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竜の落とし子 ~没落少年が最強へと至るまでの英雄譚~  作者: 矢立 まほろ
○ 第1部 -ファルド内乱編- 2章 『静寂の森』
22/153

 -12『迫り来る厄災』

    ◆


 その不吉な慟哭は森中に響き渡っていた。


 集落の耳長族たちの耳にもそれは届く。


 農作業をしていた男達はその地獄からの呼び声に戦慄し、大急ぎで家へと戻っていった。


 長老の家に集落中の若者が集まる。各々が緊迫した表情を募らせていた。


「あいつらだ。あいつらが森の怒りを買ったんだ」

「やっぱり耳無しなんて招くんじゃなかった」

「もうだめだ。すぐに奴らが来る」

「長老。はやく逃げなければ」


 獏炎魔法の音も集落には届いていた。

 やや距離はあるが、ここもすぐ、怒り狂った魔獣によって一緒くたに襲われることだろう。


 焦燥に男たちの顔を青ざめていく。

 そんな彼らを、長老は一喝して鎮めた。


「気を落ち着けるのじゃ馬鹿者。女子供がいれば徒歩で森を抜けるにも半日はかかる。なだれ込む奴らから逃げ切ることはできんじゃろう」

「じゃあどうすれば」


「戦えない者は軒下に隠れるのじゃ。鼻の効く魔獣には意味もないかもしれんが、万が一にも、死臭で見落とされるかもしれん。他の者は武器を。少しでも同胞を守れるように奮迅努力するのじゃ」


 長老の指示に集落の者たちは大急ぎで動き出す。

 長老の娘ヘイシャとその姉も、心細く互いの手を握り合って地下へ避難する。しかし、軒下の倉庫へ押し入れられる女子供はひどく不安がっていた。


 地上に残されて槍を構えた若い男たちも、その予想だにできない畏怖の襲来に足を震わせる者ばかりだ。


 怒り狂った魔獣は森中を駆け巡って全ての異物を排除しようとする。


 鹿も、猪も、そこに例外はない。

 彼らが脅威であると感じた全ての生き物を狩りつくす。


 以前にこの森で暮らしていた人間は根こそぎ食い荒らされたと伝わっている。同じ轍を踏むのは、この森に住処を追いやられた耳長の宿命だったのかもしれない。


「みな覚悟を決めよ。時が来たのじゃ。我らの、最後の修練の時が」

「お、おぉ……」


 弱々しい声しか上がらない。それも仕方のないことだ。


 もとより農作業や弓の製作などを営む男たちだ。

 弓で狩りはすれども、戦う術など持ち合わせていない。


 対人の戦いすら経験がないのだ。それが獰猛な魔獣となれば殊更である。


「やはり、今更耳無しを信じたわしが馬鹿者じゃったか。ジェクニスよ。貴様が与えたこの森すら、我々には安住の地にはなり得んかったようだ」


 長老――ハイネスは天を仰ぎ、祈りを注いでこの地に骨を埋める覚悟をした。願わくば、若かりし命が少しでも後世に残らんことを願って。


 地面が怯えているかのごとく震え始める。

 遠くの木々が悲鳴を上げるように音を上げて倒れている。


 着実に悪夢が迫っている。

 その恐怖が耳長の男達を呑み込んだ。


 やがて、


「きたぞ!」


 誰かがそう叫んだとほぼ同時に、林の奥に無数の光が現れた。


 何十、何百、いや千は超えているか。

 その粒のような光は、木漏れ日を反射した魔獣の鋭い眼光である。


 やがて鋭い牙を曝け出した狼のような漆黒の魔獣がくっきりとその姿を見せた。


 一頭の大きさは人間の腰程度だ。

 しかし恐るべきはやはりその数である。


 たとえ一頭を退けても、続く何百もの獣に呑み込まれるのは容易に想像がつく。森の奥からは更に多くの魔獣がやって来ているようである。


 だからこそ耳長族たちの戦意はもはや最初から削がれているようなものだった。


 あの群れに食い殺される。

 その数分先の自分を想像するのが精一杯であった。


 誰もが息を呑み、その瞬間を待つ――が、獣たちとの間に何かが割って入った。


 一つ、また一つ。

 まるで魔獣の行く手を覆い阻むかのように塞いでいく。


 その先陣を切る髭面の男が一声する。


「心を掲げよ! 屈さぬ刃で迎え撃て! 誇りで地を踏みしめ、獣一匹死しても通すな!」


 その獅子のような咆哮は、迫りくる魔獣の唸りにも劣らぬほどの迫力だった。


「……耳無したちだ」


 矢面に立っていたはずの耳長の青年が、気付けば目の前を遮ってきた彼らに驚きの声を上げる。


 そう、そこにいたのはガーノルド率いるアドミルの兵たちであった。そのほとんどである戦闘可能な四百以上の兵が、彼らの前に背を向けて立ち塞がったのだ。


 それでも魔獣たちは土煙を高く上げ、より勢いを増して駆けて来る。


 鬼気迫る中、なだれ込む壁と壁がぶつかった。


 ――ぐおおおおおおお!


