-7 『町中の刺客』
路地を抜けて町の外を目指す間、ミレンギたちは散発的に襲撃を受けた。
草葉の陰に隠れた横路地から鍬を持った男たちが現れたり、民家の二階の窓が開いて矢を穿たれたり。
「おそらく道中で配られた果実に睡眠薬を混ぜていたのでしょう。眠らせたところに火を放つ。たとえ起きている者がいても、仲間を運び出すには手間がかかる。見捨てるか、連れて行くか。しかし連れて行けば入り口を塞ぐ者が弓。非常にわかりやすく、けれど効果的な手段です。まさか住民に紛れてこのような工作を行ってくるとは」
そう言うアイネも油断をしていたわけではなかった。
協力を申し出たチョトスを信用しきらず、毒を盛ったりする可能性を常に考えていた。そのためミレンギの食事には配慮したし、半数以上の兵士たちにも万が一に備えて提供された酒などを控えるように言い伝えておいた。
だが住民に紛れて毒を盛ることまでは不覚にも対処ができていなかった。
結果、宿舎で十人ほど、更にはそこから逃走する道中で三人の死者を出してしまった。
兵士たちの気が緩んでいたせいもあるだろうが、まんまと策にはめられたのは軍師であるアイネの失態である。
住人の行動という不確定要素。まだ現場を多く知らない、書物による知識だけで判断をしていた少年軍師の限界がそこにはあったのかもしれない。
路地の小さな広場で小休憩をとっている間、アイネはずっと顔をしかめ続けていた。そんな幼い天才を、しかしミレンギは何一つ声をかけてあげることはできなかった。
ミレンギはミレンギで、また別のことを考えていた。それは、宿舎にて倒れた仲間のことだ。
「またボクのせいでみんなが……」
弱音が漏れた唇が、シェスタの指先に塞がれる。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「ふぐ……んぐ……」
「悔やむ暇があったら前を向く。いい?」
「……うん、わかったよ」
ようやく唇を開けさせてくれて、ミレンギは渋々ながらも頷いた。
「セリィも起きてくれるといいんだけど」
ミレンギの背中に乗っかるセリィは可愛い寝顔を見せたままだ。
だが、少し休んでいる間にようやく目を覚ました兵もいる。少しずつだが体勢は整い始めている。その余裕の理由は、追撃する者たちの杜撰さにあった。
「妙だな。狙うにしても計画性がなさ過ぎる」
ガーノルドがそう指摘する通り、彼らの襲撃はあまりにも散発的過ぎた。襲うというよりもまるで嫌がらせのようだ。その意見に、落ち着きを取り戻したアイネも頷いた。
「そうですね。策略はありますが練度は低い。てっきり住民の中にチョトスが兵を混ぜていたのかと思っていましたが、もしかすると――」
アイネがそう言っていると、また数人の男たちが姿を現した。
手には鍬を持っている。
彼らは他に武装はなく、鎧すらもつけていない。
鬼気迫った顔をしているが、その鍬を持つ構えはひどく不恰好である。
「どうやら彼らは本物の、この町の住人たちのようですね」
男たちの後ろからまた数人がやってくる。
路地からも、民家の戸からも。いたるところから、平服をまとった普通の中年男性や女性、更にはまだ幼げな子供まで顔を出していた。
彼らの鋭い視線がミレンギたちに向けられる。
それは明らかに異常な光景だった。
どう見ても一般市民である彼らが、仮にも兵士であるミレンギたちに立ち向かっているのだ。その士気の高さに、ミレンギは思わず、セリィをシェスタに預けて彼らの前に出た。
「皆さんはこの町の人たちなんですよね。どうして」
「どうしてもねえよ!」
先頭に立っていた男が力強く答えた。
「お前らがジェクニス様の名を使ってこの国を乱そうとするからだろうが」
「そうだ。この国は、この町はジェクニス様が築かれたもの。お前らなんかが土足で踏みにじっていいもんじゃないんだ」
「わしらがこのファルドを守るのだ!」
「今は亡きジェクニス様のために!」
