-13『振り払う力』
迫り来る魔獣を切り倒しながら、ミレンギは少し昔のことを思い出していた。
それは、つい先日の自分の誕生日。
シドルドの町から逃げてたどりついた集落で出会った、あの家族のことだった。
ミレンギのせいで母親は傷つき、村は荒らされた。
もしかすると、真っ先に耳長族の集落を守りたいと思ったのは、長老の家で出会った幼い姉妹を見てあの集落の一家を想起してしまったからかもしれない。
また自分のせいで無垢な人たちを傷つけることになってしまう。
それが恐かった。
ミレンギはもう立ち止まらないと決めた。あの家族のように、理不尽に傷つけられ、それでよしと流されてしまう世の中を変えるために。
一頭、また一頭と魔獣を切り伏せていく。
あれからガーノルドに剣術を教わり、少し程度なら戦えるようになってきた。もともとの身体能力も彼を強く支えた。もう、一端の兵士くらいには後れを取らない自信がある。
なにより、
「ミレンギ、後ろ!」
「了解」
セリィの声で気付いた背後から飛びかかろうとしていた魔獣を咄嗟にかわし、返しの一撃を見舞う。刃の入りが浅く致命傷にできなかったが、そこをすかさずセリィの鋭い氷柱が貫いた。
セリィがいてくれる。他のみんなだって。
あの時――あの逃げていた夜、ミレンギにはあの家族を救いきる力がなかった。
けれど今は違う。
ミレンギには守れるだけの力がある。そう思った。
一頭倒してもまだ次の魔獣が顔を出す。
一つの群れが過ぎ去っても、絶え間なく次の大群が森の奥から現れる。
魔獣の死肉が山のように積みあがっているのに、まだ襲撃がやむ気配はない。
まるで蟻の群れに襲われた飴粒のような気分だ。奴らの鋭い爪や歯に襲われ負傷する兵も出始めている。永遠に続くように押し寄せる悪夢に心も体も力尽きそうになる。
だが、退くわけにはいかなかった。
その場にいた全員がその信念を崩しはしなかった。
そんな最中。
「陣形、急げ!」
膝が折れそうなアドミル兵たちの耳に、凛々しく澄んだ声が届いた。
それを合図に、何百もの白銀の兵士たちが戦場に駆け込み、規律の整った素早い動きで列を作る。その陣頭に、刃を掲げて少女が立つ。彼女たちは迫り来る次の群れと衝突し、その魔獣の悉くを強固な盾で押し返した。
屈強な戦士たち――王属騎士団の兵だった。
「アーセナさん!」
気付いたミレンギがたまらず叫んだ。
彼女はミレンギを一瞥し、しかし何も言わずに次の魔獣を倒しに切りかかっていった。
「お前たち、騎士団としての意地を見せてみろ!」
「うおおおおおお!」
勇ましき少女の鼓舞に兵たちが沸き立つ。
気付けばまたしてもアドミルと騎士団兵が戦場に入り混じる形となっていた。しかし彼らの矛先は全て、牙を剥く魔獣たちへと向けられている。先ほどまで剣を交じり合っていた人たちが、互いに背中を庇い、剣を振るう姿がそこにあった。
「ありがとうございますアーセナさん」
混戦の中で背を向け合ったミレンギがアーセナに言う。しかしアーセナは何も答えず、表情も変えずに「はあっ!」と次の魔獣を薙ぎ飛ばした。
それが彼女の、今できる精一杯の返答なのだろう。
騎士団の増援により、アドミルの兵たちにも士気が戻り始めていた。
いける。
まだいける。
一つ間違えれば容易に魔獣の波に呑まれて食い殺されるその恐怖を前に、誰もがその切っ先を下ろさず、前に掲げ続けた。
やがて間髪もいれず、最も大きな群れの波が兵団を襲った。
全員が息を呑んで武器を構える。ガーノルドも、シェスタも、アニューとグルウも、できる限りの力を絞って立ち向かう。
群れの中に一際大きな魔獣がいた。
グルウよりも巨大で、まるで民家が足を生やして走っているのではないかと思うほどの巨躯だった。
おそらくこの魔獣が群れの長なのだろう。
獰猛に狂ったような泣き声を上げながら集落へと向かってきている。
「さすがにあれじゃあ騎士団の人でも止めるのは無理だ。どうにかしないと」
ミレンギが焦る。
そんな彼の袖を、冷静にセリィが引っ張った。
「手伝う。だから大丈夫」
いつもの心強い言葉。
どうしてだろうか。彼女がそう言ってくれるだけで、ミレンギはなんだか根拠もなく力が湧いてくるような気がする。
自分ひとりでは無理だ。
けれどセリィとならきっとやれる。あの夜のように。
そう、確信できる。
ミレンギはセリィに頷くと、巨大な魔獣の頭に向かって駆けた。
ミレンギと魔獣が交錯する直前、後ろのセリィの身体が神々しく光を纏う。詠唱のような何かを呟くと、途端、魔獣の四肢に絡みつくように、巨大な氷柱が足元から突き出した。
「氷……いや、これはっ」
透明色のそれを見て、後方に控えていたハイネスが目を剥いて驚きの声を上げる。
「エルドラグの結晶?!」
その声を掻き消すように豪快な音で、魔獣は前肢の氷柱を力任せに振り払う。
一瞬だけ動きを拘束できたものの、あっという間に解けてしまった。しかし突進の勢いを削ぐには十分すぎる枷だった。
体勢を崩して頭を下げた魔獣の目前にたどり着くミレンギ。
振りかぶろうとした時、彼の剣が光に包まれる。するとその剣に透明の氷が纏わりついた。ミレンギは少し驚いたが、それがセリィの魔法だろうとわかると、むしろ自信づいて振りかぶった。
もう逃げているだけの自分ではない。その証明のように。
「うあああああああっ!」
――縦一閃。
振り下ろされたその氷のような刃は、まるで水を裂くようにするりと魔獣の頭を裂いてみせた。
巨躯が一刀に沈む。
その光景が、情勢の行く末を物語っているかのようだった。




