老兵ガーノルド 『親鳥と雛鳥』
アドミルが兵舎として利用しているシドルドの官舎の中庭に、剣戟の音が鳴り響いていた。
日が高く射す昼下がり。
滝のように汗を流しながら、アドミルの兵たちは二人一組となって稽古をしていた。実戦形式の打ち合い。木の剣と盾を手にして向かい合い、互いに隙を窺って剣を走らせる。
素振りや基礎体力訓練の後の、大締めとなる対人稽古。相手に有効打を一本与えた方が勝ちである。
ただの毎日行われている稽古なのだが、しかし兵たちの顔はみな真剣だ。
「お前たち、頑張れよ! 勝った者はこの後の昼飯が二倍だぞ!」
「うおおおおおお!」
監督役として見渡しているガーノルドの声に、兵たちが活気付く。
ただの昼飯ならば兵たちもここまでの盛り上がりは見せないだろう。しかし今日は特別なのである。
「ああ、楽しみだなあ」
「俺もだ」
ある者は献立を想像してよだれを垂らし、ある者は腹の虫を鳴らしながら、必死に棒剣を振るっていた。
そう、今日は週に一度、シェスタがみんなに手料理を振舞う日なのである。
普段ならば鍛錬にシェスタも参加しているのだが、この日ばかりは非番をもらい、給仕係となるのだった。その週間が始まった切っ掛けは、シェスタが自分からやりたいと言い出したことからだ。
「ほ、ほら。たまには私も手料理作っておかないと忘れちゃって、いざっていう時に困っちゃうかもだし」
「なんだ。花嫁修業か」
「ちちち違うわよ! 別にミレンギに嫁ぐつもりなんて最初からないし! 父さんの馬鹿!」
冗談交じりで言ったガーノルドに、シェスタが顔を真っ赤にして怒鳴り返してきたことを覚えている。しかしそもそも「ミレンギ」などとは一言も口にしていないのだが。
ともかくそのような経緯があり、シェスタの料理当番が決まった。
当初は性格の粗暴さから不安がられていたが、一度彼女の料理を食べてからは、兵たちの評価は一変していた。
元々、兵たちの訓練にシェスタが混じっていることもあって、紅一点である彼女は非常に人気が高かった。見てくれも、怒鳴りさえしなければ悪くはない、とはガーノルドの親馬鹿だろうか。
そんな彼女の美味しい手料理を食べられるのだから、兵たちは今日の訓練を至極真面目に行っているのである。
彼らの単純さに、ガーノルドは呆れ半分に溜め息をついた。
「なんだか今日は熱気がすごいね」
白熱する兵たちとは正反対に、いつも通りな調子なのはミレンギである。模造剣を肩に乗せ、呑気な顔で笑っていた。
今日はシェスタの料理番であることを知ってか知らずか。どちらにせよ恋路はまだまだ遠そうだと、ガーノルドは愛娘に同情してやりたくなった。
「ガーノルド、ボクにも稽古をお願い」
「わかりました。ではいつも通り、私に有効打を与えたら一本ということで」
「了解!」
にっと笑んだミレンギが剣を構える。
柄を握る腕はぴんと筋肉が張り、流動的な筋を浮かばせている。
手足は長く、やや身長が一般的すぎることを除けば恵まれた体格だ。
足の重心を変えるたびにふくらはぎの筋肉が固く締まった。
ミレンギが軽快に足を弾ませる。
動きはしなやかで、足首や肩周りの動きも柔らかい。
彼の幼少の頃からずっと、ガーノルドが曲芸の特訓と称して鍛錬を課してきたその結果がそこにあった。
ガーノルドも構える。
お互いに一呼吸を入れると、合図もなくミレンギが駆け出した。
思い切りのいい真正面からの上段の切り込み。
不意を突くには十分な早さだが、些か工夫に欠ける。
ガーノルドは冷静に受け止め、払った。
それでもミレンギは諦めず、二撃目を中段の横払い、次に喉元を狙う突きの三撃目を繰り出す。しかしガーノルドは表情一つ変えず、その全てを受け流していた。
