-6 『謎の少女』
ミレンギたちは山道の途中にあった小屋で一休みしていた。
おそらく野獣を狩るために猟師が使用しているのだろう。藁や鍬、そして壁には弓がかけられている。何か食べ物がないかと探してみると、庇の下に干し肉が吊るされていた。
「悪いけれどいただきましょう。背に腹は代えられないわ」
ラランが全員に配り、ほんの僅かな干し肉を分けあって食べた。
「それにしても、この子はいったい」
ラランが、白銀髪の少女を見て尋ねる。
その少女は結局、逃げる間もずっとミレンギたちの後を付いてきていた。
わざわざ追い返す余裕もなく、気がつけばまるで最初から一員とでもいうように当たり前にミレンギの隣へ座っている。小動物のように、干し肉を両手に持ってがじがじと齧っていた。
「変な子よね」とシェスタも呆れている。
しかし彼女のおかげで関所を通過できたのも事実だ。強く言えず、歯がゆい思いをしているようだった。
「この子のことはボクにもわからないんだ。路地裏で出会ったんだけど、ボクたちが警ら隊に捕まったときに助けてくれて」
「まあ、そうだったのですか。ありがとうございます。お名前をお聞かせいただいてもよろしいですか?」
ラランが丁寧に言うが、やはり少女はきょとんとしているばかりだった。
「たぶん言葉がわからないんだと思う」
「あら。異国の子でしょうか」
「おそらくね」
しかし少女の挙動を見ていると、子供というよりも幼子といった雰囲気の方が強い。
「ねえ、名前は?」
ミレンギも駄目元で尋ねてみる。すると、
「……ない」と、確かに言葉が返ってきた。
「言葉がわかるの?」
「…………?」
また首を傾げてしまった。
けれども確かに意思疎通はできた、とミレンギは嬉しくなった。
名前がない、とはどういうことだろうか。さすがに親に名付けられなかったとは考えづらい。何か家の事情でもあるのかもしれない。
だがひとまず呼び名もなければ不便である。
今更この小屋に置いていけるほど、ミレンギは非情ではなかった。
「よし、決めた」
軽快に掌を打つ。
「ひとまず、君の名前はセリィだ」
「セリィ?」
アニューが不思議そうに返す。
少し離れたところで待機させているグルウに干し肉を持っていこうとした足を止めて、ミレンギの顔を覗き見た。
「古代竜言語で氷を意味する言葉だよ」
「アニュー、わからない」
古代竜言語というのは、ファルドに古くから語られる伝承に用いられる言葉だ。だが近世では忘れ去られ、それを知るものも少ない幻の言語である。ミレンギはそれが好きだった。
「ほんっとミレンギったら好きよね、古代竜言語っていうの」
呆れ口調でシェスタが言う。
しかし、敬語でない自分の言葉にはっと思い出したように「ごめんなさい」と謝った。
「いいよ、普通に話してくれて」
「しかし」
「正直、酒場でガーノルドにいろいろ言われたけれど、ボクとしてはやっぱり実感がないんだ。偉そうに扱われてもよくわからない。だって昨日まで普通に一緒に過ごしてたんだよ。それなのに、まるでボクが別人になったみたいにされて、それに――」
くぐもったミレンギの表情を見て、ラランは彼の頭をそっと撫でた。
「そうね。変に言葉遣いのせいでミレンギ様の身分がばれる心配もあるし、今だけは、元に戻しましょうか」
「ありがとう、ララン」
「ふふっ。いい子ね」
優しく微笑む『いつもの』ラランに、ミレンギは心底安堵した。それを見たシェスタが口を尖らせる。
「成人したくせにまだ甘えん坊の子供じゃない。ミレンギはどこまでいってもミレンギね」
「こらっ、シェスタ。不敬をしていいってわけじゃないのよ」
「……むぅ」
柔らかく怒るラランに、シェスタは不満そうにそっぽを向いた。そんな光景が愛おしくて、ミレンギは無邪気に笑っていた。
しばらくの休憩。
自然とみんなの肩から緊張が抜けていく。
「セリィ。キミはどこから来たの?」
「…………?」
ミレンギはふと尋ねた。
「やってきた場所だよ。町とか、国とか」
「……ばしょ?」
「うん。そう」
やはり言葉の意味を理解していて、ちゃんと会話ができるとミレンギは確信した。シェスタと関所を突破した時も、その指示通りにしっかりと動けていたくらいだ。となると、言葉を喋るのが苦手なのだろうか。聞きたいことは山ほどあるが、何から話せばいいかもわからない。
彼女の素性。そして氷柱の魔法のこと。気になって仕方がなかった。
と、急に小屋の戸が開いた。
もう追っ手がやって来たのかと、ラランが咄嗟に棍棒を構え、ミレンギたちも逃げる準備をする。しかし顔を出したのは、継ぎ接ぎのぼろい服を着た短髪の少年だった。
「なんだおめえら。うちの小屋でなにやってんだ」
どうやらこの小屋を持っている家の子らしい。
松明を片手に、ぼさぼさの髪を掻き乱して小屋の中を見やっていた。
棍棒をそっと置いたラランが前に出る。
「申し訳ありません。私たち、訳あって雨風を凌げる場所を探していたのです」
「雨風? そんならシドルドの町いけや。こんな山んなかの小屋いくよりいいだろうに」
「町に着いたのが夜だったもので、関所も閉じて、吊橋を上げられてしまっていたのです。ですが私たちはただの風来坊。無理を言って開けてもらえる様な力のある商人でもありません。仕方なく町に入ることは諦め、夜更けとともに次の町を目指そうと思っていたのです」
随分と能弁に嘘がつけるものだ、とミレンギは感心しながら聞いていた。実際、少年も疑うような素振りもなく「ふーん」と納得していた。
「そんじゃあウチにくればいいさ。こんな小屋じゃろくに寝れんだろ」
「いいのですか?」
「母ちゃんに聞いてみるさ」
「ありがとうございます」
ラランが深く頭を下げると、少年はまんざらでもない風に表情を緩め、どこかへと駆けだしていった。
「よかったの?」とシェスタが心配する。
「追われてるのよ。もっと遠くに逃げたほうが」
「夜の山道は危険よ。匿ってもらえるのなら、そこで一夜を過ごして明るい時に動いたほうがいいわ。それに体力だって消耗しているでしょうし」
ラランの言うとおり、ミレンギたちはすっかり疲労にまみれていた。
夕方には曲芸で体力を使い、それから休む暇もなく宴をして、突然の逃走劇が始まったのだ。追っ手から逃げている間は気にならなかったが、一度休んでしまうと、塞き止めた物が決壊したように疲労が押し寄せてきていた。
しばらくして戻ってきた少年に連れられ、ミレンギたちは小屋を出た。