幼馴染シェスタ 『乙女の秘密大作戦――①』
荷馬車に山積みされた野菜を前に、すこしぼさついた栗色の髪の活発な少女――シェスタがうなり声を上げていた。
山の中から手に取っては、これでもないあれでもないと取っ替え引っ替えしている。そのあまりに長い繰り返しに、路店主の老人も呆れ顔を浮かべていた。
「お嬢ちゃん、もうそろそろいいだろう。大事な商品が傷ついちまうよ」
「なによ。最初っから傷だらけじゃない」
「そんなことはないさ」
「これなんて皮がめくれちゃってるし、こっちは芯が腐ってる。中をくり貫いたら使えないこともなさそうだけど、売り物としてはどうかしらね」
「それくらい普通じゃないか。ちょっとの不良を機にしてたら食えるものが無くなっちまうよ」
「そうかもしれないけど、それじゃ駄目なの」
シェスタは頑として手を止めるつもりはないようだ。
やがていくつかを選りすぐると、満足した顔でお金を払った。
「アニュー。これもお願い」
後ろでぼうっと眺めていたアニューは、やっとか、という気分で顔を持ち上げた。シェスタから紙袋に詰められたいっぱいの野菜を受け取ると、大人しく座って待っているグルウの背中に乗っけてみせる。
シドルドで最も人の行き来が盛んな大通り。その傍らにちょこんと座り込む魔獣の姿は、通り過ぎる多くの人が二度は振り返るほどに異質である。
「グルウ、おすわり」と言ったアニューの命令を忠実に守っており、その大きな巨躯の背中に荷物を置かれようが、平然とした顔で欠伸をしていた。
しまいには物珍しさから近隣の子供たちがやってきて、彼の大きな尻尾が波のように揺れる様を追いかけて遊んでいた。
「さてと。それじゃあ次のお店に行こっか!」
「ん。荷物、いっぱい。気合、いっぱい」
やや鼻息を荒くして別の店に向かうシェスタの後ろを、アニューもグルウの頭に乗って追いかける。だがその背後を、弾むような足取りで幾つかの影が続く。好奇心に目を輝かせた子供たちだ。
「次はここね」
シェスタが足を止めるとグルウの足も止まる。そしてやはり子供たちの足も一緒に止まる。
「この果物美味しそうね」
「お、嬢ちゃん目がいいね。こいつは西のナヒチって村でしか育てられてない特産品なんだ。中の黄色い果肉は濃厚な甘味があって美味いよ。試食してみるかい」
「あらほんと。美味しい。ちょっと隠し味に使えそうかも。これ、いくらなの?」
「三つで銀貨三枚だ」
「意外と高いわね。ねえ、少しくらいまけてくれないかしら」
「希少なもんだからなあ。これでも安いくらいなんだが」
「うぐぐ……」
シェスタの顔が鬱屈に歪む。手に持った財布の中身とにらめっこをしているが、その顔がにこやかな笑みに変る様子はない。
「うーん。さっきいっぱい買ったからなぁ。あとお肉も買わないといけないし。どうしよう」
どうやら芳しくない様子である。
そんなシェスタを待っている間も、グルウは退屈そうに欠伸を漏らして待っている。ゆらゆらと真っ黒な尻尾を揺らし、やはり子供たちがそれを追いかけて遊ぶ。
「グルウ、玩具。楽しそう」とアニューは少し羨ましそうな目で上から見下ろしていた。
アニューも眠気につられて欠伸をしてしまう。
もう朝から二時間以上、シェスタの買い物に付き合っているのだ。
――ぐるる、と可愛らしいお腹の音がなった。
「お腹、すいた」
まだ女性としては未成熟な窪みの少ないお腹をさすり、アニューは弱々しく呟く。
店先で頭を悩まし続けているシェスタはまだ動く気配がない。いったいあと何時間つき合わされるのだろうかと、晴天の空を見上げて憂鬱に肩を落とした。
こうなる予感をアニューは朝ごはんの時から感じでいた。
今日は週の始まりの日。
シドルドにやって来てからというもの、毎週のその日になると、シェスタはこうして町の市場に繰り出すのである。
――ぐるるるる。