一撃ごとの隙が大きすぎてその気になればあっさりと一本を取れるくらい雑ではあるが、つい少し前まではまるで剣を握ったことのない素人とは思えぬ立ち回り。まだまだ未熟すぎて目も当てられないが、これまでの経験の不足さからすれば、これでも十分すぎるほどである。
よくぞここまで成長してくれたものだ、とガーノルドは感慨に浸ってしまいそうになった。
歳のせいだろうか。
孫を見ているような気分だ。自然と頬が緩んでしまう。
「くっそう。全然無理だよ」
「おや、もう諦めるのですか」
額に汗を流して唇を噛むミレンギに、涼しい顔でガーノルドが煽る。
「いいや、諦めないよ。今日こそは絶対に一本取るんだ」
「その意気です、ミレンギ様」
剣先は下ろさず、ミレンギの瞳もまっすぐにガーノルドへ向き続けている。
――本当に大きくなられた。
感慨深さに、柄を握る手に力が入る。
またミレンギの先制。
素早く駆け寄り、今度は足元を薙ぐ下段。
しかしそれをガーノルドは見切って受け止める。
注意が足元に向いたその隙を狙って、ミレンギはさっと剣を引き、頭上高くに大きく振りかぶった。
全力の大振り。
しかしその渾身の一撃を、ガーノルドはあっさりと防いだ。
軽やかに弾き、逆に隙だらけになったミレンギの足を払って転倒させる。
一瞬だけ宙に浮いたミレンギは、そのままなす術なく地面に叩き落とされたのだった。
「ああー駄目かー」
悔しそうにミレンギが地面を叩く。
「全力で剣を振り下ろすのも良いですが、強さの代わりにどうしても隙が多く生まれるのです。それは必殺の技。ここぞという時に、討ち取れる自信に満ちた時だけにしてください」
「そんなの、どんな瞬間のことかわかんないよ」
「戦っていると自ずとわかるものです。感覚、でしょうか」
「ほらやっぱりわかんないよ」
ミレンギは剣をほうり、両手を上げて肩をすくめていた。
「あー、もう。やっぱりガーノルドには敵わないや」
「年老いても、まだまだ若者に後れを取るつもりはありませんからね」
「ガーノルドがこんなに強いって知ってたら小さい頃から習ってたのに」
それはそれで面白い未来だったかもしれない。だが、ガーノルドは今で十分に満足だった。
ミレンギはガーノルドのように剣技だけが取り得の堅物ではない。
優しさ、人徳、色々なものが彼にはある。
ただの武人として名を馳せるはおそらくもったいないほどの器であると、ガーノルドは固く信じている。
「ははっ。その時が来ればいいですね」
余裕を見せて笑っておいた。
悔しそうにミレンギがぶうたれた顔をする。
「その諦めない気持ちがある限り、きっといつかは届きますよ。相手が格上であれ、挫けぬ心が大事なのです。ま、精進あるのみですな」
「くそー。絶対に追い越してやるー」
もうすぐ昼時。
日差しは高く、麗らかな空が天を覆っている。
官舎の出入り口の庇に鳥の巣を見つけた。親鳥が雛に餌を与えている。
雛はもうほとんど成鳥と変わらないほどに育っている様子だった。もう季節的にも巣立ちの時であろう。これから越冬するために大陸を渡り、ガーノルドたちの知らない遥か向こうにまで飛び立っていくのだ。
「あの巣、ほんの少し前に出来たばかりだと思っていたのに。時が経つのは早いものだな」
感慨にふけるようにガーノルドはその巣での営みを眺めていた。
その間にミレンギがゆっくりと立ち上がり、もう一度剣を掴む。
「ガーノルド、もう一回だよ」
「ええ、望むところです」
巣立ちの時はいつだろうか。
そんなことを考えながら、ガーノルドはミレンギに優しく頷き返していた。