「うおおおおおおおおお!」


 獣とアドミル兵の雄叫びが交錯する。


 最前に並んだ兵が二人がかりで盾を持って突進を防ぎ、後方に控えた槍兵が動きを止めた獣の目を貫く。


 まずは一匹。

 しかしまだ何十、何百と群れは続いている。


 幅広くなだれ込んできた魔獣たちを、ほぼ三人が一組となってどうにか倒していった。


 中でもたった一人で迎え撃っているのはガーノルドとシェスタである。


 老いを感じさせない鋭い切り込みで走りこんできた魔獣を真っ二つに切り裂くガーノルド。噛み付こうとして飛び込んでくる魔獣を寸ででかわし、すかさず横顔を拳で殴打するシェスタ。


 アニューが騎乗したグルウも、個々の力の差を見せつけるかのごとく、その強靭な腕と鋭い爪で魔獣たちを文字通り蹴散らしていた。


「お前たち……」

「真っ先に駆けつけてよかった。間に合わないところだった」


 思わず絶句して目の前の光景を見ていることしかできなかった耳長族たちの前に、息を切らせたミレンギがやって来る。長老ハイネスは我が目を疑うとばかりにミレンギを見た。


「お前たち。どうしてここに」

「魔獣の脅威が本当なら、この集落にも絶対彼らが襲ってくると思ったからです」

「いや、そうではない。何故お前たちはわしらを――耳長と嫌悪した我らを助けておるのじゃ」


 声を震わせて尋ねるハイネスに、ミレンギは笑顔を向けて言う。


「誰であっても助けます。むしろボクたちがもたらしたことなんだし。この村に戦火を広げない。その約束をやれる範囲で守りきるだけです」

「なん、じゃと……」


 事実、途方もなく多いと思われていた魔獣の群れは、ミレンギたちの決死の人肉の壁によって町の瀬戸際でどうにか防がれていた。


 それは驚くべき光景であった。


 災厄と言われても不思議でないほどの危機に、自分たちを忌み嫌い森に追いやったはずの人間たちが、身を挺して守っているのだ。まだ何かの間違いなのではないかとすらハイネスは思っていた。


「ボクたちも行こう、セリィ」

「うん!」


 いつも少年の手助けをしてくれる少女が心強く頷く。


「お、応援してますよ。僕は戦闘は苦手なので」と物陰に隠れているアイネの見送りを受け、ミレンギも剣を片手に魔獣の群れに向かった。


 残されたハイネスはただただ呆然としていた。


「有り得ん。魔獣が動き出して間もないのに、人間どもがわしらの元に真っ先に駆けつけるとは」


 そう、ミレンギは何よりも優先してこの集落へと駆けつけたのだ。


 騎士団との混戦の最中、敵将であるアーセナを討ち取る寸前まで彼らは手が届いていた。その間際の魔法部隊の暴走。


 直後に魔獣たちの慟哭を耳にしたミレンギは、地に膝つくアーセナを余所に、大急ぎで集落へ向かうことを指示したのだ。


「アイネ、他のみんなに指示を。急いで集落に行こう」

「ミレンギ様、今は一刻の猶予もありません。こうなった以上、速くこの森を出ねば。アーセナを討ち、急ぎシドルドに戻るのです」


「どっちも駄目だ。今はそれどころじゃあない」

「何故ですか」

「助けるんだ。耳長の人たちを!」


 それはミレンギが真っ先に思ったことだった。

 誰に何を言われても曲げることはなかっただろう。


「ボクがアドミルの一番上なんだよね。だったらそのボクの命令だ。全力で、絶対に集落の人たちを守る」

「……かしこまりました」


 アイネはやや不服そうではあったものの、素直に頷いて全兵に指示を出した。


 それからは早かった。


 相手の陣形を崩して優勢になり始めていた好機をあっさりと手放し、アーセナ共々そのままに戦場を後にした。


 そのような事実があったことを、ハイネスはよもや知りもしないだろう。おそらく想像だにできてはいない。


「いったい何を企んでおるのだ。わしらに恩を売ろうというのか」

「……きっと何も考えていませんよ、あの方は」


 呆れ調子にアイネは言う。


「ほうっておけない。そういう性分なのでしょう」


     ◆

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