られた。ガーノルドの元へ。
牧師の男は猫背の身体をより縮こまらせ、緊張した面持ちで口を開いた。
「わたくしが孤児院にて子供らの世話をしていた時、突然ガーノルド殿は参られました。話を聞けば、孤児の中に赤い目をした子を探しているとのこと。赤い目はこの国では比較的珍しいものです。
しかし、わたくしの孤児院には赤き目を持つ子供は偶然にも二人いたのです。男の子と女の子一人ずつ。彼は目当ての子を断定できていない様子でした」
話を聞いているミレンギはごくりと苦い唾を飲む。
「それからガーノルド殿はおもむろに男の子の方を連れ、わたくしたちの孤児院から連れ帰りました」
それは、誰もが予想だにしない事実であった。
これまで前王の子だと担ぎ上げてきたミレンギが、まったくの赤の他人であったかもしれないという事実に、城内の動揺は制御がきかないほどになっていた。
そんな光景に、付き人の男がしてやったりとほくそ笑む。
「聞いたか、皆の者。ガーノルドはろくに確証も得ぬまま子を連れ帰り、それを前王の子だと嘯いたのだ。だが実際は違った。後に、この孤児院で生活していたもう一人の赤い眼を持つ子、ノークレン様が、この勅印を何者かに渡され持ち続けていることがわかったのだ」
「なんだと!」と諸侯の一人が声を上げる。
「それは本当なのか」とまた別の諸侯や貴族が続く。
「それは嘘偽り無き真実であると、この孤児院の男も認めるであろう」
付き人の男に促され、孤児院の牧師もしおらしく首を縦に振る。
「この勅印は生前のジェクニス王が我が子へ想いを託された証。なによりの証明なのである!」
まるで勝ち誇ったかのような口ぶりだった。
事実、諸侯達の心はすっかりその男の言葉に惹き付けられていた。
「そういうことですの。どうかしら、ご自分の立場がおわかりになりまして?」
ノークレンがミレンギを見下ろしながら言う。
嘲笑と苦渋。
感情のまったく違う二人の赤い瞳が交錯した。
眼前とした事実。
それがずっと、ミレンギの頭を叩きつけてくるように揺さぶってきた。
「ボクは……」
「どうしますのかしら、その冠を」
ねっとりと、まるで責めるような言葉。
座している冠のその行方を問う、執拗にいやらしい態度。
ミレンギの額に気持ち悪いほど汗が伝った。
「ボクは……」
全員が次の言葉を息を呑んで待つ中、ミレンギは、逃げ出したくなる思いで言葉を吐いた。
「――ボクは、即位を、辞退します」
それは決定的な一言であった。
「今までご苦労でしたわ。後は治めるべき者に任せて、貴方は普通の生活に戻るといいですわ」
ほくそ笑むノークレンに目も向けられず、ミレンギはただ地に伏して、薄っすらと悔し涙を浮かべていた。




