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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第1部 -ファルド内乱編- 3章 『背負う者』
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 -2 『忠義の在り処』

 煌びやかな光沢を纏った女性用の礼服というものがアーセナは苦手だった。


 昔からずっと剣を振るうことばかり考えていたせいもあって、女性らしい部分など自分にはまったくないと思っているからだ。


 ひたすら自分を鍛え上げ、貧しかった家族や他の人たちを守れるように強くなって、騎士団に入った。そんな自分によもや女性らしさなど残ってはいないだろう。


 王城の控え室で水色の女性用礼服を身に纏ったアーセナは、姿見に映る自身を見て思わず乾いた笑いがこみ上げてきた。


「私はいったい何をしているのだろう」


 自嘲を浮かべていると侍女がやってきた。


「アーセナ様。お召し物のほうはいかがでしょうか」

「ああ、大丈夫だ。もっとも、私にこんなものが似合うとは思えないが」

「そんなことはありません。アーセナ様はとても見目麗しい御方ですから。きっと陛下も喜んでくださいますよ」


 そう言われてもアーセナは少しの嬉しさも感じられなかった。


 侍女の案内で、城の敷地内にある大きな聖堂へと通された。


 このファルドを古くから守護するという竜を祀った、この国で最も神聖とされている場所である。そこには所狭しと国の重役の人間達が燕尾服を纏って酒を片手に談笑している。


 入り口で周囲を見渡していると、白銀の甲冑を着けた大男がやって来た。グランゼオスだ。


「馬子にも衣装だな」

「……ありがとうございます」


 鼻で笑う彼に、アーセナは大人しく礼を返した。


 ちょうどその時、賑やかに盛り上がっていた堂内が急に静かになる。脇に控えている奏者が管楽器を吹き鳴らし、その音楽に合わせて、奥から一人の男が姿を現した。


 金髪の癖毛が特徴的な長身の痩せ男である。


 頬骨が浮き出て痩せ細ったような外見とは不似合いな、無駄に煌びやかな金色の胸当てと手足と首につけた大量の宝石が目に余る。彼こそが現在のこの国を統べる男――エドワイズ=クレスト王その人であった。


 一同がその場で膝をついて傾注する。


 その光景を愉悦の表情で一度見渡したクレスト王は、指先を持ち上げて姿勢を砕けさせ、自身もその細身に似合わぬほどの豪奢な椅子へと腰掛けた。


 彼の忠臣、この国でも有数の貴族や諸侯、商人、そして警護にあたる騎士団兵。それぞれが順番にクレスト王の前に赴き近況の報告などを行うこの酒宴は、三月に一度の定例会であった。


「国王様。ご健勝であらせられ、何よりの幸いでございます」


 一人ひとり、クレスト王の前で拝謁の言葉を述べていく。ご機嫌を取るような言葉に、クレスト王は満足そうに彼らの話を聞いていた。


 前王の後継とは到底思えぬ、威厳にかけた品のない笑い。


 跡継ぎに恵まれなかったとはいえ、何故前王は彼にこの国を託したのか。偉大なるジェクニス王と比べるのはあまりに酷ではあるが、自己満足のために酒宴を催し、自分の機嫌を取らせるクレスト王に、もはや誰も威厳など感じていないのではないかと思う。


 クレスト王の座る即席の玉座の後ろには、騎士団にも用いられている竜を象った紋章の入った彩色硝子が飾られている。彼の前に拝謁する者はみな、目前の王ではなく、まるでその紋章に傅いているように見えた。


 それでもこの国の現王はクレストである。


 彼を後継にするという前王の遺書が発見されたことで、それに異を唱えられるものはいなかった――いや、正確には不服な者はこの国を去った。そして東に集い、ルーンという名の国を勝手に興したのである。


 前王の威光にすがる国、ファルド。


 直系たる王族の血が絶えたことを機に、竜の加護という妄信を捨てて新しい国家を作ろうという逆賊ガセフにより興された国、ルーン。


 この二国家による衝突は、お互いが「相手が倒れれば平和になる」という盲目的な喧伝を信じ、ひたすら戦いに明け暮れている。


 いつか戦いが終わる。いつか平和になる。


 果たしてこの会場にいるどれだけの人間が、真面目にこの国の将来のことを考えているのか。ただの武官であるアーセナには想像もできなかった。


 何より彼女も、前王の後継であるクレスト王についていけばいずれ竜の加護により繁栄が取り戻せると、今は苦境を耐える時期なのだと、そうひたすらに思っていた人間である。


「お前の番だ。行け」

「はい」


 グランゼオスの指示で、アーセナはクレスト王の面前に歩み出た。彼の前で膝をつき、頭を垂れる。


「騎士団よりアーセナが参じました。陛下にいたりましては本日もご健勝のことお喜び申し上げます」

「ああ、お前か。面を上げよ」

「はっ」


 アーセナが顔を上げる。

 クレスト王の下卑た笑みが目に入り、気味の悪い寒気が背筋を走った。


 彼の視線はアーセナのドレスの胸元や、立てた膝からめくれ出た生足ばかりに向いている。しかしそれも慣れたものだった。


 アーセナが騎士団長補佐の位に就けたのは、武力の評価もそうだが、第一に容姿であった。うら若き少女が旗を掲げて前線に立つ。その姿は周囲に美談のように映り、民衆の支持も大きくなる。


