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 魔獣使いアニュー 『まもりたいもの』

 彼らは人売りだった。


 王国政府の目の届かぬ地下暗部で人身売買を行う悪徳の売り手。話を耳にしたことはあるが、まさかこんな場所に実在していたとは。


「グルっ……」

「おっと。近くに保護者でもいたら面倒だからな。黙っててもらうぜ」


 助けを呼ぼうとしたアニューの口がふさがれてしまう。


 これではグルウにも声が届かない。

 魔獣の聴力は優れているとはいえ、かくれんぼで逃げるときに離れすぎた。


 もう駄目だ。

 ならばせめてヘイシャだけでも、こんな危険な連中から逃げられれば。


 そう思っていた矢先、しかし、物陰から顔を出して覗き込むヘイシャの姿を見つけてしまった。ここまで探しに来てしまったのだ。


 まだ男たちに見つかってはいないが、震えた様子でこちらを見ている。


 ――逃げて!


 叫びたくても声が出せない。


「…………んっ?!」


 ふと、アニューは血の気が引いた。


 覗き見るヘイシャの真後ろに、まるで彼女の倍はありそうな坊主頭の巨漢が姿を現したのだ。


 ヘイシャも気づいたが遅かった。

 その巨漢はまるで砂をすくうように容易く、ヘイシャの体を掴んで持ち上げてしまった。


「まだいたぞ。親分、こいつどうする」


 坊主頭の巨漢が抱え上げたヘイシャを見て、長身の男は眉を持ち上げた。


「こいつ、耳長じゃないか。森でもないのに出くわすとは珍しい」

「本当っすね」

「これは希少種だ。耳長の女子となれば高値がつくぞ」


「二人も買い取ってもらえやすかね」

「女ならば買い手はつくさ。それにルーンは人手を集めるために身寄りのない子を地下で買い取って兵士に育て上げていると聞く。最悪、そこに投げればいい」


「なるほど。頭いいっすね、親びん」

「当、然、だっ!」


 ふはははっ、と高笑いする外套姿の男たちの親分を横目に、アニューは巨漢に掴まれているヘイシャへ視線を送った。


 動けはしないものの無事のようだ。しかし表情は怯えきって、今にも涙を流しそうになっている。


 これでもよく耐えているほうだろう。

 ただ森で過ごしていた無垢な少女が出会うには刺激的すぎる危険だ。


 アニューのせいだ、と自責の念に駆られた。

 ここに来ようと言ったのはアニューだ。


 もちろん町の外は危険だってある。

 けれどグルウもいるし大丈夫だろうと高をくくっていた。


「お姉ちゃん……こわいよ、たすけて」


 巨漢の懐で、ヘイシャが心細く嗚咽を漏らす。

 彼女の白い柔肌に大粒の涙が零れた。


 そんな少女には目もくれず、男たちは機嫌よさそうに笑っている。


「はっはっはっ。これで我ら『儚き土竜の翼』も一躍有名処よぉ! 土竜のごとき、名声も天高く羽ばたくのだ!」

「親びん、土竜には翼がないので飛ばないっすよ」


「うるさいっ! 貴様は土竜をその目で見たことがあるのか」

「ないっす」

「ならば飛ぶやもしれんだろう。土の竜というのだから」

「そ、そうっすね」


 くだらない呑気な会話。

 緊迫した気分のアニューとは大違いだ。


 阿呆面を下げた彼らの隙をついて今すぐにでも逃げ出したいのに、その機会がまったく掴めない。


 眼鏡の痩せ男が縄を用意し始める。

 このままでは本当に売り飛ばされてしまう。


 ――せめてヘイシャだけでも。


 どうにかグルウを呼べないだろうか。


 そう考えるが、口は塞がれてまともな声を出せない。そのなすすべ無さに、最初は反抗的だったアニューの抵抗も陰りを見せ始めた頃だった。


『お前には戦闘は無理だ』


 ふと、昔にかけられたガーノルドの言葉が脳裏を過ぎった。


『向き不向きがあるのよ。諦めなさい』


 シェスタの声。


『ボクたちが守るから』


 守護すべき主のミレンギにすら言われる始末。


 結局、アニューは誰のためにもなれていない。


 いつもそうだ。

 いつも、アニューは自分ではなにもできないでいた。


 戦闘だってグルウに頼ってばかり。

 自分で誰かのために一生懸命になったことがなかった。


 それでいいのか。


 心が煽り立てる。

 部屋の中に篭り切りだった頃の小さなアニューが彼女を焚きつける。


 ――だからお前は弱いんだ。すぐにグルウの後ろに逃げる。


 人付き合いだってそう。

 本当は自分から子供たちの輪に入れる機会はあった。


 けれどずっと独りだったから、誰かに近づくことが恐くなっていたのだ。


 みんながアニューを避けていただけじゃない。

 アニューがみんなに近づかなかった。ただ、恐くて。


 誰かに状況を変えてもらえることを待ち続けた。

 けれど得ようともしないものが手に入れられるはずがない。


