-11『末路』
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「報告です!」
城内の私室で葡萄酒を片手に女をはべらせていたクレストの元に大慌てで兵士が飛び込んできたのは、開戦の知らせを受けてから数時間が経った頃だった。
ほどほどに酒が回り、侍女の尻を眺めて悦に浸っていた彼は、水を差してきたその兵士に苛立ちの顔を向けた。
「汚い声で私の部屋を汚しおって。どうした。連中の鎮圧を終えたのか」
酒を口に含み、口許を緩めて女の尻を触ろうとしながら耳を傾けるクレスト。しかし、彼に返ってきたのは予想外の言葉だった。
「いえ……騎士団長グランゼオス様が、討たれました」
「……は?」
クレストは助平の手を止め、阿呆面を浮かべて兵士を見やった。
「いま、なんだと?」
「反乱軍はグランゼオス様を倒し、ふもとの城門を突破。現在残された騎士団兵と警備兵が侵攻を阻んでおりますが、なにぶん騎士団兵たちの士気は下がる一方で。指揮系統も混乱し、現在部隊の再編成を急がせています」
「なにをふざけた報告を……」
信じがたい報告だった。
酒を飲みすぎたのだろうか。
いつの間にか眠ってしまっていたのかもしれない。
そう現実逃避をしてしまうほど、自らの置かれている状況を理解するのに時間を要した。
「グランゼオスがやられただと? いったいどういうことだ。奴はそうそうやられるような男ではないだろう」
そう激昂するクレストの言葉は、驕りでも何でもないはずだった。
事実、彼がいれば反乱の鎮圧など容易であると思っていたし、これまでも野盗や反乱を企てる不穏分子などの討伐を苦もなく完遂させた実績だってあった。
だから今回も大丈夫。反乱軍は少し調子に乗ってはいるが、結局はグランゼオスによって討伐される。テストでのガーノルドの討死こそその証左であると、クレストは――いや彼だけじゃない、臣下の誰もが思っていたことだ。
しかしグランゼオスという主軸がなくなった騎士団は、最初こそ反乱軍を包囲して優勢でいたものの、騎士団長を失った動揺などから瞬く間に崩壊していったのだった。
「くそう。こんなはずではなかったのに」
クレストは苛立った形相で唇を噛み締める。
「おいお前。ルーンへ出向いている兵を一刻も早く戻らせろ」
「で、ですが前線からですと二日はかかりますが」
「そんなことわかっておるわ。本隊が戻ってくるまで私は雲隠れする。お前たちが奴らを引きとめている間にさっさとここから出るのだ」
苛立ったクレストの声に、報告に来た兵士は大慌てで部屋を出ていった。
「とにかく生きながらえでもすれば機はある。なにしろ私にはジェクニスの後押しがあるのだから」
下卑た笑みを浮かべ、ようやく心を落ち着けた風に女の尻を触る。
「おい、誰かおらんのか! 仕度を手伝え!」と怒鳴るように従者を呼んだ。
だが臣下が彼の元にやって来る気配はなかった。
その代わりとばかりに、装飾のなされた大きな扉が蹴り飛ばされるように激しく開いた。そして中に雪崩れ込むように入ってきたのは、執事服の従者でもなく、白銀輝く鎧を纏った騎士団兵でもなく、粗野な格好をした雑兵だった。
「はん、らんぐん……。もうここまで来たのか」
クレストは驚愕した。
そして、自らの窮地を悟った。
反乱軍がもうここまでやって来たのだ。グランゼオスが死んだことも事実であり、自分がいつの間にか追い詰められていることも白昼夢ではない。
やっと現実味が湧き出て、冷や汗が背筋を伝った。
べとりとした唾が喉に絡みつく。尻を振っていた女は部屋の隅に逃げ隠れてしまっている。もう何も、クレストを守るものはなかった。
今にでも、反乱軍の雑兵たちは鬼の首を取るとでもばかりに飛び掛ってきそうなほど息巻いている。
「ま、待て。それほどの意気込み、褒めてつかわそう。その尽力を我がファルドのために使う気はないか? なんでもお前たちの望みを聞こうではないか。何が欲しい。金か、領地か」
「そういう話ではないんですよ」
クレストの言葉に、冷たさを孕んだ声が返ってきた。
その持ち主であろう少年が、反乱軍の兵たちを掻き分けてクレストの眼前に姿を現した。まるで少女のようなあどけない子ども。だがただの子供ではないと、その立ち振るまいからわかる。
「初めまして、クレスト王。私は『アドミルの光』にて軍師として働かせていただいている、アイネと申します。いや、丁寧な自己紹介なんて必要ありませんね。別にここは謁見の場でもないのですから」
「軍師、だと。こんな子供が」
「なんとでも囀っていてください。ですが、この状況をよく理解した上で発言なさったほうが良いと思いますよ」
アイネと名乗った少年軍師が、余裕の表情を見せながら周囲の兵たちに目を配る。
完全なる包囲。逃げるための扉は彼らの後ろにしかない。
ここは王城の中でも上階に位置する部屋だ。窓から飛び降りるのも不可能であった。
まさに絶体絶命。高みでの見物をしていたはずのクレストが、その数分後には、こうして剣をつきたてられる無様を曝していた。
そんな中、少年軍師に続いて部屋に入ってきた男が一人。服は返り血を浴び、切っ先の折れた剣を片手に持った少年だった。
クレストは直感した。
「お前が前王の子を騙る外道か。たしか、ミレンギと」
精一杯の強がった嘲笑を向ける。
だが、その少年は少しも気に留める様子なく言った。
「聞きたいことがあります」