住民たちが口々に言う。一言ずつに熱い感情が乗っている。その力強さに、ミレンギは気圧されそうになったほどだ。
「貴様ら。それほどの忠義を抱いているというのならば、その前王の忘れ形見に刃を向けるとは何事か」
ガーノルドが凄みを利かせて住民たちに叫ぶが、彼らはまったく物怖じる気配を見せなかった。
そんな彼らを割って、一人の男が現れる。
煌びやかな装飾を纏った男、チョトスだ。
「くだらない嘘は通じないのよ。ジェクニス様に子はいらっしゃらないと言われていたのは、あの方が亡くなる僅か前から公然にされていた事実。十年も経って今更隠し子だなどと、そんな怪しい文言に惑わされるわたくしたちではないのよ」
チョトスの言葉に、そうだそうだ、と住民たちが同調して声を上げる。その結束の様子は並々ならぬものだ。
「王の名を騙る不届き者よ。わたくしたちが成敗するのよ」
うおおお、と咆哮をあげて住民たちが意気込んだ。
ただの一般人たちとは思えないほど、気圧されそうなほどの迫力。しかしそれを聞いたミレンギはただただ哀しい気持ちだった。
彼らは本当に、前王ジェクニスに対する忠義のために行動している。心から、それが国のためだと思って、その身を投げ出そうとしているのだ。その思いはミレンギたちとまったく同じである。
「誰かに極端な入れ知恵でもされましたかね」と苦笑するアイネの言葉どおり、これは策略か、はたまた哀しいだけの信条の相違か。
どちらにせよ、誰も望まないはずの戦いであることは明白だった。
ミレンギたちにとって彼らは敵ではないのだ。
倒すべきは王都に座する国家の害である。
それは住民たちの信奉する前王の仇敵でもあるのだ。
本来ならば同じ立場であるはずの両者が、こうして向かい合っているこの残酷さに、ミレンギは酷く心を痛めた。
――何故自分たちが戦わなければならないのか。
住民たちがミレンギに矛先を向ける。
アドミル兵も手の空いた者は剣を抜いて待ち構える。
今にも戦闘は始まろうとしていた。
アドミルの兵とテストの民。
その力量差は一目瞭然である。
数こそ彼らは時間が経つにつれて多く集まってきているが、それでも女子供の混じる、まるで訓練されていない烏合の衆だ。およそ三人集まっても一人を止められるかどうかといったところである。
結果は火を見るより明らかであった。
向かい合った両者に緊張が高まる。
間合いを読みあった束の間の静寂。
それを破ったのは、ミレンギの、奥歯を噛んだような力ませた声だった。
「……交戦は許可しない」
ミレンギの言葉に、アドミル側は誰もが耳を疑うように彼を見やった。
「ミレンギ様?」とアイネすらも驚きの声を上げる。
そんな彼らに、ミレンギはもう一度、力強く言った。
「交戦は許可しない。あの人たちを誰一人殺しちゃいけない」
「しかしこの状況では」
「ボクがアドミルの旗なんだろう。これは命令だ!」
「……わかりました」
アイネは物言いたいこともあるような渋った顔だったが、やがてアドミル兵たちに動きだす準備を始めさせる。
ミレンギの言葉を聞いて動揺したのは住民たちも同じだった。
彼らはおおよそ、身を挺してでもミレンギたちを討つつもりだったようだ。それもすべて愛国のため。それなのに向こうは自分たちを殺さないという。
住民たちが抱いた感情は、ミレンギの慈悲ではなく、自分たち市民の命をとした決起が相手にすらされていないという屈辱だった。
「俺たちを舐めやがって。生きて出られると思ってんのか」
住民の一人が先走って突っ込んでくる。
しかしそれをガーノルドが鍬の先を掴み、足元に押さえ込んで蹴り倒す。
「温情深い我が主君に感謝するのだな」
そう言うと、ガーノルドは鍬を遠方に投げ捨て、アドミル兵に向き直り檄を飛ばした。
「総員、極力交戦を避けよ。彼らは一般人。押し退け、この町から脱出することを最優先にするのだ」
「おお!」とアドミル兵が頷き、まだ住民たちのいない路地へと駆け込んだ。
こうして、アドミル兵おおよそ四十名と住民たちによる逃走劇が始まった。