 それでいいのか。


 初めてできた友達を。

 やっとできた友達を守れない、そんないくじなしていいのか。


 ――よく、ない。


 だったら吼えろ。


 誰かに頼るな。

 グルウに頼るな。


 お前の力で友達を勝ち取れ。


「……うう」


 塞がれた口の隙間をどうにか開け、舌を突き出す。

 長身の男の掌の腹に舌先が触れ、男が「うわっ!」と思わず声を上げた。


 押さえつける手が一瞬だけ緩む。


 その瞬間、


「うあああああああああああああっ!」


 アニューは肺が破れそうなほどの声を上げた。

 それはまるでグルウの唸り声のような叫びだった。


 いや、魔獣と比べるにはあまりにか細い。

 しかし、その声には存分な気迫がこもっていた。


 そして怯んだ長身の男の手に噛み付く。


 所詮は女の子の顎の力。食いちぎれるほどの力はもちろん無い。

 だが、こと噛み付き方においては模範生となる家族がいる。


 噛み付いたまま犬歯を立て、捻るように顎を捻らせた。皮が千切れるほどの痛みに襲われさすがの男もたじろいでしまう。拘束が緩んだ隙を見て、アニューは身を屈めて脱出した。


「こいつ!」と再び伸ばしてきた男の手をかわす。

 地面の砂を一握りすると、ヘイシャを捕らえる巨漢の顔に向けて投げかました。


「ぐああ、目がっ」


 綺麗に砂が入った巨漢が苦痛に表情をしかめて膝をつく。緩んだ腕からヘイシャを引っ張り出した。


 決死の救出は成功。

 だが、これだけのことで、もうアニューの息は上がりきっていた。


 とにかくヘイシャを助けることに必死で後のことを考えていなかった。

 結局、身体こそ自由になったものの、また体制を取り戻した男たちに囲まれてしまう。


 それでもアニューは一切の表情を陰らせず、強い眼差しを向けて男たちを睨み返していた。


 友達を守る。

 そのひらすらの一心が、震えそうな彼女の足を強く立たせている。


「アニュー……」

「ん、大丈夫」


 何があっても優しく手を差し伸べてくれたこの少女だけは助けて見せる。


 怯えて後ろに隠れるヘイシャに優しく笑む。


「友達、大切。アニュー、助ける!」


 この命に代えてでも。

 そう思えるほどに大切な友達を守りたい。


 だから恐くても、逃げたりはしない。


「この餓鬼が! 俺たち『儚き土竜の翼』団に歯向かってただで済むと思っておるのか!」


 長身の男は相当に激怒している様子だった。懐に差していた剣を抜いた。


「暴れられんように足の腱を切る。なあに、多少歩けなくなっても商品としては問題ないさ。むしろそういう従順さを求める客だっている」


「親びん、無駄に怪我させると運ぶおいらたちが大変っすよ」

「うるさい黙れ」

「は、はいっす」


 鬼気迫った表情を浮かべる長身の男が剣を振りかざそうとする。


 ここまでか。

 アニューは唾を呑み込んだ。


 その瞬間、燦々と輝いていた頭上の太陽が大きな何かに遮られた。


 何事かと気付くより早く、長身の男の後ろにいたはずの眼鏡の痩せ男の姿が消えていた。


 その代わりにその場に佇んでいたのは、深紅の瞳をぎらつかせた一頭の獣。

 巨大な漆黒の体躯が、眼鏡の痩せ男をいとも簡単に踏み潰していた。


「なんだこいつは」と坊主頭の巨漢が驚きの声を上げたのも束の間、その獣はすかさず彼へと襲い掛かる。巨漢は篭手でどうにかそれを弾き返したものの、獰猛に唸り声を漏らすその化け物を前に顔を青ざめさせている。


「ぐるおおおおおおおおおおおおおっ!」


 力を誇示するような獣の咆哮。


 それに、意気込んでいた長身の男もすっかり怯み、掲げた剣が指から抜け落ちる。それが地に落ちた音にすら彼らは驚き、うろたえる悲鳴を漏らしていた。


「な、なんだこいつは。どうしてこんなところにこんな魔獣がいるんだ」

「知らないっすよ。早く逃げましょう親びん」

「そうだそうだ」


 先ほどの威勢などすっかり消え失せ、三者三様に声を震わせる。


 そして、


「すたこら退散だー!」


 そう言って長身の男は一目散に走って逃げ去っていった。


 眼鏡と巨漢も慌てて後を追う。


 気がつくと彼らの姿はなくなり、アニューたちはぽつりとその場に残されていた。


「……ふふ」


 奇妙な笑い声が漏れた。


 ヘイシャもきょとんとした顔でアニューの顔を見やったが、潤んだ瞳をぐっと拭うと、乾いたような笑顔を作って見せていた。


「ふふっ。ふふっ」

「あは、あははは」


 数秒ほど二人の単調な笑い声が続いたあと、


「「こわかったー!」」


 そう目一杯に叫んで抱き付き合ったのだった。


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