今度はグルウの腹がなる。
「我慢。いい子、いい子」
自分自身にも言い聞かせるように、グルウの頭を撫でて気分を治めた。
「よし! それじゃあ四つで五銀貨でどう?」
「うーん四つかぁ……」
渋りを見せる主人にシェスタが渾身の笑顔をあざとく振りまく。
これでも曲芸団の時は看板娘的に担がれていた美少女である。しかし店主はそれを興味がないといった風に一瞥もせず、まあいいや、と頷いていた。
せっかくの可愛い子振りを相手にもされず、シェスタは笑顔で「ありがとう」と商品を受け取りながら、足元の石ころを店主に見えないように踏み潰していた。
人の歯くらいの大きさの小石が、ただの八つ当たりで一瞬にして粉々になる。おそるべし怪力少女。そんなシェスタを後ろで眺めながら、「お姉ちゃん、まただ」とアニューが呆れている。
「ま、まぁ。ちゃんといい買い物もできたし、さ、次に行くわよ」
気を取り直したシェスタがまた足を進め、グルウがのっそり立ち上がって動き出すと、その尻尾を追って子供たちも動き出す。心なしか先ほどより二人くらい増えている。
続いて訪れたのは肉屋。
遠方からの商人で賑わうシドルドの町では、取り扱う品々は生ものよりも圧倒的に乾物などの加工品の方が多い。魔法で作った氷解を断続的に投入して鮮度を保つ輸送手段もあるが、それらは非常に手間がかかる上、大概にして高価である。
「牛肉は……ちょっと高いわね。前の倍くらいしてるじゃない」
「今はどこも品薄状態なんだ」
若い店主の兄ちゃんが眉尻を落として答えた。
「どうして?」
「東の街道に野党が出たらしくてね。アドミルとファルド軍の衝突で国が混乱してるのをいいことに、そんな奴らまでここぞとばかりに暴れ始めてさ」
「なるほど。そういう問題も起こるのね。もう把握してるかもだけど、アイネたちに伝えておかなくちゃ」
「お、なんだい。お嬢ちゃんもアドミルの人間かい」
言われ、シェスタは鼻高々そうに胸を張った。
「ええ、そうよ。しかも何を隠そう、アドミルの光で一部隊を任された隊長になってるんだから」
「へえ、そりゃすごい」
「でしょ?」
「お嬢ちゃんの親父さん、そんな強い人なのか」
威張っていたシェスタが崩れ落ちる。
「違うわよ! わーたーしーがー!」
「ん? ああ。ははっ、なるほどねえ。給仕係の班長ってことかい。まあ給仕係も立派な組織の部隊だもんな」
「だから違ーう!」
シェスタはファルドでは成人として認められる年齢ではあるが、言い換えればまだ十六になったばかりの少女である。それにやや幼げというか、お転婆なところが余計に若さを感じさせるのだろう。彼女がどれだけ言っても、大人ぶった背伸びだとあしらわれるのがいつものことだ。
そんな見慣れた茶番劇を、アニューは腹の虫を飼いならしながら待ちぼうけた。
もうすぐ真昼。
お日様は天辺まで昇りきり、遮るものもなく燦々と光を降らせている。
日差しで温かくなったグルウのふさふさな毛はまるで布団のようで、アニューはひどい眠気に襲われ続けている。今すぐにでも帰りたいものだが、姉のシェスタに逆らえば番飯抜きにされるので抗えない。
グルウの尻尾を追いかけて楽しそうに遊ぶ子供たちを見下ろしながら、アニューはまた大きな欠伸を漏らした。
「今だと羊肉のほうが安いよ。あとは鳥とか」
「うーん、鳥かぁ。でも牛肉の方が好きだって言ってたしなぁ、確か――」
ぶつくさと呟きながらシェスタは悩む。アニューからすれば悩むことの程でもないはずなのに、シェスタは相当入れ込んでいるようだ。
「……じゃあ牛肉を」
「まいど!」
渋々な顔でシェスタは財布の口を開けていた。
これでやっと買い物も終了である。
「さてと。そろそろ戻るわよ」
シェスタのその言葉を聞き、寝そうになっていたアニューとグルウはそろって顔を持ち上げた。




