-5 『テスト』
領主邸へたどり着いたミレンギたちがアドミルの使いであると門兵に知らせると、彼らは大急ぎで他の兵に伝え、ミレンギたちを建物の中の控え室へと通してくれた。
待っている間、アイネはずっとそわそわした風に落ち着かない様子だった。
「僕はミレンギ様に来ていただくのは反対だったのです。言ってしまえば今日はただの挨拶。いくら向こうの指名とはいえ、出向くならば僕で十分。もし万が一のことがあれば」
歯を震わせてうろたえる様子は歳相応だ。
心配してくれているのはガーノルドも同じだったが、彼にいたっては「我侭を退くつもりもないのだろう」と諦め顔だった。
「ボクは英雄でもなんでもない。ただ、みんなと一緒にこの国を取り戻したいだけの一般人なんだ。だから、ボクが役に立てるのなら、たとえ危険があっても前に行くよ」
担がれるだけの神輿ではいたくない。おそらく頂点に立つ人間としては間違っているのだろう。しかしそれはミレンギの固い決意であった。
「そうおっしゃるのでしたら尊重いたします。ですがくれぐれも御身をお大事に」
「わかってるよ。ボクだって自分が死ぬのは恐いから」
アイネは、本当にわかっているのだろうか、といった不安げな表情だったが、やがて腹をくくった風に顔を引き締めていた。
しばらくしてやってきた警備の兵に案内され、ミレンギたちは大きな食堂へと通された。
舞踏会でも開くのかと思うほどの広々とした間取りと、三階ほどの高さはある吹き抜けの天井。赤い絨毯で敷き詰められた室内は、等間隔に金色の鎧や剣などが飾られており、煌びやかな燭台の明かりにあてられて眩い光沢を放っていた。
趣味にしてもあまりにも振り切った装飾過多さである。
しかしそれ以上に眩い光沢を放つ男がミレンギたちの前に姿を現した。
「こんにちはでありますのよ。ようこそおこしくださいましたのよ。わたくし、この領地を預からせていただいております、チョトスと申しますのよ」
そう名乗った長身細長の男は、まるで髭のように波打った金髪と、金色の口紅に頬紅、更には金で造られた耳飾に服飾にまで金を施した、全身が光り輝くような変人であった。
その異質さに思わずミレンギも「うわあ」と引いてしまいそうだった。
チョトスは軽やかな足取りで椅子に腰掛けると、拍手を打って部下に目配せをする。
「食事を運んできてちょうだいなのよ」
男なのに女性のような、いやしかしどこか間違っている癖のある言葉遣いでチョトスは言う。
「ちょっと変わった御方なんです」とアイネがミレンギに耳打ちして教えてくれた。なるほど、と納得だ。
魚介類をはじめとする料理の数々を従者が運び込む中、チョトスは満面の笑みを浮かべてミレンギの顔を眺めていた。
「今日はわざわざこんな遠くまでお越しくださって感謝の極みなのですのよ」
「いえいえ。ボクたちのほうこそ、お招きありがとうございます」
「まあミレンギ様、なんて腰の低い御方なのよ。なるほどよく見ればお父上のジェクニス様にそっくり。面影があるのよ」
「え、そうなんですか」
初耳だ、とミレンギが同席しているガーノルドに目をやると、彼は無言で首を振っていた。
「そちらにいらっしゃるのはミレンギ様の奥方様なのかしら」
チョトスに言われ、目の合ったシェスタが一瞬にして顔を赤らめた。しかしすかさずミレンギが、
「いえ。護衛としてついてきてもらってる家族です」
「あら、ご兄弟だったのよ。これは失礼しましたのよ。それじゃああちらのお嬢さんも?」
机の端っこでちょこんと腰掛けたセリィが辺りを物珍しそうに眺めている。
「そうですね。今となっては家族みたいなものです」
気がつけばすっかりミレンギたちと一緒にいることに馴染んでしまっている。
結局彼女がどこの子なのかはわからないままだが、セリィ自身が何も言い出さないので、もはや誰も気に止めないでいた。もしかすると家族を亡くして彷徨っていたのかもしれない。ちょうど曲芸団の家族を亡くしたミレンギとは変な縁があったのかもしれない。
「とても若々しくて見ていて瑞々しいのよ」
「みずみず……?」
「とっても好印象ってことなのよ。ささ、今日はテストの自慢の海鮮料理を思う存分味わってくださいのよ」
「はい、ありが――」
「いえ、せっかく用意をしてくださっているようですが、食事はひとまずまたの機会に。今は先に本題へとまいりましょう」
ミレンギの笑顔をアイネの言葉が遮った。
にこやかだったチョトスの表情が一瞬だけ陰る。
「あら。わたくしの持て成しを味わっていただけないのよ?」
「外に兵を待たせておりますので。ミレンギ様は非常に思いやりのある御方。戦友である彼らを野ざらしに放置しておくのは忍びないと考えてしまうほどなのです」
「あら、そうなの?」
突然振られて戸惑うミレンギにアイネが目配せをしてくる。
知らぬ間にそういうことにされたようだ。実際、気にはなっているのも事実ではあるが。アイネには何か思うところがあるのだろう。
「あ、はい。すみません」とミレンギは従っておくことにした。
チョトスが残念そうに肩を落とす。
ミレンギは多少の罪悪感を覚えた。
「それじゃあ話を進めますのよ」
気を取り直してチョトスが話を切り出す。
「わたくしたちテストはこの領地を無償で明け渡しますのよ。兵を駐屯させられるだけの施設も用意するのよ」
「無償、ですか。……僕が言うのも失礼な話ですが、無償でというのは些か献身的過ぎませんか」
「アイネ殿、だったかしら」
「はい」
「無償と言うのは響きが悪かったのよ。わたくしはただ、忠義の厚さを示しているにすぎないですのよ」
「忠義?」
「前王ジェクニス様になのよ。この町は前王様によって拓かれた町なのよ。だから前王様に恩義を感じている住民も少なくはないのよ」
「ジェクニス王。本当に慕われてる人だったんだね」とミレンギは思わず率直な感想を漏らしてしまっていた。
「そうなのよ、ミレンギ様。ジェクニス様は非常に偉大であらせられた御方なのよ。そんな御方の子とおっしゃるミレンギ様のことを、みんなは無碍にできないのよ」
「なんだか威を借りてるだけで恐縮だなあ」
「ミレンギ様は前王様が遺された希望なのよ。この乱世を収められる明るい光。それが、貴方様なのよ」
「それが、ボク……」
前王の遺志だとか、ずっとそう言われてミレンギは担ぎ上げられてきた。しかし、ミレンギにはそんなこと少しもわからない。
ミレンギは今でも、あの夜の集落で見た倒れこむ親子の姿が瞼の裏に焼きついてはなれないでいる。ミレンギの人生を変えたあの日の出来事が。
「それがボクなのかはわからなけれど、ボクはもう理不尽なことで誰かが死んでもいいような、そんな心が枯れたこの国を救いたい。この国で争いで亡くなる人をなくしたい。そう思ってるだけなんだ」
それがミレンギの行動理由である。
そこに前王の遺志など欠片も介在していない。
「それでも協力をしてくれるのなら、ボクは喜んでチョトスさんたちと一緒に歩かせてもらいたいです」
「まあ、なんて謙遜なさるお人なのよ」
チョトスはうるっと涙を浮かべてそれを拭った。そして席を立って膝をつき、自らの懐に入れていた竜の紋章の入った首飾りを握り締める。
「このチョトス=エルザール。我が心は常に前王ジェクニスの御遺志と共に」
そう、紋章へ誓うように彼は言ったのだった。




