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 魔獣使いアニュー 『ともだち』

     ◆


「アニュー、そこのお皿を片付けておいてくれない?」

「ん」


 アニューが椅子に腰掛けて足をぷらぷらさせていると、鍋の前で夕飯の仕込をしていたラランに頼まれた。


 アニューは二つ返事で答え、洗い終わっている皿を厨房の戸棚へ片付けた。


「片付け、終わった」

「ありがとうアニュー」

「もっと、手伝う」


「大丈夫よ、疲れたでしょう。今日はもう休んでちょうだい。これ、グルウのお昼ご飯よ。持っていってあげて」

「ん」


 ラランからお肉などの食べ物が入った麻袋を受け取って、アニューは中庭へと飛び出した。


 グルウは官舎の中に入れないからずっと中庭にいる。


 ここに来た当初は、グルウを初めて見たシドルド兵たちがこぞって驚きの声を上げていた。今となってはすっかり見慣れ、グルウが大人しい子だと理解されてはいるが。


 中庭の片隅で寝転び、真っ黒な毛並み煌かせて日向ぼっこしていたグルウに駆け寄った。


 気付いたグルウが顔を持ち上げる。


「グルウ。いい子、いい子」


 頭を撫でてやると、ざらついた舌で顔を舐めてきた。


 この子はとても甘えん坊である。

 図体はアニューの背丈の倍以上あるが、これでもアニューと同じ十歳である。


 魔獣は人間と成長具合が随分違うらしい。


 だが、アニューからすればグルウは弟のような存在だし、きっとグルウもお姉ちゃんだと思ってくれているのか顔を摺り寄せて甘えてくる。


 頭を撫でてやると、ふさふさな尻尾を大きく振り、息を荒くして喜んでいた。


 かわいい。

 世の中のどんな愛玩動物よりもグルウは愛らしいと、アニューは自負する。


 ラランにもらったお昼ご飯をグルウに差し出してやると、とても良い食いつきで一瞬で平らげてしまった。


 さて、今日はなにをしようか。

 厨房でのラランの手伝いも終わった。他にアニューの仕事はない。


 いつも夕飯までの余った時間はグルウと遊んだり、お昼寝をしたりして時間を潰している。


 今日はいい陽気だ。

 日差しも柔らかく、グルウの漆黒の毛も丁度いい具合に温まっている。


 けれど残念ながらあまり眠たくない。

 それなのにグルウは随分心地よさそうに寝息を立てていた。


「むう。ずるい」


 グルウの引き締まった分厚い身体にもたれかかってみても、冴えた目はまったく閉じる気配もなかった。


 夕飯の配膳の手伝いまでまだまだ時間がありすぎる。

 持て余した時間をどうしたものか。


 遠くから剣戟の音が聞こえてくる。

 ミレンギたちがアドミル兵と訓練している音だ。


 アニューは戦場には出るが、非戦闘員である。


 グルウに言うことを聞かせるために同行しているだけだ。普段は利口なグルウだが、戦闘になると血の気が多くなるため、自制させて指示を出すためにアニューが必要だった。


 だからアニュー自身は訓練をしていない。


 ミレンギやシェスタが汗を流しているのを見るたび、アニューはそれが羨ましくて仕方がなかった。


 姉のような戦いに恵まれた身体になりたかった。

 ミレンギのように才能資質に溢れる生を受けたかった。


 そうすればアニューだって、誰かに必要とされたのに――。


「お前には戦闘は無理だ。剣を持つことすら難しいだろう」


 かつてガーノルドにそう言われた。


「向き不向きってものがあるのよ。アニューは戦いには向かなかったってだけ。だから諦めなさい」


 そうシェスタも言っていた。


「何かあったらボクたちが守るから大丈夫だよ」


 ミレンギは優しく気遣って言ってくれる。


 けれどそれは、アニューの心を剣で突き刺すような、棘のある言葉だった。


 結局、アニューは訓練への参加を許されず、厨房などの手伝いをするのが普段の仕事になっていた。


 呆けた顔で空を見ながら悩んでいると、ふと遠くに、数人の子供たちがはしゃぎ合って遊ぶ声が届いてきた。


「おい待てよー」

「きゃっ、鬼だー」

「絶対に捕まるなよー」

「くそー待てー」


 無邪気な笑い声。とても楽しそう。

 アニューはその声から耳を塞ぐように、グルウのお腹に深く顔を埋めた。


 グルウがそっと、心配するようにアニューの顔を舐めてくる。頬が温かい湿り気を帯びた。


「別に。羨ましい、違う」


 また優しく舐められた。


「グルウ、いる。アニュー、寂しくない」


 ずっとアニューはグルウと一緒に育ってきた。


 彼女が生まれたのはちょうど、前王の崩御によってガーノルドが王都を去った頃だった。連れ立った彼の妻はそれからすぐに逝去し、シェスタとアニューを遺していった。


 ガーノルドは前王系の派閥をまとめることに忙しく、シェスタは突然もらわれてきたミレンギという子どもの相手ばかりをしていた。


 アニューはまるで、誰からも相手されていなかったように思う。


 もともと未熟児として生まれ、身体が弱くてずっと部屋の中で過ごしていたせいもあるだろう。


