-6 『開戦』
行商人に扮したミレンギたち先行隊は、つつがなく王都前の橋にまでたどり着いた。道中は雨脚も強かったが、通商連合の外套は撥水性もよく、不自由なく歩くことが出来た。
アドミルの本隊は後方、関所からは見えない稜線の向こうに隠してある。いざ戦闘が始まってミレンギたちが陣内を掻き回すと同時に全速力で進軍する予定だ。
通商連合のミケットを先頭に、関所となっている橋を前に足を止めた。いつの間にか雨はやみ、西の空には晴れ間も見え始めている。
「どうもー。通商連合です」
槍を構えて佇んでいた衛兵の一人にミケットが挨拶をする。
彼女の顔を見た衛兵は、うげっ、とあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。
「またきみか。騒がしいやつが来たな」
「こんにちはー。王都への物資搬入ですよー」
気前よく接するミケットの後ろで、ミレンギたちは外套を深く被り、荷馬車をそれぞれ取り囲む形で控えている。
「今日は随分と人数が多いな。いったいどうしたんだ」
当然ながら怪しまれている。
いつアドミル軍が南下してきてもおかしくないこの状況で、素通りできるはずもない。
不審がって後続のミレンギたちの顔を覗こうとして衛兵を、しかしミケットがすかさず視界を遮り話を続けさせた。
「どうしたってこっちが聞きたいよー。北には反乱軍がいるでしょ。そのせいで警ら隊もいなくなったし、周辺の治安も悪くなっちゃってさー。聞いた? シドルドの東で野盗が現れて行商人を襲ってるって話」
「あ、ああ。そういえば耳にしたことがあるな」
「それのせいであたしたち通商連合も大打撃でさー。仕方なく、人を増やして積荷を護るようにしてるんだよ」
「……そ、そうか。大変だな」
すらすらと出てくるミケットの方便に、衛兵は信じることを強要されて思わず呑み込んでしまったように頷いていた。
実際、ミケットの話には一部真実が混ざっているだろう。とはいえここまで都合よく嘘を用意できるとは。少しでも疑問を抱かす前に情報を羅列させ、納得させようとする。さすがの商売人とでも言うべきか。
腑に落ちきらないところがあったかもしれないが、結局衛兵はまんまと信じてしまったようで、あっさりと警戒の様子を解いていた。
「とにかく、積荷の確認だけはさせてもらうぞ」
「えー、するのー?」
「当然だ」
「えっち」
子供のような――いや、実際子供だが――下らない茶化しを笑って受け流しつつ、衛兵は他の兵を呼んでミレンギたちの荷馬車の周りを取り囲んだ。
ミレンギたちに緊張が走る。
いつ行くか。まだ駄目か。
事を急いては仕損じる。ここは確実に行かなければならない。
全員が、互いに目配せをして機を計る。
積荷はミケットたちのちゃんとした商品ばかりだ。怪しまれる点はない。衛兵たちはどうやらまだミレンギたちに気付いてはいないようだった。
ひとまずは順調。この後、どうにかしてこの関所を混乱させ、後続の味方を招き入れなければならない。
だが、そこに一つの問題が残っていた。
関所を訪れる前に、斥候に出ていた兵から緊急の報告を受けたのだ。その内容は単純であった。
『関所のすぐ真後ろに赤色魔道騎士隊の姿あり』
――赤色魔道騎士隊。
それはかつてアーセナが率いていた魔法部隊だ。
静寂の森でミレンギたちも一度は交戦している。
彼らの持つ攻撃魔法は優に辺り一帯を燃やしつくすほど強力である。
アーセナ解任によってミレンギたちにはその存在を把握できていなかったが、またもや大きな障害となって立ち塞がることとなったのだ。
