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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第1部 -ファルド内乱編- 3章 『背負う者』
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 -9 『喪失の少女』

 縫うように路地を駆け抜け、大きな通りに出る。

 あとは通りに沿っていけば町の外へ繋がる門がある。


 住民たちをどうにか振り切って、ミレンギたちはやっと街道へと繋がる門へとたどり着いた。


 しかしそのまま駆け抜けようとしていたアドミル兵の足が止まる。


 外に繋がるその門の足元。

 そこに佇むひとつの人影に気付いたのだ。


 白銀の鎧をまとい、風に長髪をなびかせた若い少女――アーセナだった。剣を片手に佇み、走ってくるミレンギたちを待ち構えていた。


 足を止めて相対するミレンギとアーセナ。そんな中、アイネが嘲笑を向ける。


「やはり騎士団の策略でしたか。民衆にまで武器を持たせるだなんて。騎士団の誇りも地に落ちたものですね」


 安い挑発。


 だが騎士団長補佐の少女は、そんな言葉に眉根を寄せることもなくどこか虚ろな表情を浮かべていた。剣の柄を握ってはいるが、それもどこか気力がない。


 更に不自然だったのは、彼女が他の兵もつれず独りであったことだ。


「アーセナさん!」


 咄嗟のガーノルドの制止をかわし、ミレンギが彼女の前に出た。


「これはアーセナさんの指示なんですか。ボクたちを貶めようと、町の人たちを利用したんですか!」


 ミレンギの問いに、アーセナはその視線を地に伏した。


 彼女は何も言わず、ただただ空虚な沈黙が流れる。


 住民たちの急襲は、住居街を出てからはひとまず落ち着いているものの、いつまた背後からやってくるかもわからない。ミレンギたちには焦りが募るが、前を塞ぐアーセナの怪しい不動さに警戒して動くに動けない状態だった。


 相手は一人。

 強行突破するか、別の退路を探すか。決断にも猶予の時は少ない。


 アイネですら迷いを抱いていると、しかし不意に、目の前の少女は剣を収めた。そしてそっと、道の脇に退く。


「行け」


 彼女は短くそう言った。

 誰もがその言葉に驚いた。


「いいんですか?」とミレンギも恐る恐る尋ねる。


 アーセナは顔を伏せたまま、


「……こんな非道、私にはできない」

「アーセナさん」


「もう、わからないんだ。私はいったい何をやってるのか。何をやりたかったのか。どうして……私が騎士になったのか」

「……アーセナさん」


 アーセナがミレンギたちを見る。

 その先は、ミレンギや他の兵たちの持っている剣へと向けられていた。


 まったく使われていない、まだ誰を斬ってもいない、汚れのない剣。それはつまり、住民を誰一人傷つけていない証拠である。


「ミレンギ。貴方に聞かせて欲しい」

「なんですか」

「貴方はいったい何を望んでいる?」

「ボクの、望むこと?」


「そう。この戦いの先に見るもののこと」


「そうだな……まだよくわからないけれど、ボクは、みんなが安心して暮らせる世界にしたいよ。上に立つ人の横暴で命すらも簡単に失われるような、そんな理不尽をなくしたい。そして、最後には戦争も終わらせる」


「それが遥か遠くにある、幻のような理想であるとわかっているのか」

「幻じゃない。するんだ。難しいのはわかっているけど、良くしようと進み続ける限り、きっと今よりはよくなるはずさ」


 ミレンギの実直な言葉に、しかしアーセナは小さく鼻で笑った。依然として顔を俯かせたまま、気力なく呟く。


「せいぜいその信念を揺らがせないことだ。……私のように、な」と。


 しかし、


「揺らいだ結果がこの体たらくか」


 少女に言葉を返したのは、ミレンギでもアイネでもガーノルドでもなかった。


 彼女のすぐ背後にいつの間にか山のような巨躯が立ち尽くしていた。


 その巨体は目でも追えないほどの早さで大剣を振り下ろす。急降下した切っ先は一切の躊躇もなく少女の背中を一薙ぎした。


 痛々しい鮮血が飛沫をあげる。


「アーセナさん!」と思わず叫ぶミレンギに、巨人は鋭い睨みを向けた。


 ミレンギの二倍はありそうなほど大きく感じる威圧感。


 事実、長身であるアーセナを見下すほどで、全身には鎧のように筋肉がまとわりついている。髪のない丸みを帯びた頭には血管が浮き出て奇妙に筋が入っていた。彼の浮かべる形相はまさに阿修羅のごとく厳しい。


 武人然とした佇まいを誇る男、騎士団長グランゼオスであった。


 その姿はまさに頑強な巨人。迫力に圧され、ミレンギは蛇に睨まれたように動けなくなってしまう。神経を恐怖が支配した。


 唐突に切り捨てられたアーセナが地に崩れ落ちる。


 油断があったにせよ、彼女ほどの武人ですら気付かないほどの素早い一振り。アーセナは地面に顔を擦りつけながら、自らを見下しているグランゼオスの顔を見上げた。


「どうして、貴方が……ここは、私の部隊が……任じられた……はず」


「貴様の忠義を試したのだ。静寂の森での失態。よもや敵と通じてはおらんだろうな、とクレスト王たっての疑念だ。だが確信した。貴様は逃走を手助けしようとした。よって逆賊である」

