-14『途切れても潰えぬ希望の光』
ミレンギは官舎にいるアドミルの兵たちを中庭に集めていた。
ガーノルドという自分たちの主軸を失い、アドミルの内部はまだどんよりと陰りを残していた。
不安。焦り。
いろんなものがない混じって、雰囲気を暗くしている。
中庭に整列した兵たちも、各々にしかめっ面や泣き面のようなものを浮かべあっていた。
そんな彼らの前にミレンギは立った。
「みんな」
彼の凛とした声に、全員が傾注する。
「ボクたちの現状についてみんなも知っていることだろうと思う。港町テストで敵の策にはまり、数名の兵と、ガーノルドを失った。大きな損失だ。ボクなんかよりもずっと強くて偉大な人だった。彼の死を、みんなが悔やんでいることだろう」
端に並んでいたシェスタとアニューが表情をしかめる。
一度落ち着いた哀しみがこみ上げてきそうになっているのだろう。
しかしそれも構わずミレンギは言葉を続けた。
「ボクは失敗した。そして取り返しのつかないものを失くした。けれど全てが無に帰ったわけじゃない。ボクたちがしてきたことは着実に前へと進んでいる。ガーノルドや、他のみんなが築いてきてくれた道はまだ残ってるんだ。
ボクは、これまでのみんなの命を背負っている。だからボクは下を向かない。足を止めない。転んでも、何度だって立ち上がって歩いていくつもりだ。だから――」
ミレンギは拳を強く握りこむ。
そして、天に届かせるような叫びで言い放った。
「みんな、これからもボクについてきてほしい!」
ほんの少し前、まだミレンギが普通の少年であった頃。彼らに一緒に歩かせて欲しいと約束をした。でも今回は違う。ミレンギは、彼らの前を歩く。
彼らが立ち止まろうとした時に道を示す。
それがミレンギの役目である。御旗として掲げられた、その責任である。
「何を今更言ってんですかい」と、兵士の一人が笑い声を上げた。テストで酒盛りをしていた髭面の男だった。
右肩に包帯を巻いている。ミレンギを庇った傷である。しかしその髭面の男兵は恨みつらみの一つも口にせず、気前よく笑って言う。
「俺たちは前も今も、ミレンギ様と一緒に歩いてる最中ですぜい。ついていくなんて当たり前じゃあないですか!」
馬鹿みたいに景気よく明るい声に、他の兵たちも笑い声を漏らし始める。そして、口々に同調の声を上げ始める。
「そうですよ」、「そうだ」と。
それはまるで輪唱のように響いていた。
少年の決意が、中庭にいた全員の士気を盛り立てる。
そう。
自分たちは立ち止まれない。その意識の団結。
ミレンギはすっかり旺盛を取り戻した彼らを見て、安堵に微笑んだ。
よかった。本当によかった、と。
ガーノルドの空いた穴は巨大である。
しかしミレンギは、自身がそれ以上になって埋める覚悟であった。
そのためにアドミルは前に進む。
希望の光は、まだ彼らの心に点され続けていた。
兵たちを鼓舞した後、ミレンギは自室に戻った。
日が暮れて夜になっても明かりもつけず、薄暗い部屋で独り、椅子に座り込む。
静寂が部屋を呑み込んだ。
先ほどの兵たちの活気とは正反対に、空虚で無音な時間がゆったりと過ぎる。
何も聞こえないはずなのに、ミレンギは耳を塞ぎたくなった。
あの時の、テストから逃げ出すあの戦場の音が、ミレンギの耳に蘇ってくる。騒がしくて、何も聞こえなくて、けれども最後に見たガーノルドが言った声だけははっきりと耳に届いた。
『我らの希望の旗を掲げ続けよ』
それはまるで呪詛のようにミレンギの頭の中に響き続けていた。
『我らの希望の旗を掲げ続けよ』
「わかってる」
今更立ち止まれない。
もう昔の楽しかった曲芸団の頃には戻れないから。
『我らの希望の旗を掲げ続けよ』
「わかってる」
今更弱音なんて吐けない。
自分は彼らを率いて導くべき人間なのだから。
『我らの希望の旗を掲げ続けよ』
「――わかってるよ!」
腕を振り回し、机に置いていた私物を払い落とした。
文具や湯呑みが激しい音を立てて耳を劈いた瞬間だけは、あの時の戦場の音を掻き消してくれたみたいで、少しだけ心が楽になった。
ふと、部屋の扉が叩かれる。
「ミレンギ、入るよ」
やって来たのはシェスタだった。
ミレンギの返事も待たず、部屋の中に勝手に入ってきた。
「明かりもつけずにどうしたの」
「なんでもないよ」
ミレンギは平然とした顔を作って、椅子に腰掛けたまま床に落ちた文具たちを拾った。そんなミレンギの後ろから、ふと、シェスタが抱きしめるように、彼の身体を包み込んだ。
「大丈夫なわけないじゃない。どうしてそんなに強がるの」
ひどく優しい声だった。
背後から、そっと囁くよう。
ミレンギは思わず乾いた笑いを漏らしてしまう。
「強がってなんか、ないよ」と。
ガーノルドが死んで悲しいのはシェスタも同じはずだ。彼女は実の父親を失ったのだから。しかしシェスタはそっとミレンギの腕から顔の輪郭を撫で、慈しむような柔らかい声で言った。
「私にはわかるよ。一番傷ついてるのがミレンギだって。一番泣きたいのがミレンギだって。だってあんたは、本当はすごく大人しくて、臆病で、恐がりなんだもん。だからわかるよ。だって私は、あんたのお姉ちゃんだもん」
「シェスタ……」
そっと抱き寄せられた。
彼女の控え目な胸がミレンギの頭に当たった。
母親にしては包容力がない。けれど温かくて、まるで凍らせていた涙が溶けてしまったかのように、ミレンギの目からは涙が零れ落ちていた。
「ボクが……みんなの前を、歩かないと駄目だから……」
「うん」
「落ち込んでちゃ……みんなが、不安に……なるから」
「うん」
「だから……ボクは……」
「――わかってるよ」
これ以上言葉は要らなかった。
優しく、その感触を確かめるように、互いに抱きしめ、触れ合った。
指先の感触。
温かい体温。
静かな吐息。
シェスタの髪から漂う華のような香り。自分のではない衣擦れの音。
そこにいてくれる安心が、嬉しさが、ミレンギの心をなだめていった。
ただの少年の強がりを、少女は優しく受け止めてくれた。
薄暗く狭い部屋の中にすすり泣く声だけが響く。
いつまでもこうしていたくなった。
いつまでもこうしていられないとも思った。
明日からは、また『アドミルの光』の御旗のミレンギとしてみんなの前に立たなければならない。
けれど今日だけは――今だけは、彼女の抱擁の中で、少年ミレンギとして涙を流した
次回から4章突入です!




