不思議な少女セリィ 『少女のはらぺこで退屈な一日』
――それは、王都が『アドミルの光』によって陥落する少し前の、シドルドでのお話。
「……おなかすいた」
ぐるるるるるる、と可愛らしい腹の虫を鳴かせながら、セリィは真っ青な空を仰いだ。
昼下がり。
つい一時間前にお昼ご飯を食べたばかりである。
けれども、お腹の虫は黙ってくれない。
「おなかすいた」
また一声。
しかしそんな彼女の呟きを聞く者は誰もいない。
ミレンギはシェスタやアドミル兵たちと剣術の稽古。ラランは書庫の整理。アニューはグルウと一緒に外へと遊びに行った。生真面目すぎるアイネは反応が面白くないし、ハロンドはいつも汗臭いから近づきたくない。
結局、セリィは独り、官舎の庭先の木陰でぼうっと座り込んでいた。
退屈だ。できることならミレンギといつも一緒にいたいけれど、稽古の時は邪魔になるからとシェスタに禁止されている。
ならばすいたお腹をどうにかしたいけど、勝手に厨房に入ったら今度はラランに怒られる。
「おなかすいた」
また空しく腹の虫が鳴り、セリィは呑気な欠伸と共に涙を流した。
このままでは退屈と空腹で死にそうである。
頭上では小鳥たちが楽しそうに円を描いて飛び回っていた。
空を飛べば楽しいだろうか。一度も飛んだことのないセリィにはわからない。
「……っふぁ!」
セリィの手元のすぐそばに糞が落ちてきた。
さすがにこれは美味しくないとわかる。臭いが鼻に届き、顔をしかめた。
「おなかすいた」
どろどろと臭いを放つ糞から逃げるように、セリィは立ち上がって駆け出した。
しかし困ったことに行く宛てがない。
作業の邪魔をすると怒られる。
厨房でつまみ食いもできない。
どうしたものかと悩みながら足先を迷わせているうちに、いつの間にかシドルド有数の商業通りに足を踏み入れていた。
服屋や鍛冶屋、宝石屋、質屋まで。
この町の様々な職人達が店を開いている場所だ。
露天商が並ぶ大通りほどではないが、それなりの人が行き交って賑わっている。
「おなかすいた」
漂ってくるのは金属が焼けたような臭いばかり。これでは空腹も満たせない。
どうせならお肉が食べたいけれど、ミレンギから貰ったお小遣いも残り少ない。ぼろ布の服が安売りされているが美味しくないから食べたくない。
やはりお肉が恋しい。
どうしたものかと困り顔で歩いていると、不意に背後から声をかけられた。
「あれ、きみー。たしかセリィちゃんだっけー」
ふと振り返ると、よくミレンギと話している商人の少女がいた。
「えっと……ミケ?」
「ミケットだってば。今日は独りなのー?」
「うん」
セリィは頷いた。
どうやらミケットも独りのようだ。
今日は仕事着の外套も羽織っておらず、活発な彼女らしい丈の短い上着と半ズボンという薄着姿だった。
「こんなとこに独りなんて珍しいねー」
「困ってる」
「困ってる? 何かあったの?」
そっと歩み寄り素朴に疑問を投げかけてくるミケットに、セリィがぐだりともたれかかる。そして腹の虫を短く鳴らすと、
「……はむ」
ミケットの柔らかそうなほっぺを甘噛みした。
「うわああっ。なにするのさー」
「おなかすいた」
「ええっ?! ああ、そういうことかー」
セリィを引き剥がしながらミケットは苦笑した。
「じゃあ何か食べればー?」
「お金がない」
「それは大変だねー」
セリィがまた噛み付こうとするのをミケットが手で制止する。大福のようで美味しそうなのだ。
ふと、ミケットは手を叩いて目を見開かせた。
「そうだ。それじゃあ一緒に食べて歩こうよ」
「え?」
「ちょうどあたし非番だったんだー。退屈しのぎに付き合ってー」
「つきあう?」
「うん。美味しいもの食べさせてあげるからさー」
「いく!」
甘い言葉に絡めとられ、セリィはあっさりと頷いたのだった。
棒に巻かれた肉を頬張りながら、セリィはご満悦に表情を砕いた。
露店の店先で炭を燃やして直火焼きしていたものだ。誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、香ばしい臭いにつられてセリィは引き寄せられていた。
「ありがとう、ミケ。お金出してくれて」
「いいのいいのー」
後で王子くんに請求しとくから、とミケットが小声で呟く。
セリィは首を傾げるが、ミケットに「なんでもない」とはぐらかされた。
「ミケ、思ってたよりいい人」
「どんな風に思ってたのさー。いや、まあ商売人にいい人なんてそうそういないけどさー」
「そうなの?」
「みんなこわいよー。すぐにこっちの腹の内を探ろうとしてくるからねー」
「お腹の中を触られるの?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
とっさにお臍を押さえるセリィに、ミケットは呆れた風に苦笑していた。
ミケットが買ってくれた棒巻きのお肉は黒胡椒の強めなぴりりと辛い味付けだったが、セリィはあっという間に平らげてしまった。
けふっ、と膨らんだ腹を摩りながらセリィが息を吐く。それを微笑ましく眺めていたミケットが、彼女の手が空いていることに気付いた。
「あれ、刺さってた串はー?」
「え? 食べた」
「食べた?!」
「うん」
ミケットの目が飛び出そうなほど見開いた。
「食べれる串だったのかな? そんなのあるの? ええ、なんだったんだろ」
「美味しかったよ?」
「そ、そうなんだー」
ミケットは呆気にとられた顔で口を開けていたが、次の瞬間には首を振るって表情を改めさせていた。
「ま、とりあえず腹ごしらえは終わりだねー。じゃ、今度はあたしの暇つぶしに付き合ってもらうよー」
気を取り直してミケットがそう声を弾ませる。
――ぐう。
「おなか、すいた?」
今度はミケットのお腹が鳴り、またさっきの棒肉屋に駆け戻ったのだった。
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