-9 『耳長族』
アイネの計画通り、ミレンギたちアドミルの兵は静寂の森にまでたどり着いた。
おおよそ三百の兵を率いて森に入った一行は、アーセナたちを迎え撃つ準備を着々と進めた。その拠点としたのは、この森に古くから居着いている耳長族と呼ばれる者たちの集落だ。
彼らは森の知識に長け、地図にすらされていない周辺の土地勘を持っている貴重な情報源でもある。ミレンギとアイネが集落の長老と交渉を行い、この村にまで戦火を広げないという約束で寝床を確保した。
「すみません。お騒がせします」
「まったくじゃ」
挨拶にやって来たミレンギに、集落を治める年老いた長老はさも厄介そうに返した。実際、ひたすらに静かなこの森で騒ごうというのだ。唯一この森を住処とした彼らにとって、ミレンギたちは厄介者以外の何者でもない。
「わしらは変化など望んではおらん。ただ静かに、ただ平穏に、何者にも邪魔されずに暮らすこと。それがわしらの望みじゃ」
「重々承知しております」とアイネが頭を下げる。
しかし長老は変わらず訝しげな表情でミレンギたちを見つめていた。
「それで物資の件じゃが。弓と鏃、それと木材。それでいいのじゃな」
「はい。そちらのご提示された金額で買い取らせていただきます」
「ふん。随分と羽振りのよい話じゃ」
「あなた方の庭を荒らすことになるのです。どうかせめてもの迷惑料としてお納めください」
「……ふん。耳無しどもが。勝手にせい」
村の利用においてアイネが交渉に使ったのは、彼らの作る武器などを購入することだった。
耳長族は昔より手先の器用さで知られている。彼らは森の木々を削っては、洗練された木材加工技術により上質な弓や槍、盾などを製造して外に売り出していた。
それを彼らの言い値で取引する。ふっかけられれば大損をする商談だが、それだけ、この静寂の森で待ち構えられることが大事という判断なのだろう。
しかし、長老はその条件を呑んだものの、ミレンギたちをあからさまに怪訝に扱っていた。
『耳長の人たちはかつて、その特徴から差別されこの森に追いやられた過去があるのです。彼らにとって、僕たちは敵ではなくとも、味方でもないと思われていることでしょう』
そうアイネが面会前にミレンギに教えてくれた通り、長老や、他の耳長族たちの視線は終始冷ややかなものだった。
そんな中、浮き立った明るい声がふと響いた。
「ねえ、あなたが勇者様なの?」
その声の主は、暖簾の向こうから顔だけを出した金髪の碧眼の少女だった。また十歳もいかないくらいだろうか。彼女はにんまりと頬を緩め、目を輝かせるようにミレンギを見つめていた。
「ああ、わしの孫じゃ。これヘイシャ。出ていかんか」
長老が怒声を張って手で払おうとするが、ヘイシャと呼ばれた少女はむしろ興奮した調子で部屋の中に入ってきた。そしてミレンギへと飛びつく。その目は純粋無垢で、眩しいほどに輝いている。
「勇者様?」
「こやつの好きな絵本の話じゃ。気にするでない」
「な、なるほど」
長老の説明に、納得できたようなできないような、複雑な気分でミレンギは少女にはにかんでおいた。
「勇者様がこの国の病気を治してくれるの?」
「え、病気?」
「お爺様がいつも言ってるの。いま、この国は病気になってるって。怖い人たちの怖い思いが世界中を埋め尽くして、みんなの幸せを食べちゃっているの。
でもね、みんなが困っていると、勇者様が現れるの。勇者様はお供の竜に跨って国中を飛び回り、みんなに勇気と希望を与えて悪い病気を振り払うの。それが御話の勇者様よ」
「すごいんだね、その勇者様って」
「それは絵空事じゃ。この国の病気はもう治らん。ジェクニスが倒れされ、竜の加護を失ったこの国ではもう、な」
長老がそう不機嫌に言い捨てたところで、部屋の奥からヘイシャとそっくりな長身の美女が顔を出した。
おそらく少女の姉だろう。彼女はミレンギと同年代くらいである。非常に豊満な胸元とくっきり浮きだった腰のくびれが女性らしく、思わずミレンギはどきりとした。
「ヘイシャが失礼しました。ほら、いくわよ」
「えー。やだー。勇者様と遊ぶー」
「迷惑をかけちゃ駄目」
姉の少女は穏やかに、優しく諭す。
いくらヘイシャが駄々をこねても、にんまりと笑顔を崩さない。
「お部屋にもどっても暇だもんー」
「また絵本を読めばいいじゃない」
「えー。いやだー」
「いい加減にしないと指を折るわよ」
変わらず微笑みながら軽い調子で姉の少女が言った。
さらりと滑り出た恐ろしい言葉に、ミレンギは笑ったまま冷や汗を流した。
さすがのヘイシャも顔色を悪くしていた。
仲のいい二人。
ミレンギはなんとなく、シドルドから逃げた時に出会った集落の兄弟を思い出した。同時に後ろめたさを思い出し、顔を俯かせる。
結局、ヘイシャは姉に連れられて部屋を出されてしまった。
「竜の加護は失われた。ファルドは黄昏時を迎えておる。ルーンが攻め込んでくれば直にこの森にも戦火が届くじゃろう。この国が滅びるが先か、魔獣の怒りを買って我らが滅びるが先か。どちらにせよ、もはや救いなどないのかもしれん」
まるでミレンギたちのことを目にも入ってない風に長老は言う。
「所詮我々は追放された民なのじゃ。フィーミアの民のように、森のない山を拓いて隠れ生きることもできん。もはやここが、世の末よ」
フィーニアの民とはなんだろうか。ミレンギは知らない。
だが力強く、しかしどこか物悲しげに言う長老に、ミレンギはどんな詭弁の言葉も返せなかった。




