-3 『竜の伝承』
静寂の森の一件から半月ほど。
すっかり体勢を立て直したアドミルの光は、その進軍の足を再開させていた。
静寂の森を突破し、南方にある小さな宿場町を制圧。
その好調を後押しする要因となったのが、森に住まう耳長族たちの支援表明である。彼らは魔獣撃退以降、集落へのアドミル兵の駐屯を許可するようになった。更には安値での加工品の取引も続いており、アドミルにとって至れり尽くせりのようであった。
以前とは大違いな長老たちの態度の軟化に、アドミルの兵たちは口々に「集落を救ったミレンギ様の善行によるものだ」と囃し立てていた。
中には前王の子と名乗るミレンギを「竜の加護を授かりし御方だ」とし、前王の再来だと祭り上げる者も出る始末であった。
竜の加護――それはファルド王国にて遥か昔から語り継がれる、この国の成り立ちを記したとされる伝承にある言葉である。
「あれ、なにかやってる」
ミレンギがシェスタやセリィと、町の警らのためにシドルドの路地を歩いていた時、ふと小さな広場で出し物をしているのに気付いた。
紙芝居のようである。
子供たちが嬉しそうに駆け寄って、腰を下ろして並んでいた。
ちょうど始まるところらしい。紙芝居を用意しているのは、青い髪留めで括った金色のまっすぐな長髪が特徴的な白肌の女の子だった。
薄地のひらひらがついた瑠璃色の洋服は、少しくたびれてほつれているが、まるで良家のお嬢様のような気品を感じさせる。
「お姉ちゃん。今日はどんなお話を聞かせてくれるの」
子供が楽しみに沸き立っている。よほど人気のようだ。
「今日は可愛らしいお姫様のお話がいいな」
「えー、いやだ。せっかくだし、悪魔をばったばったと倒しちまう気持ちいい話がいいー」
女の子も男の子も、口々に期待を膨らませている。
「若いのに紙芝居屋さんなんだ」
「あの子、吟遊詩人みたいにいろんな町を歩いて読み聞かせているんですって」
感心していたミレンギに、子供たちの親だと思われるふくよかな女性が教えてくれた。
おそらく外見からしてまだ少女といった風貌なのに、旅をして回っているなんて珍しい。かつては曲芸団としてファルドを歩き回っていたミレンギには少し親近感を覚えた。
「ちょっと見ていこうよ」とミレンギが言い、子供たちの遠巻きに三人で腰を下ろした。
紙芝居の少女は地面に置いた大きな背負い鞄から分厚い紙束を取り出すと、にこやかに笑んで、「それじゃあみんな、はじめますよー」と手持ちの鈴を鳴らした。
「今日のお話は、このファルドという国に遥か昔から伝わっている『竜護伝説』というお話ですよ」
「あ、それボク知ってる」
思わずミレンギが小さく声に出す。
他にも、子供たちから数人、同じような声が漏れていた。
ファルドでは子守唄のように語り継がれている有名なお話だ。
ミレンギも、かつていた孤児院で何度のその話を聞いた覚えがある。
その話を聞かせてくれたのは、よく孤児院に来てくれていた名も知らないおじさんだ。今にして思えば、おそらくこの少女のように吟遊詩人かなにかだったのかもしれない。何度も聞かされたおかげでミレンギは、目を閉じていても暗唱できるほどになっていた。
「それはそれは昔のことでした――」
粛々と少女のお話が始まる。
「未だファルドという名は歴史上になく、数多の小国が領地を巡ってせめぎあっていた時代。一つの国が倒れては、方々にまた別の国が建ち、大陸は絶えぬ争いの戦火に晒されていました。
それはまるで永遠の轍のよう。争い、血を流し、他人の食料を奪い合う。いつまでも繰り返される略奪に、治世など遥か遠い夢物語のように言われていました。
そんな乱世に、一人の少年が生を受けました。
彼の名はアーケリヒト。
しがない生糸の商売をする両親の元に生まれた普通の子でした。
そんな彼が成人を迎えた日、戦火に包まれようとする故郷を守るために義勇兵に志願をしました。武技など欠片も持たない農民の出でしたが、彼は勇ましく戦い、目まぐるしいほどの戦果を上げて瞬く間に出世をしたのです。国の兵士として重用され、彼は一躍立身出世の身と期待を受けました。
しかし好調も長くは続きません。
他国に攻め入られ、国は陥落。アーケリヒトはその敵国の兵として使われましたが、またその国も別の国に討たれと、転々とする毎日を送らされました。
彼はふと嘆きます。
このような戦ばかりで終わりは来るのか。
繰り返し赴く戦場を前に悲嘆に明け暮れる日々が続きました。
そんなある日のことです。
彼が遠征に出かけると、山間にて不思議な卵を見つけました。
まるで巣から落ちたのかと思うように野ざらしで、いつ野獣に食べられてもおかしくはないという様子。鶏のものとも蛇のものとも思えないその異様な造形の美しさにアーケリヒトは何故か魅入られ、持ち帰ることにしました」
「食べたのかなー」と幼子が笑う。
そんな茶々にも、紙芝居屋の少女は涼しい顔で微笑んで返していた。
「食べようと思っていたかもしれませんね。けれどもなんと、その卵からは、小さな人の赤ん坊が生まれてきたのでした」
