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 少年ミレンギ 『耳長族の少女』

   ◆


 王都制圧に向けてシドルドでの訓練にも身が入っていた頃。

 ミレンギは昼の訓練を終え、汗を流すために官舎の浴場へと向かった。


 身体を動かした後の風呂は格別だ。


 薪を多く使うため普段は水浴びでさっと流す程度だが、たまにこういう贅沢をさせてもらっている。


 ミレンギは要人ということで一人先に入らせてもらっているが、他の兵たちも久しぶりの湯浴みを楽しみに待っていることだろう。


 ほどほどに身体を温めてから、ミレンギは脱衣所へと出た。


「あれ、忘れちゃったかな」


 湯浴みも久しぶりだったから、楽しみに心を浮つかせすぎてうっかりしていた。着替えなどは用意してきたが、身体の水気を拭く肝心の布が無い。これでは代えの服が水浸しだ。


 どうしたものか、と悩んでいると、


「こちらをお使いください」と目の前に分厚い布切れが差し出された。


「ありがとう……って、ええ?!」


 自然すぎて流してしまいそうだったが、しかしミレンギは思わずそれを差し出してくれた人影を二度見した。


 そこにいたのは外套を被った女性だった。

 顔は見えないが豊満な胸とくびれた腰が、嫌でも性別を主張してくる。


 妖艶の美少女といった雰囲気だ。


「だ、誰っ?!」

「あら、申し訳ありません。驚かせてしまいましたね」


 その人影は冷静に言葉を返し、顔を覆う外套を外した。


 金色の髪がばさりと広がり、しなやかに垂れる。餅のような白い肌。澄んだ空のような碧眼。そして、なにより特徴的な左右についた長い耳。


「申し遅れました。私、森より使い参ったフエスと申します」


 そう言って彼女は深々と頭を下げた。


「な、なるほど。わかりました」

「この度は祖父であるハイネスから――」

「ちょ、ちょっと待って」

「はい?」


 おっとりとした顔でフエスと名乗った少女は首をかしげる。


 そう、ちょっと待ってほしい。

 ミレンギはいま、


「あの……服を着てからでもいいですか」


 素っ裸のままの咄嗟に手で隠していたミレンギは、顔を真っ赤にしてそうお願いした。






「別にわたしは気にしないのですけれど」

「ボクが気にしますから……っていうか、なんであんなとこにいたんですか」


 服を着終えたミレンギは、フエスを官舎の貴賓室に通して話をしていた。


 静寂の森に住まう耳長族。

 その長老を務めているのが彼女の祖父、ハイネスである。


 そういえば長老の家で話をしていた時に彼女を見かけたことを思い出した。あの時は妹の子が乱入してきて「自由だな」と思ったことだが、まさかその姉は勝手に脱衣所に入ってくるような子だったとは。


「すみません。ちょっと官舎の中で道に迷ってしまいまして」

「どんな迷い方ですか」

「森の中は得意なのですが、こう壁に沢山挟まれた場所は苦手で」


 そうけろりと言ってのけたフエスは少しも悪気の無い様子だった。だがよくよく考えれば一大事である。警備上の問題として取り上げられることだろう。


「官舎内には見張りもいたはずだけど」

「人目を避けるのは耳長族は得意ですので」

「……はぁ。勝手に人が入ってきたこと、アイネに知られたら怒られるかなあ」


 ミレンギは不安で胃が痛くなった。


「それよりも、今日はどうしてここに」

「ああ、そうでした。今日は祖父ハイネスから二つの言伝を承ってきたんです」


 彼女が胸の前で手を叩くと、たわわな二つのふくらみも元気よく揺れた。

 どうも目を背けたくなった。顔が熱くなりそうだ。


「……チッ」と舌打ちが聞こえた気がして、ミレンギは咄嗟に後ろを振り返る。


 椅子の後ろで、警護としてついてくれたシェスタが立っている。一瞬だけ不機嫌そうな顔だったが、ミレンギと目が合うと、あからさまに作られた柔らかい笑みに切り替わった。


「どうかしたの、シェスタ」

「なんでもないですよ、ミレンギ様。私はただの護衛ですから。どうぞお話の続きをなさってくださいな」

「そ、そう」


 いつになく丁寧な口調で微笑んでくるのがやや怖い。

 ミレンギは内心冷や汗をかきながら、またフエスへと向き直った。


「どうかしましたか?」


 フエスが腕を組み、頬に手を当てて尋ねてきた。収まりきらない胸が腕に潰され、彼女の緑色の民族衣装がはち切れんばかりに引っ張られている。


「……胸なんてただの脂肪よ。あっても邪魔よ」


 また背後から小さく何か聞こえた。


 振り返ると鬼の形相に出くわしそうで、ミレンギは背中の威圧感を拭いながら話を進めることにした。


 フエスの持ってきた話とは、端的に言うと支援の申し出だった。


「わたしたち耳長の部族はミレンギ様を支持いたします。貴方様の要請があれば可能な限りの物資の提供などを行うつもりです。それと、森で狩りに慣れた若者を、自分たちでも森を守り、ミレンギ様の助けにもなれるよう訓練を始めました」


