1-1 『新しい始まり』
1 ルーン侵攻
「いらっしゃーい、いらっしゃーい」
「こっちおいでー。ウチは安いよー」
「さあさ、寄った寄った。こんな日だから大売出ししちまうぞ」
王都ハンセルクの城下に広がる大通りは、いつにも増して大賑わいだった。
まるでお祭り騒ぎのように店は飾り付けられ、華やかな雰囲気を出している。
馬車が六台は並べるほどに広い大通りを多くの民衆が埋めていた。これほどの人数、おそらく王都以外からやって来た人もいるだろう。
それほどに町が活気付いている理由は明白だった。
「今日はあのジェクニス様の忘れ形見って方の戴冠式なんだろう。どんな人なのか楽しみだねえ」
「隠し子ねえ。まさかジェクニス様にそんな子がいたとは。本当なのかどうか」
「いいじゃないか。ルーンとの戦のことしか考えてなかったクレストなんかよりはずっといいさ」
「なんでもミレンギっていう名らしいぞ。静寂の森で、耳無しどもなんかを守るために命を張って撃退したって話だ」
「そりゃあすごいね」
民たちが口々にミレンギの噂をする。
そう、今日は彼の戴冠式であった。
前王クレストが倒れて半月程が経っていた。
これまで、王都に居座っている諸侯や貴族たちと、アイネなどのアドミル側の人間によって話し合いが数度行われ、結果、『アドミルの光』が中枢に座する形で王政再編が行われることとなった。その際、空席となった玉座の後継として名前を挙げられたのが、アドミルの御旗であるミレンギだった。
そうなることはアドミルの人間なら誰もがそう予想していただろう。いや、おそらく民たちもだ。
様々な事務の引継ぎや、未だルーンと前線を張り合っている兵の管理などの雑務を片付け、ようやっと、ミレンギはこのファルドの新しい国王として迎え入れられることとなったのだった。
「なんだか恥ずかしいね」
街の中心に佇む城の上層階から城下の様子を眺めていたミレンギは、顔を赤くしてそう言った。
緊張している。
鼓動が早いし、手汗も沸いてきた。
――国王。
まさか自分がそんな地位につけるなんて、これまでの人生で思いもしなかった。
その大仰さに、口の中は渇いた唾でべとりとしてしまっていた。
少し前まではただの平民だったくせに、今は来る戴冠式のために、派手な礼服まで着させられている。馬子にも衣装、といったところだろうか。かろうじて着れてはいるが、どうにも似合っていない気がする。
「ボクを見て、みんながっかりしないかな。威厳も何もないって」
「そんなことありませんよ」
穏やかな口調で答えたのはアイネだった。彼も今日は綺麗な礼服を着ている。背丈が低いせいで子供用にも見えるのが難点だが、浮かべた表情はいつになく自信に満ちたものだった。
「ミレンギ様はジェクニス様のご子息なのです。王位としては継承する権利も十分と言うほど。むしろ、本来ならばクレストではなく貴方に授けられるべきだったものなのですから」
アイネはそう言ってくれるが、ミレンギからすればまったくその実感はない。
父親が偉大な人だと知らされたのも最近だし、なにより物心ついた頃から孤児院で育てられてきたミレンギには、親の顔にまったく記憶がないのである。覚えていることと言えば、せいぜい孤児院の院長先生や、世話をしてくれた隣接する教会の修道女くらいだ。
そんなミレンギがジェクニスの子を名乗っていいものなのか、どうしても不安が拭えなかった。
「ミレンギ、大丈夫?」
傍にいたセリィが手を握ってくれた。
彼女の手は冷たくて、ちょうど火照ったミレンギの心を冷ましてくれた。
「ありがとう、セリィ。なんか、きみにはいっつも助けられてる気がするよ」
「助けるって、約束したから」
「そうだったね」
あの日――ミレンギが覚悟を決めたあの夜、彼女と共に逃げない道を選んでから、ついにここまでたどり着いた。
本当に世話になってばかりだ。
たまたまシドルドの町で出会って、それからずっと、ミレンギのことを見守ってくれている。不思議な魔法で支えてくれている。
きっとセリィがいなければ、ミレンギはグランゼオスに勝てなかっただろう。いや、きっとあの夜のシドルドで命を落としていた。
ぐう、とセリィのお腹が鳴った。
「……お腹すいた」
ふふっ、とミレンギは笑ってしまった。
どうにも締まらない。
だが、いつも自分調子なのはとてもセリィらしいと思った。
格好も、ミレンギたちとは違っていつも通りの私服だから尚更だろう。
いい具合に緊張が解れた気がする。
部屋の戸が叩かれ、扉の向こうからシェスタとラランが顔を出した。二人とも綺麗な礼服の衣装をまとっていた。
ラランは深緑を基調とした落ち着きのある雰囲気だ。腰元を締め付けているせいで胸の凹凸が強調され、男子の視線に迷う代物が揺れていた。
反してシェスタは体型こそ貧弱だが、細身で引き締まった肉つきは、可愛らしい織物がたくさんついた水色の洋服に思いのほかよく映えた。
深窓に住まう令嬢と言われても納得してしまいそうなほどだ。普段はがさつな性格なのに、今だけはまさに淑女のようだった。
「すごく似合ってるよ、シェスタ」
「う、うるさい。見るな馬鹿!」
照れ隠しに小突かれた。前言撤回である。
やはりシェスタはシェスタだ。でも、それも少し安心させてくれる。
顔を真っ赤にした彼女を見て、ミレンギは落ち着いた顔で笑った。
「ミレンギの言うとおりです。シェスタ、本当によく似合っているわ」
「もう、ラランまで。そういうの良いってば」
「ふふっ、照れちゃって。アニューも来ればよかったのに」
「まあ、あの子はグルウの世話もあるしね。警備も兼ねて庭で遊んでるわよ」
赤らめた顔を腕で隠しながら、シェスタがミレンギに向き直る。
「ほら。そろそろ行くわよ。時間なんだって」
「うん。わかったよ」
ミレンギは顔を引き締め、口許をくいっと持ち上げる。
ここから、ミレンギの新しい一歩が始まろうとしていた。