「なんだ」
「父さ……前王を殺したのが貴方だっていうのは本当ですか。忠臣だと信じられていたのに、それを裏切って謀ったというのは本当ですか」
「何を言うか。そんなこと嘘に決まっているだろう。死ぬ間際も前王は私を信頼されておったわ。その証拠に、私を後継にするという勅印の入った遺言書を授かっておるのだぞ」
ふふっ、とアイネが声を漏らして笑んだ。
「それ、随分と用意がいいと思いませんか。前王は亡くなる直前まではご健康であったという話です。それから急病を発して亡くなられたにしても、そんな遺書を残す暇などあったのでしょうか」
「それは、いつ自分が病に伏せても良いように、事前に筆をしたためていたのだろう」
「なるほど。まあその可能性も否定はしきれませんね」
「であろう?」
「そのために少し確認をさせていただきましょうか」
アイネが合図をすると、アドミル兵たちは一斉にクレストへと歩み寄った。殺されるのかと震えて身構えたが、しかし彼らが寄ってたかったのは、クレストではなく彼の机であった。他にも近くの棚などを開け、中を物色しはじめていた。
「お、おい。何をしている」
「確認ですよ。念のため、念のため」
こめかみに汗を流すクレストに、アイネは穏やかに微笑んで言う。だがその顔は、ある兵士が机の引き出しから見つけた『もの』によって、愉悦に富んだ笑顔へと変わっていった。
「どうしてこんなものがあるんでしょうねえ」
アイネがふざけた調子で言う。彼は兵士からその『もの』を受け取ると、掲げるようにクレストへと見せた。
それは、空色の鉱石で作られた、上部に竜を模した彫刻が施されている印であった。しかしただの判子ではない。それは前王ジェクニスの名が入っている勅印だった。
「本物の勅印は、権力の乱用を防ぐために前王のご遺体と共に火葬されたと聞きます。そんなものがここにあるはずがない。いや、よく見るとこれは竜の装飾も細部がおざなりだし、おそらく素材も安物の鉱石を使っているようです。こんなものが勅印であるはずがありません。これ、偽者ですよね?」
「な、何を言って――」
「これを使って偽の勅令状を作り、貴方を無理やり後任に指名させた。そういうわけですね」
「……それは」
クレストは言葉に詰まる。
その歯切れの悪さが、自ずと回答を示してしまっていた。
偽者の勅印を作り、民を騙した。
このファルドは前王に絶対の忠誠を誓う者ばかりである。彼の生前の勅令とされたからこそ、遠縁の血筋程度でしかないクレストが王の座に着くことを民も許した。それが作られたまやかしであるとも知らずに。
偽者の勅印は粗い造りではあるが、押し印の部分だけは非常に精緻に掘られている。よほど時間をかけてこしらえさせたのだろう。おそらく、前王を謀る遥か前から。
「やっぱり貴方が前王を殺したんだ」
ミレンギが語気を強めてクレストを睨む。
前王を崇拝していた全国民を裏切るような行為。
他のアドミル兵たちも、蔑むような視線を向けていた。
「どうしてそんなことを。せっかく平和に統治されていたのに。貴方が前王を謀ったせいで、この国は争いが絶えなくなったんだ」
「賢王を殺すとは。いったいどんな風に気を違えたのか」
呆れた風に言ったアイネに対し、しかしクレストは机を強く叩き、血管が浮き出るほどに激昂して返した。
「賢王だと? ふざけるな! あいつはこの国を売ろうとしたのだぞ!」
「え?」とミレンギとアイネの疑問符が重なった瞬間だった。
「――ぐはあっ!」と、唐突にクレストは呻き声を上げ、吐血した。自分でも何が起こっているのかがわからなかった。
やがて、己の身体に巨大な杭のようなものが刺さっていることに気付いた。そのやや薄く碧がかった半透明の杭は瞬く間に消滅し、空いた穴から大量の血が噴き出る。
その場にいた全員が驚愕して動けないでいる中、クレストは、部屋の入り口に身を潜ませるようにして隠れ佇んでいた外套の人影を見やった。
大量に出血し、体が重く動かない。それでも、まるで届かないとわかっていても、その外套の人影に手を伸ばそうとする。
「……私を、見捨てるのか」
そう呟く。しかしそこで気力は事切れ、そのまま前のめりに床へと倒れこんだのだった。
「……っ! 誰か、そこの男を捕らえてください!」
気付いたアイネが咄嗟に指示をする。
あの外套の人物の魔法だと察したのだ。
しかし指示を受けて兵達が動き出したころには、すでにその外套の男の姿はどこにもなかった。
大慌てでアイネはクレストに駆け寄った。
「死んではいけません。貴方にはまだ、前王殺害の件で聞かなければいけないことがたくさんあります」
「む……だ、だ」
「誰か治癒魔法を使える人はいませんか。いないのですか? それなら止血用の布です。大至急」
アイネがそう叫ぶが、クレストの傷は見るからに致命的なものであった。それをアイネも理解しているのだろうが、それでも、クレストを助けようとしていた。
ミレンギが自分の上着を差出し、それを巻きつけてアーセナのときのように止血をしようとする。だが今度ばかりは傷口が大きすぎてまるで意味を成していなかった。
やがてクレストの四肢から力が抜け、指先がしな垂れた。
あっけない結末。
――こうして、現ファルド王クレストはあっさりとその命に幕を引いたのだった。
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