「そんな……私は……」


 民衆という盾を使い、非道を行ってまで剣を振りかざす。それができなかっただけだ。彼女の忠義は揺らいでこそいたが、失われてはいなかった。


 しかしグランゼオスの刃は、そんな彼女の弁明も聞く余地なく無情に切り捨てたのだった。


「貴様の赤色魔道部隊は以降俺の指揮下に入る。裏切り者のお前はもう用済みだ」


 無慈悲に言い下したグランゼオスが這い蹲るアーセナの身体を蹴る。


 アーセナの口から血が噴き出し、彼女の体は反転して天を仰いだ。


 もはや立ち上がる力はなく、焼けるような熱さを背中に感じながら、アーセナは真っ青な空を仰ぐ。


「早く助けないと」


 そう言ったのはやはりミレンギだった。


 しかし、目の前には依然として堂々と佇むグランゼオスの姿。彼を退けなければ、アーセナの元にはたどり着けない。


 足を動かせずやきもきするミレンギの肩を、ガーノルドがそっと掴んだ。


「私が行きましょう」


 剣を抜き、前に出る。

 それを見て、終始無骨であったグランゼオスが不敵に笑んだ。


「ほう、前騎士団長か」

「しばらく留守にしているうちに随分と騎士団もおっかなくなったものだな」


「規律というものは力でこそもたらされるということだ」

「それはそれは。随分と力技で捻じ曲がってそうな規律じゃないか」

「言っておけ」


 挑発を交えて双方が向かい合う。


 片や武においてファルドの頂点に立つ男。片や現役を退いた老兵。

 体格的にも差は歴然としている。だが風格ではガーノルドも負けてはいない。


 彼の愛用している剣を構える。竜の紋章が刻まれた、騎士団当時のものだ。細く、白銀の輝きを放つ姿は、洗練された機能美が垣間見えて美しい。


 それに反し、グランゼオスは巨大な鉄塊のような大剣を持ち出していた。その形状はまるで、竜の上顎から伸びる牙のよう。鋭利な凹凸の刃が幾重にも繋がり、先端には犬歯のような鋭く飛び出た刃先がある。


 それはまさに、物を喰らうための武器であった。おおよそグランゼオス自身の背丈ほどの長さがあるそれを、彼はいとも軽々と持ち上げていた。


 静かに、二人の深い息が重なる。次の瞬間、


「はあっ!」と息んで先手を取ったのはガーノルドだった。


 一瞬にして間合いへと踏み込み、素早い横の一太刀。


 しかしグランゼオスは大剣の柄で軽く受け止める。それを弾き返し、手首を捻っただけで切っ先を振り下ろす。超重量の鉄塊が頭上に迫り、ガーノルドは咄嗟に身を引いてかわした。


 今度は大剣では受け止めづらい腰元に鋭い突き。だがグランゼオスの対処も早く、その巨体とは不似合いに柔軟に身体を曲げる。


 ならばと二の刃を体制の崩れた足元に。

 グランクレストはその剣を、刃の背を踏みつけて無理やり切っ先を地面に向けさせてかわした。


 咄嗟に引き抜いて身を引いたガーノルドの目の前を、巨大な鉄塊が勢いよく通り過ぎる。一瞬判断が遅れれば首を持っていかれていたことだろう。


 速さでは圧倒的にガーノルドが勝っている。だが優勢ではない。


 グランゼオスは見た目どおりの強力。しかしそれとは不似合いなほどに緻密な一撃を放ってくる。わずかにガーノルドが体勢を崩そうものならば、その垣間見えた急所をすぐにでも突かんばかりだ。


 もはや適当な打ち合いはない。

 一撃毎が、渾身であり、必殺の気である。


「ほう。太刀筋は老いてはおらんらしい」


 戦いの中、そうにやつくグランゼオスは楽しそうだった。


 すぐにでもどちらかの命が飛びそうな苛烈な仕合の中、彼の表情はただひたすらに、無邪気な子供のようだった。


「何故貴様は騎士団長になった。それほどの武に愉悦を浸るなら、前線に立つ傭兵にでもなれば満足しように」

「俺は別に戦いたいってわけじゃねえ。俺はただ、誰よりも強くある。それだけだ」


「自己顕示の塊か」

「自己顕示など必要とせん。なぜならこの俺のいる場所が常に世界の中心であるからだ。故に俺は常に全員の注目を浴びている。民衆の命を背負っている。この国の命運を担う唯一の者と成りえているのだ」


「自分を神とでも言うつもりか。小僧め」

「俺を阻むというのなら、神すらも殺して見せよう」


 その大仰な言葉も、彼の悪鬼のごとき強さには説得力すら感じさせられそうになる。


 鉄塊による地を割る大振りの一撃に、地面が悲鳴を上げたかのように轟音が響く。土煙が舞い、視界が閉ざされる。ガーノルドは間合いを読もうと距離を取ったのが幸いであった。彼がつい一瞬前にいた場所もろとも、グランゼオスの巨大な剣が土煙を裂いて横に切り込んだ。


 まともに受ければその衝撃を絶えられはしないだろう。

 しかし打ち込もうにも、彼は俊敏に身を動かしてくる。


 年老いたせいか、とでも言いたげに、ガーノルドは歯がゆそうに唇を噛んだ。


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