関所に押し寄せたところを、もしくは無理やり渡河しようとしたところを、魔法でまとめて薙ぎ払うつもりなのだろう。
「平原ならともかく、味方の多い関所内ならば彼らも迂闊には撃てないはずです」というアイネの算段通りになればいいのに、とミレンギは内心で祈っていた。
あとはいかに早く魔法部隊を無力化できるか。それによって被害は大きく変わるだろう。
「これは……香辛料か」
「見たらわかるでしょー」
一つ目の荷馬車が確認される。荷台の天幕をめくり、中に詰まれた木箱の中身を確かめているようだ。すぐに二つ目に取り掛かる。
と、その二つ目の荷馬車の傍にいたミレンギに、ふと兵士の一人が近寄った。頭を垂れるミレンギの耳元で、その兵士がそっと囁く。
「ミレンギ様ですね」
「――っ?!」
ミレンギは思わず反射的に顔を持ち上げ、その兵士と目が合ってしまった。
見知らぬ男だ。
だが何故彼は知っているのか。
いや、それよりもあっさりとバレてしまった。その事実に驚きを隠せなかった。
ミレンギの背に冷や汗が流れる。
気付かれた以上すぐに攻撃するべきか。
次の瞬間には捕らえてくるかもしれない。
しかしあまりにも距離が近すぎる。まだ武器だって手にしていないのにこの兵士に勝てるのか。その逡巡に迷う僅かな合間に、しかしその兵士は言葉を続けた。
「赤色魔道騎士隊は予想だにしない方向からの敵の奇襲を受け再起不能。北東の方角へ撤退します」
「え?」
兵士はそうとだけ言い残し、二つ目の荷台の検査が行われている中、すっと姿を消した。
いったいなんだったのか。
ミレンギの焦りが空回り、無駄に心労が重なった気分だ。
兵士たちは二輌目の確認も終わり、最後尾の三輌目に取り掛かり始める。天幕をめくり、中に手をまさぐった。だが、手を入れた兵士の顔が怪訝に歪む。
「なんだ、これは……絨毯か?」
手だけを入れて、手触りだけで判断しているのか。
「いや、しかし絨毯にしては毛先も固いし、なんだか温かいような――」と疑問を口にした瞬間だった。
『ぐろおおおおおおおおおおおおおっ!』
まさしく獣の激しい雄叫びが荷馬車の天幕から響いたかと思うと、その木組みをぶち壊し、中から巨大な魔獣――グルウが勢いよく飛び出したのだった。
「な、なんで……うわあっ!」
検品で撫でられていたお返しとばかりに、グルウが兵士に飛び掛る。漆黒の体躯で素早く襲い掛かると、彼の身体を無残に噛み千切った。
兵士の断末魔が開戦の狼煙と成り代わる。
ミレンギたちは急いでグルウの乗っていた荷馬車に駆け寄ると、それぞれの自前の武器を手にとって臨戦態勢に入った。
シェスタは篭手、ラランは柄の長い槍、ハロンドは大振りな斧、アニューはグルウの上に跨り、ミレンギも剣を手にする。アイネは後方に下がって指示を飛ばす。
「こいつら、まさか反乱軍の!」
そう最初の衛兵が気付いた時には、周囲で荷馬車を物色していた数人の兵士たちは皆、ミレンギたちによって制圧された後だった。
「通商連合め。まさか奴らの肩を持ったのか」
「そーゆーことー」
にまり、とミケットが敵兵の目の前で不敵に笑む。そして流れるような手つきで腰に隠した短剣を抜き、衛兵の首元を鮮やかに切り裂いた。
「ごめんねー。これもお仕事だからさ」
ミレンギは自分よりまだ子供であるミケットを庇おうと初めに動いていたが、まったく問題ないようであった。
とても素人とは思えない短剣捌き。
さすが通商連合の人間として商売をして回っているだけのことはあるという訳か。見た目だけでは判断できない底知れない子だ。