「え。どうして急に」


「耳長のわたしたちは、ずっと森のこもっているだけではいけないと思い始めたのです。排斥され続け、むしろわたしたちからも他者を排斥するようになってしまっていました。しかしそれではいつまでも溝は埋まりません。歩み寄ろうとせずにいては、いずれ部族が滅びてしまいかねません。だから、わたしたちは変わらなければいけないのです。フィーミアの二の舞にならないように」


「フィーミア?」


 聞きなれない単語にミレンギは首をかしげる。


「フィーミアとは、遥か昔、わたしたちと同じように迫害された部族の名前です」


 初耳だった。

 おそらく随分前のことなのだろう。


「その人たちはどうして迫害されたの」


「彼らは非常に賢い頭脳を持ち合わせていました。そのため非常に頭が回り、国の社会構図の内部を侵食していたのです。それはもう、国の重鎮の地位をフィーミア族が占有しそうになり、もはや国を乗っ取れるのではないかと噂されるほどだったと言います。それを危機と捉えた当時の国民が蜂起を起こし、フィーミア族の追放をおこないました」


「そんなひどいことが」

「王族への忠誠のせいなのでしょうね。事実、彼らがその気になれば王政を覆せていたかもしれません」

「すごいんだね、その人たちは」


「はい。ですが彼らは頭脳が長けていること意外に長所はなく、絶対数も少なかったのです。フィーミア族はその異常発達の代償か、右目だけが色素が薄く、白に近い黄土色という異色の眼をしているそうです。『片目』と呼ばれた彼らは、瞬く間に排斥運動が進み、国内から姿を消したといいます」


「なんというか。ひどい話だね。その人たちは別に悪い事をしたわけじゃないのに」

「そうですね。迫害される者の末路として、フィーミア族の話は耳長のわたしたちにとっても他人事ではないのです」


 フエスが複雑に表情をしかめる。


「わたしたちも、このままでは姿を消してしまうかもしれない。そうならないように、歩み寄る努力を、わたしたちがしなくてはいけないと思い至ったのです」


「な、なるほど。でも可能な限りの物資の提供というのは、ちょっと、そこまでしてもらうのは申し訳ない気が」

「そうですか?」


「そうですよ。ボクたちなんかにどうして」

「どうしても何も、村を救ってくださったのはミレンギ様ではないですか」

「……うーん」


 フエスはそう言ってくれるが、そもそもあの森を戦渦に巻き込んだのは他でもないミレンギたちである。そのせいで魔獣の怒りを買ったのだから、むしろ耳長の人たちは被害者なのではないだろうか。


 結果的に彼らを助けることはできたけれど、それは決して誇れるものではない。


「そう言ってくれるんだから、素直に飲み込めばいいじゃない」


 渋面を浮かべてしまっていたミレンギをシェスタが諭す。

 フエスも、穏健にミレンギへ微笑んでいた。


「不思議なことにですね、普段は気難しくて面倒なおじいちゃん――あ、わたしたちの長老ハイネスも、余程ミレンギ様のことを気に入っているようでした」

「え、どうして」


 初対面のときも随分高圧的だったし、あまり言い印象を持たれていないとミレンギは思っていたので意外だった。


 耳長族といえば長らく人間たちから迫害を受けていた種族だ。そのせいで人間たちを「耳無し」と呼んで嫌っているほどである。


 そんな彼らの代表であるハイネスが柔和な態度を取るなど、聞いただけでは信じがたいものだった。


「なんだかミレンギ様が初めて村に来た時のことを、孫の話をするみたいに嬉しそうに話してくるのですよ。実の孫娘の前だっていうのに」


「そんなになんだ。なんか不思議だな」

「それだけミレンギ様に期待しているということです」

「……期待」


 そうか、とミレンギはその言葉を重く受け止める。


 人間だけではない。

 耳長の人たちの未来を拓くために、ミレンギは進み続ける必要がある。


「じゃあ頑張らないとね」


 シェスタに言われ、ミレンギは強く頷いた。


「わたしたち耳長族の幸せが、あなた方と同じ道程をたどりますように。心からお祈りしております」

「はいっ」





 それから王都を奪還するまで、フエスは定期的にシドルドを訪れるようになった。妹のヘイシャも一緒に来るので、その度にアニューが喜んでいた。


「いつの間に仲良くなったの、アニュー?」


 ミレンギが尋ねると、アニューはいたずらに笑んで「ひみつ」と返していた。


 手を繋いで遊びに出かける二人を見送りながら、シェスタがふと呟く。


「あの子、あんな風に笑う子だったっけ」

「きっとボクらが知らないうちにいろいろ成長してるんだよ」


 まるで娘を見守っているように、ミレンギは彼女たちを優しく微笑んで送り出していた。


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