ええー、と子供たちから口々に驚きの声が上がった。
赤ちゃんが卵から生まれるわけないよ、卵ってどれだけ大きいの、などと素直な疑問を言い合う。
所詮は御伽噺なのだ。
誇張や空想などは多く含まれていることだろう。
そもそもミレンギだって、人が卵から生まれただなんて話は聞いたことがない。
「生まれてきた子どもはみるみる成長し、アーケリヒトと背格好も変わらないくらいの青年へとなりました。
ノクルタと名付けられたその青年は非常に頭の切れる秀才でした。ノクルタの助言により、アーケリヒトは国内で確固たる地位を築くことに成功します。その頃にはアーケリヒトも、経験により武勇も優れていた頃でした。
人ならざるほどの武人と賢人。
瞬く間に二人の名は知れ渡り、彼らのことを人々はそう畏れ、囃したてました。
そして大きな力を蓄えて国を興したアーケリヒトは、彼の武芸と、相棒ノクルタの知略によって、大陸全土の国々は瞬く間に平定することとなりました。そしてそれらを束ね、アーケリヒトはついに王として座したのです。
長きに渡る戦争を終わらせたアーケリヒトは、その国を『ファルド』と名付け、後の世に残しました。これが私たちがいま住んでいるこの国の成り立ちと言われています。
こうして、アーケリヒトは一世一代の大仕事を成し遂げ、歴史に名を刻みつけました。気付けば何十年と戦い続けていたアーケリヒトは、ようやくその剣を下ろし、平和を得ることができたのでした」
田舎者の成り上がり話。
成功譚としては申し分ないほどに綺麗な終わりだ。
しかし話は「けれども彼を待ち受けていたのは、想像だにしない結末でした」と続くことをミレンギは覚えている。
「終わりじゃないのー?」
「いいえ、もう少し続くんです」
紙芝居屋の少女が、紙をめくって続きを読む。
その紙には、柔らかい絵柄で、天へと昇る大翼の竜の姿が描かれていた。
「世が平定してしばらく。混乱から復調の兆しを見せ始めた頃、アーケリヒトの片腕として政治を取り纏めていたノクルタが急に姿を消します。
彼の助力無しではここまでこれなかったアーケリヒトは、我を忘れて探し回ります。しかし、ついに彼の姿を見つけることはできませんでした。
哀しみにくれるアーケリヒト。
そんな彼の頭上に、天から一筋の光が差し込みました。
そして、伝説の存在と言われていた巨大な竜が、まるで彼に別れを告げるように姿を現して天へと消えていったのです。
アーケリヒトは悟りました。
ノクルタは神様が寄越した使いであり、乱世を救う役目を負ったアーケリヒトの手伝いをしていたのだと。
それを知ったアーケリヒトは、今は姿なき相棒に感謝して彼を祀る神殿を建て、彼がもたらしてくれたこの繁栄を『竜の加護』を授かったとして、後世にまで語り継いでいったのでした。
それからというもの、ファルドという国は竜の加護に常に守られ、相棒の志を受け継いだアーケリヒトによって末永く平和が続いていったのでした」
――めでたしめでたし。
少女が礼をしたのと同時に、子供たちが立ち上がって拍手をした。
概ね好評で、格好いい、すごい、と心から讃えている様子だった。中には退屈そうな顔をした子もいたが、おそらく散々聞かされて聞き飽きているのだろう。
昔聞いた懐かしさを覚えながら、ミレンギも満足そうに拍手する。隣に座っていたシェスタは……どうやら退屈で寝てしまったようだ。膝を抱えながら舟をこいでいる。
反対にセリィはというと起きてはいるのだが、笑いも怒りもせず、ずっとぼうっとした様子だった。どうやら彼女の琴線には触れなかったらしい
「……ねえ、ミレンギ。あれ、すごい話なの?」
「そりゃあすごいよ。国を平和にしちゃった大英雄の話だもん」
ついシェスタに熱く返してしまうと、しかしいつの間にか起きたセリィがさも当然だという風に自信を持った顔で、
「ミレンギのほうがすごいよ」と返してきたのだった。その実直さに思わず顔を赤らめてしまう。
何がすごいのかはわからないが、おそらく褒めてくれているのだろう。
「あ、ありがとう」とミレンギは気恥ずかしく顔を背けた。
伝承として民間に語り継がれている竜の物語。
この物語の大部分は書物にも記録として残っておらず、この創作者の妄想とされている。しかしこの話を聞いた誰もが思いを馳せ、憧れるものだ。竜と、その加護を受けし英雄に。
竜――魔獣とは似て非なる、神の力を持つといわれる空想上の生き物。
もしそれほどすごい存在がいるとするならば、現状のファルドも瞬く間に平定してしまうのだろうか。きっとミレンギよりももっと素早く、あっという間にファルドを統一してみせるのだろう。
静寂の森で一度勢いをくじかれ、進んでは戻ってを繰り返すようなアドミルを思い出してつい自嘲してしまいそうになる。
「本当に、この世に竜がいたらよかったのにね」
ミレンギが苦笑してそう言うと、セリィはその意味がよくわからなかったのか、不思議そうに首をかしげるだけだった。