 四六時中窓の外を眺めていたアニューに、ガーノルドはある日、幼い魔獣を与えた。それは彼が以前に任務で遠方の村を襲った獰猛な魔獣を退治した、その子であった。


 殺処分される予定であったその子を、アニューへのご機嫌取りとして極秘に持って帰り渡したのだ。


 結果、アニューはグルウと常に一緒に生活し、話し相手や遊び相手となり、本当の兄弟のように育った。


 おそらく実姉であるシェスタよりも絆は強い。

 だけど逆に言えば、アニューの強い絆はグルウくらいなものだった。


『あいつ、いつも化け物と一緒にいるよな』

『恐くて近づけないよ』


 周りの子供たちはみんなグルウを――そしてアニューを恐れた。

 魔獣とは、本来は人間に恐れられる存在である。人里を襲う猛獣である。


 そんなものと一緒にいるアニューをよく思う者は少なかった。

 だから、アニューはこれまで同年代の子と遊んだことがなかった。


 人肌が恋しい年頃に魔獣としか触れ合えなかったのである。


 家族は優しいから好きだ。

 ガーノルドも好き。シェスタや、ミレンギも。


 アニューを普通の子として見てくれる人はみんな好きだ。

 けれど、隣に寄り添ってくれるような、大切だと思える『友達』はいない。


 それはきっと、アニューが弱いから。

 恐いことがあるとすぐにグルウの後ろへ隠れてしまうから。


 またグルウが頬を舐めてくる。

 独りぼっちの心は、いつもグルウに助けられてばかりだ。


「……いい。大丈夫」


 一つ覚えのような強がりはもう何百回目だろう。


 どうせアニューにはグルウしかいないのだ。

 そう、心虚ろにグルウの毛の中へ身体ごと埋もれようとした時だった。


「すっごおおおおおおおおい!」


 耳を劈くほどの大声に、アニューとグルウは同時に顔を持ち上げた。


 気付けば、すぐ近くに外套を深く羽織った少女が立っていた。

 アニューたちを見て、その華奢な腕を天高く持ち上げていた。


 ――なに、この子。


 それがアニューの率直な感想だった。


 見知らぬ子だ。

 声からしておそらく女の子だろうか。しかし外套のせいで顔もわからない。


 だがその少女は明らかに声を高揚させ、アニューたちを見ているようだった。


「ねえ、触ってもいい?」


 弾んだ声で尋ねてくる。

 その勢いに、アニューは思わず頷かざるをえなかった。


「わーい!」と少女は駆け寄り、グルウのお腹に飛び込んだ。


 弾みで頭の外套が外れる。

 アニューの眼前に、陽光を反射した眩しいほどの金色の短髪が広がった。


 つぶらな碧い瞳。

 そして、とんがった長い耳。


「あ、森の……」


 そこにいたのは、静寂の森に住む耳長族だった。


「なんで」

「お姉ちゃんが勇者様に用事があるんだって。私はその付き添いなの」

「へえ」


 耳長の少女は満面の笑みでグルウの身体に抱きついていた。

 勇者様、というのはミレンギのことだろうか。


「この子、すっごく気持ちいいー」


 ご満悦といった至福の顔をしている。


 しかし抱きつかれたグルウは困った風にアニューを見ていた。

 押し退けて良いのか、このままの方がいいのか悩んでいるのだろう。


 グルウだって、アニュー以外にこれほど触られたのは初めてだった。


「……まて」


 アニューの指示に、グルウは残念そうに顔をうな垂れさせた。


 その間も耳長の少女は、毛に顔を埋めたりお腹を擦ったり好き放題している。

 よしよし、と少しも恐れている様子はない。


「……こわく、ない?」


 思わずアニューは恐る恐る尋ねていた。

 しかし少女はけろりとした顔で首を振る。


「え? 全然だよ。すっごく可愛いー」

「そう」

「いいなー。もふもふ。ずっと触ってたいな」


「……いいよ。もっと」

「本当?!」


 少女は嬉しそうに喜んでまだグルウに抱きつく。

 くーん、とグルウがか細く鳴いて助けを求めてきたが、お尻を撫でてなだめておいた。


「お名前は?」


 少女が尋ねてくる。


「この子、グルウ」

「違うよ。そっちもだけど、貴女の」

「え……あ……」


 予想外だった。

 興味を持ったのはグルウだけだと思っていたから油断していた。


 言葉の用意を忘れ、つい口篭ってしまう。


「私はヘイシャっていうの。森に住んでるよ」

「…………アニュー」


 ようやっと吐き出せたと思ったら、ヘイシャと名乗った少女は、アニューの手を取って顔を近づけてきた。


 息が当たるほどに近い。

 これほど誰かに近づかれたのは初めてだ。


 つい目を背けてしまう。

 緊張で背筋に大量の汗が流れ落ちた。血の気が引いてしまいそうだ。


 けれど顔は熱くて、青ざめているのか、紅潮してしまっているのか、自分ではよくわからなくなった。


「アニューちゃん。よろしくね」

「アニュー、で、いい」

「わかった。じゃあ、私もヘイシャでいいよ」


「……ヘ、ヘイシャ」

「うん!」


 アニューの声に、ヘイシャはとても気前よく笑って頷き返してくれた。


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