 アーセナに最も求められていること。

 それは、彼女が女であることなのだ。


「先日の話は聞き及んでおる。なにやら大きな失態を犯したとか。ここで訳を話してみよ」


「お恥ずかしながら申し上げます。先日、騎士団兵千名を引き連れ、北方に名を上げた反乱軍の鎮圧に向かいました。しかし静寂の森にて交戦中、かの森に住まう魔獣の群れの襲撃に遭遇いたしました。緊急のため我らは急ぎ周辺の集落に向かい、そこに住まう民間人たちを保護した後に、継戦不可能と判断し帰還した次第であります」


「聞いている話によれば、反乱軍共の首領を討ち取る機会をみすみす捨てたとあったが」

「それは……集落の者たちの保護を最優先としました」

「何を下らんことを!」


 一変したクレスト王の怒号が響いた。

 後ろで談笑を続けていた参加者たちの口が止まる。


「民の人命を最優先にと――」

「それどころではないだろう。何故その身を挺してでも反乱軍の首をとらなかった。それがお前の使命であろう」

「ですが」


「反乱軍が生き続けている限り、また無用な戦闘で人命が奪われることとなるのだ。争いの火種は摘まねばならん。遠足をさせるために貴様に兵を預けたわけではないぞ」

「……重々承知しております」


 クレスト王が手に持っていた杯をアーセナの手元に勢いよく放りつける。


 水色のドレスが葡萄酒の飛沫で赤く滲んだ。彼女の頬にまで飛び散ったその深い赤の雫が、まるで涙のように顎へと滴り落ちた。


「そういえばあの反乱軍、前騎士団長のガーノルドが率いているとか」

「ああ、聞いたぞ。なんでもやつらの頭領はジェクニス様の跡継ぎだと名乗ってるとか」


 会場から誰かの囁きが聞こえる。

 その声に、クレスト王は席を立って一喝した。


「ガーノルドは我らに牙を向いた逆賊である。前王ジェクニスが倒れたその日、やつは付き添いの任を放棄して姿をくらませていたのだ。その直後の病死。奴には前王を謀った疑いもかけられている。そのような忌まわしき男を討つことこそが、我ら母なる国ファルドへの忠義を尽くす最大の方法なのだ」


 まがりなりにも、彼も王である。

 その力強い言葉に、その場にいた全員の顔が引き締まる。


「偉大なる前王の子を騙るなど言語道断である。彼が子を成していないことは正室や周りの女官にも証言されていることである。信じるべきはどちらか明白であろう。世は乱され竜神様のご加護も長く損なわれてきた。それでも、我らが竜神様を讃え、この国の繁栄を願っていれば、いずれその祝福を我らに授けてくださることだろう。それまで、苦しいかも知れぬが耐え忍ぶのだ」


 クレスト王の言葉に、まるで先ほどまで興味がなさそうだった会場の連中から拍手と喝采が巻き起こった。彼は満足そうにそれを一身で受け止めると、眼前で傅くアーセナに耳打ちをする。


「平民である貴様を名誉ある騎士団にまで取り立ててやっているのだ。武で期待に応えられぬのならば、その綺麗なドレスを脱いで私の寝室を訪ねよ。妾としてならばすこぶる可愛がってやろうぞ」


「……必ずや汚名を雪ぐべく奮迅努力します」

「期待はせん。裏切ってみせよ。以上だ」

「失礼いたします」


 屈辱を噛み締めながら、アーセナは深々と頭を下げそのまま面前を後にした。


 講堂の外には、警護の任に就いているグランゼオスが待っていた。


「醜態を曝し申し訳ありませんでした」

「あれが今回のお前の役割だ。曝しあげて周りを鼓舞する。そうなることは決まっていた」


 なるほど、とアーセナは内心で落胆した。

 自分に期待されていたことがあんな見せしめのような役割だったとは。


「お前の任務はしばらく俺と他の連中が受け持つ。お前には追って次の任務が与えられる。それまでしばらく謹慎だ。反省し、忠を示すべき相手をもう一度確かめるがいい」

「……はい」


 自分の惨めさに手が震える。

 それでもどうにか気丈に礼をし、アーセナは講堂を後にした。


 今日の任務は終わり、公舎の自室に戻って、干からびた布団に倒れこむ。


「……私はいったい、何をしているのだろうか」


 噛み殺して震えたような声。


 人知れず、顔を埋めた布団は湿り気を帯びていた。


     ◆


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