「あたしのことは気にしなくていいよー」と気楽に言うミケットに、ミレンギは頷いて、関所の奥にいる他の駐屯兵たちへと向かった。
彼らは騒ぎには気付いていたものの、アドミルの襲撃とは思っていなかったようだ。火薬を謝って爆発させた程度にしか思っていなかったのか、彼らは鎧こそ着ていたものの、ほとんど丸腰状態だった。
ミレンギたちはうまく不意を突く形で関所内の駐屯所に乱入できた。
ラランが巧みな槍術で敵を捻じ伏せては、シェスタの渾身の掌底打ちで鎧の上から敵を吹き飛ばす。アニューの指揮するグルウがその獰猛な爪と牙を輝かせて兵士達に飛び掛り、恐れをなして怯んだ者にハロンドが斧で兜割りを見舞う。
残った他のアドミル兵たちも、槍や剣で王属兵たちを薙ぎ倒していった。
一瞬の出来事に場はすっかり混乱していた。
駐屯兵たちの指揮系統などあってないようなものである。
「魔法部隊を呼べ! 赤色の奴らだ! ここは絶対に通してはならん。残された者などかまわず攻撃させろ!」
兵の誰かがそう叫ぶ。なんと無慈悲な残酷さか。
ファルドの誇る赤色魔法騎士隊の爆発魔法にミレンギたちは警戒をしたが、しかししばらくしても、その攻撃が行われる気配はなかった。
ミレンギの脳裏に、先ほどの兵士の言葉が過ぎる。
魔法部隊の撤退。
「まさか本当に」
ミレンギが疑うよりも、駐屯兵たちの戸惑っている様子からして真実は明らかだった。
「魔法部隊はどうしたんだ!」
「わかりません」
「どこにも見当たりません」
「なにやら敵の攻撃を受け壊滅したと報告が」
「なんだと?!」
敵側に様々な声が飛び交っている。
もちろんミレンギたちはそんな襲撃をしてはいない。
思えば赤色魔道騎士隊はアーセナが従えていた部隊である。
関係があるかはわからないが、ミレンギはアーセナに感謝した。
彼女の人徳か、それともミレンギが彼女を助けたことを知っての恩返しか。事情は不明だが、今はこの好機を生かすほかない。
「このままこの拠点を制圧する。敵を一掃するぞ!」
ミレンギの一喝にシェスタたち全員が鬨の声で応える。
「彼らが苦し紛れで橋を破壊する可能性もあります。決してさせてはいけません」
アイネがそう指示を出す。
木造の橋のため、石橋よりも壊すのは用意だ。
これを壊されては、増水した川に阻まれて進軍はままならない。
駐屯兵たちは橋の向こうへと遁走を始めていた。
すかさずミレンギたちも追いかけ、橋を渡りきる。
「おっと、させねえぜえ」
ハロンドが橋の足元で油をまいて火をつけようとしていた兵士を見つけ、大斧の投げつけた。兵士の身体に突き刺さり、手に持っていた火種が落ちる。それをハロンドはすかさず川へと放り投げた。
「うへえ。危ねえ危ねえ」と胸を撫で下ろすハロンド。
「やるじゃないですか」とラランが素直に褒める。
しかしラランは、ハロンドの足元の兵士にまだ息があることに気付いた。
「ハロンドさん!」
そうラランが言うと同時に、深い傷を負った兵士は死ぬ間際、地に這い蹲りながらもハロンドの腰元を後ろから剣で刺し、突き飛ばした。
ハロンドの身体が、増水して勢いの増している川へと倒れこむ。そしてそのまま濁流の中へと飲み込まれてしまった。
「ハロンドさあああああん!」
ラランの声は、しかし激しい流れに姿を消した彼には届かなかった。物凄い勢いで、おそらく大人でさえ泳ぐことは不可能なほどの流れだ。
「……ハロンドさん、いい人だったのに」
彼方に消えた彼を思いつつ、しかしラランは槍を片手にまた前進を続けた。




