-13『覚悟の代償』
前騎士団長であった男の死。
それは遠くシドルドの町にもすぐさま伝わった。
あまりに消耗しすぎたミレンギたちは、万が一にとアイネが後方に手配していた馬車で一目散にシドルドへと戻っていた。
ガーノルドの訃報はすでに、早馬で町にいた仲間にまで広がっていて、戻った官舎はまるで葬式が開かれているみたいに暗然としていた。
アドミルの実質的な二番手であり、かつては騎士団長として王国の上層部にもいたほどの人物だ。彼を敬い、彼に憧れ騎士になった者は少なくない。そして、彼についてアドミルに入った者も。
ガーノルドは象徴でもあった。
かつて前王ジェクニスが治めていた頃の平和な王国の。
そんな彼がいなくなり、いよいよこの国の崩壊を感ずる者も現れ始めていた。
空気は沈み込んでいる。
何よりも落ち込んでいたのは実の娘であるシェスタとアニューであった。
シェスタはその場に居合わせたこともあり、覚悟はできていたのか姉として気丈に振舞っている。だがまだ子供であるアニューには辛い知らせだっただろう。
二人とも、母は早くに亡くしている。家族と呼べるような曲芸団の連中がいて寂しさこそあまりなかったが、いざ父親すらも亡くしてしまった事実は、重く深く彼女たちを傷つけた。
アニューは一晩、グルウに抱きついて泣き明かしていた。夜中もずっと漏れ聞こえてくる彼女の声は、おそらく官舎内全員の吐き出したい気持ちを代弁してくれていたことだろう。
朝になって、やっと官舎はひとまずの落ち着きを取り戻していた。
シェスタは少しも哀しみを垣間見せない風に明るく振舞っていたし、アニューも、目尻を真っ赤にしながらも厨房で朝食の準備を手伝っていた。
そんな彼女たちに、ラランがまるで母親のように優しく微笑みかける。「今日もがんばりましょう」と。そのいつも通りの温かさが、シェスタたちを、いや、他のみんなまでもを安心させていた。
「本当にすまない」
自分の身体に幾重にも巻かれた包帯を指先でなぞりながら、騎士団補佐であった少女――アーセナは呟いた。
官舎の一室で手当てをされ、寝台に寝かされて一晩を明かした彼女が最初に見たのは、独り部屋の隅で椅子に腰掛けて眠るミレンギの姿だった。
アーセナが上半身を持ち上げる。
寝台の軋む音で、ミレンギも目を覚ました。
ミレンギに気付いたアーセナが開口一番に言ったのが謝罪の言葉だった。
「騎士団からチョトス候に命令をしたんだ。君たちが前王を貶める逆賊だと煽って。勅令だった。それで彼らは善意のために君たちを襲った。だから、あの町の人たちを責めすぎないでやってほしい」
そう言う彼女はしおらしく、弱々しかった。
戦場に立っていた時のあの凛々しさはすっかり影を失せていた。
「それに、あの人のことも――」
アーセナは顔伏せたままだった。
ミレンギの顔を見れないといった風に。
ガーノルドの死に落ち込んでいると、そう気を使ってくれているのだろう。
しかしミレンギは、「仕方ないよ」と明るく返した。
「え?」
咄嗟にアーセナが顔を持ち上げ、驚いた形相でミレンギを見る。
ミレンギはその表情に少しの陰りも見せていなかった。
「辛くはないのか?」
「辛いよ。そんなこと、言われなくてもわかってるよ。でも――」
ミレンギはそっと自分の胸に手を当てた。
進み続けること。
それがガーノルドに託された自分の役目だとわかっているから。
「ボクは泣かない。決めたんだ。前に進むって」
「……そうか。君は強いな」
「ボクが強いんじゃないよ。ボクの周りで支えてくれた人たちがすごかったから、ボクは今でもこうして立ってられるんだ」
「周り、か」
アーセナはまるで自嘲するように呟いていた。
それから数日。すっかり歩けるくらいにまで回復したアーセナは、荷物をこさえて官舎を出ることになった。
「アーセナさん、行っちゃうんですか」
見送りに出たミレンギが声をかけると、彼女は申し訳なさそうに頷いた。
「すまない。世話になって、手当てまでしてもらったというのに。しかしもう籍を外されているだろうが、仮にも敵軍の将がこんなところにいるのはまずいだろう」
「ボクは別に。それに、騎士団にもう戻れないんだったら、どこに」
「わからない」
「だったら――」
ここにいればいいのに。
そう言おうとした声は、しかしアーセナに遮られた。
「私はもう戦えない。背中の傷は癒えても、私の心は未だ死んだままだ。何を信じて、何のために戦っていたのか。ただ実直に前王を崇拝し、後継のクレスト王をひたすらに崇めて仕えてきた。だが、その結果がこれだ。今の私には、もう何を信奉すればいいのかわからないんだ」
それは、少女の存在意義を揺るがすものであった。
ただの平民の女の子が騎士団長補佐にまで登り詰めた、その意味を。
生涯を賭して信念を剣先に掲げてきた彼女にとって、一度崩れ去ったそれを簡単に戻すことはできないのだろう。それはおそらく、ミレンギには到底想像もできないほどの重みなのだ。
だからミレンギは、それ以上の引きとめる言葉を吐き出せなかった。
「また会えますか」
それがやっとだった。
「どうだろうな。でも、命を救ってくれた今回の恩は必ず返させてもらう。約束するよ」
「わかりました。それじゃあ、それまでお元気で」
「ああ、君も」
そのままアーセナは手を振って、微笑みながら官舎を去っていった。
彼女はどこに行くのだろうか。
騎士団長補佐の地位を失って行く宛てなどあるのだろうか。
そんな心配は募ったけれど、彼女の固い決意の前には、そんな身勝手な心配も霧散させるほかなかった。
こうして、反乱軍『アドミルの光』にとっての当初最大と思われていた障害はあまりにあっけなく排除された。
残るは王都攻略と、そこを守る騎士団長グランゼオス。
枷があったとはいえ、ガーノルドですら倒せなかった男である。
彼を超えなければ、いま、こうしてミレンギが生き延びた意味はない。
本当の父親はもういない。
父親と呼んでいた人ももういない。
だから、もうミレンギは子供でいられない。
「ごめんなさい、ミレンギ」
アーセナを見送ってからずっと呆けて突っ立っていたミレンギに、ふとセリィが言った。
「私が手助けしないと駄目だったのに、できなかった。わたしのせい。私の役目なのに」
「いいよ、セリィ。ボクが不甲斐なかったのが悪いんだ」
「……ミレンギ」
「だから、次はもっとちゃんとやる。立ち止まらないって決めたから」
セリィはミレンギが落ち込んでいると思ったのだろう。だが、ミレンギの顔は上を向き続けていた。




